喉の奥で声が詰まるという感覚を久々に感じた。六年ぶりに肉体を得たのだと実感出来るのは嬉しいのだが、何もこんな実感の仕方じゃなくったっていいと思うんだが…… 。
「ど、どうでしょうか?」と僕に訊くルスの声はちょっと弾んでいる。自分の想像した姿を、僕が気に入ったか否かを早く知りたいみたいだ。
「どうって…… 。いや、あ、んー…… 」
率直な感想を口する事は咄嗟に堪えた。
僕はサポート系の魔法を扱う以外にも、影を経由して色々な物を入手する事が出来る。人様の私物をこっそり拝借しているので、突き抜けた善人であるルスにはその点を伏せておく事とする。 ——とまぁ、そんな手段で用意したランタンを片手に持って、こちらを照らしてくれているルスの表情はとても明るい。さっきまで遺体と見紛うレベルで全身が破損していた者とは思えない程嬉しそうな顔だ。
「…… おっさん、だな」
ランタンと同じく、影を経由して他から拝借した手鏡を持ち、眉間に少しの皺を寄せながら呟いた。口汚く、否定的な意見を言葉にしなかった自分を褒めてやりたい。
「実は、ワタシの名付け親になってくれた人を想像してみたの。もう随分と会えていないから、また会いたいなぁとも思って」
「名付け、親…… ?あぁ、そっか」
(それなら、納得だ)
僕に名前をつけたルスはどう見てもまだ“少女”と形容する事しか出来ない容姿だが、一般的に名付け行為をするのは、それなりの年配者だもんな。
この酸いも甘いも知ったような落ち着いた顔立ち、少し垂れ目がちで小皺のある目元、緩く後ろに撫で付けた前髪からは頼り甲斐のある貫禄があり、顔立ちの雰囲気からは妙な色香が感じられる。ボディの方までは彼女の想像力があまり及ばなかったおかげで勝手に補正が入り、百九十センチはあるであろう高い身長に見合う逞しい体に出来たのは救いだった。これでビール腹を抱えて全身が脂肪ばかりの体にでもされていたら、最速でルスに殺意を抱いていた所だ。 でも——
「…… なぁ。僕の口調や声質からして、もっと違う容姿は思い浮かばなかったのか?」
“影”そのものであり、そのせいで肉体の無い僕が、唯一“僕”という存在を主張出来るのが『声』だ。少年めいた声質なせいで、この五十代前半といった感じの容姿にはちっとも似合わない。
「…… えっと、そう、だね。…… ごめん」
獣耳を伏せって項垂れるルスの姿を見ると胸の奥がズキッと痛む。こんな感覚は初めての事で、自分とは正反対の性質を持つ者に取り憑く欠点を早速実感した気がした。
(青鈍色の髪と瞳か…… コレも、ルスの持つ善性の影響だろうか?)
魔王・ブリガンテに取り憑いていた時の僕は、真っ黒な髪と瞳を持つ美少年の姿だった。コウモリに似た小さな翼が背にあり、細長い尻尾を蠱惑的に揺らす姿はまさに『小悪魔』と言える風貌をしていた。
その前は眼鏡をかけた賢そうな魔法使いの弟子風だったし、更に前だと美少女の姿といった具合に、どれもこの、常に僕の地声に相応しい容姿ばかりだったのだ。憑依対象として選んだ者とは契約を交わす前にある程度会話をするから、大抵の者は、この声の持つ印象にイメージする容姿が引っ張られるのだろう。
(だけどルスの場合は、イメージした対象が実際に存在している者だったせいでこうなったんだな)
一人納得していると、ルスが「…… やり直しとか、出来るの?」と申し訳なさそうに訊いてきた。『その手があったな』と少し考えたが、すぐに考え直す。
「出来るけど…… あ、いや。今はやめておこう」
何度やっても同じになるか、下手をしたら悪化するかもしれない。顔の彫りが深めで、誰が見ても『イケオジ』と認識出来るであろう容姿ではあるから、今はコレで妥協しておこう。
そう決めて緩く首を振ると、ルスの口元が綻んだ。余程この容姿が気に入っていると見える。彼女の体の契約印を刻んだ箇所が箇所だ、容姿を気に入ってもらえているというのは重大な要素なので、しばらくはこのままになりそうだな。
