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1か月ぶりに、田島はあの山へ戻ってきた。事件はすでに終わっていた。由香は罪を認め、ファンの男も供述を終えた。
報道では「橋本奈央」という芸名が使われ、性別には触れられていなかった。
“ちょっとだけ生きてみたゾンビちゃんねる”は、今もそのまま放置している。
様々な憶測が飛び交い、一時はコメント欄が賑わった。けれど、世間の関心はすぐに薄れていった。
車を停めると、田島はしばらく座っていた。
助手席は空っぽだ。まどかが座っていた場所。
シートベルトの金具が、寂しげに揺れていた。
「……行くか」
田島はリュックを背負い、キャンプ道具を確認する。
焚き火台、寝袋、スコップ。いつも通りだ。
ただ、今回は“いつも通り”ではない。
まどかの手紙が、リュックの中に入っている。
焚き火を起こし、缶詰を温めながら、田島は手紙を取り出した。
封はまだ切っていない。まどかとの約束だった。
「事件が解決したら読んで」
その言葉を守ってきた。
火の揺らぎが、封を照らす。
田島は深く息を吸い、ゆっくりと開封した。
中には、まどかの筆跡で綴られた文章が並んでいた。
震えた字ではあるが、優しい言葉だった。
こうちゃんへ
最後までそばにいてくれて、ありがとう。
あなたと過ごした時間は、私の人生でいちばん「生きてる」って思えた瞬間でした。
ゾンビになってからの方が、生きてるって感じるなんて、ちょっと不思議だよね。
こうちゃんにだけは、伝えたいことがあります。
ほんとはね、私……男なんだ。
小さいころから、自分の性に違和感があって、でも言葉にするのが怖かった。
アイドルという存在に救われて、少しずつ自分を許せるようになったんだ。
UNDONEに入ったとき、みんな私が男性だって知ってた。
それでも「未完成なアイドル」として受け入れてくれた。
だから私は、“まどか”として生きることができました。
こうちゃんと出会って、もっと素直になれた。
ゾンビになっても、あなたは私を見てくれた。
それが、どれだけ嬉しかったか……うまく言えないけど、ありがとう。
この手紙は、読んだら燃やしてね。
煙になって空に還るのが、ちょうどいいと思うの。
星の隙間にでも紛れて、少しだけ残ってくれたら嬉しいな。
ちょっとだけ、生きてみたよ。
──まどかより
田島は手紙を膝の上に置き、しばらく黙っていた。
「男なんだ」
その一文が、何度も頭の中で響く。
少しだけ、胸がざわついた。
驚きはあった。でも、なぜか心の奥で「それでいい」と思えた。
あの夜の笑顔も、焚き火の光に照らされた横顔も、まどかだった。
ゾンビになっても、性別がどうであっても──彼女は、彼女だった。
田島は焚き火に薪をくべながら、静かに笑った。
その笑みは、どこか優しかった。
手紙をそっと火にくべる。
紙が燃え、文字が消えていく。
まどかの言葉が、炎の中で踊っていた。
煙がふわりと立ち上がる。
その夜。
寝る前に小便を出そうと場所を探す。
「さすがにここは気が引けるよな」
まどかが埋められていた場所に目をやる。
少し離れた場所に、土が盛り上がった跡を見つける。
「掘り返したような跡……」
胸騒ぎがする。
「まさかな……」
そう思いながらも用を足す。
数分その場にとどまり、去ろうとしたとき── 土がぼこぼこと盛り上がり始めた。
「うそだろ……」
期待している自分に気づく。
土の中から、紫がかった指先のようなものが見えた。
「……」
出てきたのは、一匹のモグラだった。
「お、おどかすなよー」
いや、脅かしたのは田島の方だ。小便をかけたのだから。
「期待させやがって」
田島はすっきりした顔でその場をあとにする。
モグラは地上に出て、また元気に潜っていった。
ただ、下半身は腐敗していて、骨が露出していた。
田島はテントに戻り、焚き火の前に座った。
火はまだ静かに揺れている。
煙が、細く、長く、空へと昇っていく。
それが、まどか自身のように見えた。
スマホを取り出し、音楽アプリを開く。
まどかが生前にリリースしたソロ曲「夜の隙間に」が、プレイリストの一番上に表示されていた。
田島は再生ボタンを押す。
静かなイントロが流れ、まどかの歌声が夜の空気に溶けていく。
ねえ、誰かに見つけてほしかった
ちょっとだけ、生きてみたよ
それだけで、よかったんだ
焚き火の音と、まどかの声が重なっていく。
煙が星の隙間へと溶けていくのを、静かに見送った。
この曲は、まどかが最後に残した“贈り物”だった。
田島はスマホを胸元に抱き寄せた。
まどかの声が、彼の中で静かに響き続けていた。
完
☆あとがき
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
まどかの“秘密”に驚いた方もいるかもしれません。 でも、物語のあちこちに、彼女の声は静かに響いていました。
「ちょっとだけ、生きてみたよ」──この言葉は、手紙の中にも、歌の中にも、そして物語のタイトルにも刻まれています。
まどかが残したものは、煙のように消えていくようで、でも確かにそこにありました。
もしよかったら、もう一度、最初から読んでみてください。
きっと、違う風景が見えてくるはずです。
この物語が、あなたの中にそっと残ってくれたら嬉しいです。