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馬は嘶《いなな》き、速度を上げた。大粒の雨に逆らうように、歩みを速める。
崔将軍が、庇うように波瑠の身体を包みこんでいるが、それでも雨は容赦なく降り注いでくる。
「王妃様!しばしのご辛抱を!もうしばらくすると野営場に到着します」
崔将軍は、言って馬の胴を蹴った。
ぬかるみ、冠水している足場の悪さをものともせず、馬は更に速度をあげていく。
そのまま暫く馬に揺られると、確かに、小さな天幕がいくつか見えてきた。
後から付いてきていた兵達が、馬を引き天幕へ駆けよって行く。その向こう側から、ざわめきのような人の気配と、雨にかき消されながらも、湯気が立ち上っているのが見える。どうやら、炊き出しの現場のようだ。
「さあ、到着しました。足場が悪い。このまま馬で進みましょう」
崔将軍に促され、進んで行くが、波瑠の気持ちは重い。
王は、結局何もしなかった。あれほど食料を、炊き出しに必要な米をと頼んだのに……。
自分は果たしてここにいてよいのだろうか。
そんな、迷う波瑠の心などお構いなしかのように、崔将軍が叫んだ。
「王妃様のご到着だっ!王妃様がいらっしゃったぞっ!」
この一言に、どこからともなく驚きの声が上がり、一気に人が集まってきた。
「え、えっと、あのぉ……」
「さあ、王妃様お手を」
群衆の目に晒されるような状態の中、波瑠は崔将軍に促され馬から降りた。
「皆!王妃様が視察に訪れたぞ!」
雨音をかき消すかのように、将軍が声を上げた。
とたんにざわめきは止み、計ったように集まって来た者達は、儀礼通りに平伏する。
「あっ!体が濡れちゃうよ!そんなことしなくていいから!皆、立ち上がって!」
地面に這いつくばるように控えた皆は、波瑠の言葉に不思議そうな顔をした。
貴族階級、つまり、高貴な者のまえでは、こうして平伏するのがならわしで、対する貴族達も、それを望んでいるものなのだ。そして、王妃、ともなれば、当然地面に平伏し頭を下げるのが当然のこと──。
「おお、これはあくまでも、お忍び。気を使わなくて良いとのことだ!皆、立ち上がりなさい」
崔将軍が、優しく声をかける。
「あっ、そ、そう!そうなの!だ、だから、そんなに気を遣わないで!」
波瑠も慌てて言葉を発し、皆に立ち上がるよう訴えた。
雨は到底やみそうになく、しかも、地面はぬかるんでいる。
波瑠の為に儀礼を通したが為に、皆は、びしょ濡れになってしまっていた。
「あーー!とにかく!気を遣わないで!そ、それから、何か手伝うことある?」
ようよう、頭を上げた皆は波瑠の言葉にきょとんとしている。
王族らしからぬ言葉を耳にしたからだ。
視察と言えども、単に眺めるだけが常なのに、現れた王妃は手伝いを申し出てきている。
そもそも、元は敵国だった国から半ば人質の様に嫁いで来た王妃は、今まで民の前にまともに姿を表したこともない。後宮の奥で贅沢な暮らしをしているのだろうと皆思っていたのに、いざ現れたなら、手伝うと……。
しかし、どう言おうが何を考えていようが、王族、しかも、王妃に何ができるのだろう。言われたまま、立ち上がってはみたが、皆は、更に呆然としていた。
「確かに驚くだろうが、王妃様は、国元で、炊き出しの手伝いをされたことがあるそうだ。そして、我らの役に立ちたいとこうしてお越しになられたのだ!」
崔将軍が、高らかに言う。
事情が分かったとはいえ、やはり、皆は耳を疑った。
王妃自らが炊き出しの手伝いを行う事などありえない──。
皆は、崔将軍をじっと見る。
「いや、まあ、信じられぬと思うがな、王妃様は、本当に手伝うと……」
口籠る将軍に、波瑠は笑みすら浮かべ、腕まくりをした。
「さあ!何でも言って!おばちゃんたち!あたし、やれることやるよ!」
突然の申し出に、皆は更に困惑した。
王妃が、おばちゃんたちと言った。しかも、腕まくりまでして。
やる気満々な様は、王妃というより、皆と同じ庶民のそれだった。
果たして、王妃の行為をどう受け止めれば良いのか、戸惑いは沈黙に変わっていく。
「……しかし、王妃様、物資が足りません。米も使い果たしています。ですから、炊き出しはもう……」
年配の、恐らく取りまとめ役の女だろう者が恐る恐る意見してきた。