「*あーあ、あー、あーあー*」
声を何度も出し、徐々に低くしていく。流石に少年めいた地声のまま話すオッサンは正直気持ちが悪いので、この容姿に見合う声に変える為だ。
「あー。よし、このくらいかな」
見事なバリトンボイスを聴き、ルスも無言のまま深く頷いた。モデルとなった者にどこまで似ているのかは不明だが、少なくとも気に入ってくれた事だけは間違い無いだろう。
「さて、と。町まで戻るとするか」
僕の言葉を聞き、ハッとした顔をしたルスが、「——お迎えの時間!」と大きな声で叫んだ。口元に手を当て、意味も無くその場で右往左往とし始める。二人で同時に見上げた空はもうすっかり真っ暗で、梟の鳴き声や獣の遠吠えなんかも聞こえてきた。
「あぁぁ、延長代金がっ」とも言い、ルスが頭を抱える。
僕達が今居る場所は町から相当遠いからな、この反応は、まぁ理解出来なくもない。ルスがコボルトから頑張って逃げ続けた成果なのでむしろ誇るべきなのだが、今はそれどころではない様だ。
「そう慌てるな、僕がどうにかしてやるから」
ルスの後頭部をぽんぽんと軽く叩く。
「ほ、本当に?——ありがとうっ」
そう難しい願いを叶えようとしているワケではないのだが、今にも小躍りしそうなくらいに喜んでくれた。
(うん。出だしは悪くなさそうだな)
契約者を不幸にするのは僕の趣味だ。意志を持って以後ずっと続けてきている行為なので、もはやライフワークと言ってもいい。
今回も徹底的に彼女を奈落に堕とす為、やはりまずは信頼を勝ち取る事から始めようかと思う。今までの契約者達とは違ってルスは根っからの善人だ。信頼を勝ち取るのはそう難しいことでは無いはず。散々甘やかす事で依存レベルにまで追い込んでから突き放すか、強大な能力に溺れさせてからその力を奪うのも悪くないかもしれない。彼女の周囲に集まる者達だけを次々と不幸にしていき、怪しまれて孤立させるのも楽しそうだ。
「じゃあ、僕に抱きついてもらえるか?」
魂胆を一切面に出さず、そう言って両手を軽く広げてみせる。
「…… え?」
「必要な行為なんだ。あぁ、それとも僕が抱え上げようか?」
腰を折り、ルスの顔をかなりの間近で覗き込む。すると途端にフサフサとした尻尾を膨らませ、彼女は一歩後ろに下がってしまった。『いきなり距離を詰め過ぎたから、照れたのか?』と最初は思ったのだが、表情や仕草を見ると少し怯えている様に感じられた。これは…… もしかすると、彼女とのパーソナルスペースにはある程度の配慮が必要かもしれない。
「だ、抱き付くのは、どういった理由でなの?」
ボロボロの服のスカート部分をぎゅっと掴み、恐る恐る訊いてくる。頭の獣耳を軽く伏せているし視線は横に逸れていた。
「一度影に潜って、町の側まで一気に転移する為だ」
そう言って下を指差す。釣られてルスも一度下を向き、首を傾げながら頭を上げた。
「もしかして転移魔法を?え、でもあれって、成功率が…… 」
「確かに、生き物での成功率は半々だな。物資輸送くらいでしか使えない中途半端な魔法だから人間達には当然推奨されていないが、僕の方法だと失敗率はゼロだから心配するな」
どうやらルスは、生きる事に必死ではなくても、流石に死亡率が高い行為は避けたいみたいだ。
「本当に?すぐに戻れると、延長料金が少しは安く済むから助かる!」
「一般的に知られている転移魔法とは移動する原理がそもそも違うから、心配はいらないよ。出た先で体が半分無いとか、回復のしようがない損壊は絶対に無いって保証する。イメージとしては…… そうだなぁ、一度水の中に頭まで潜って、すぐに上がる様な感じだな」
「わ、わかった。じゃあ…… お願い」
覚悟は決まったみたいだ。でもまだちょっと緊張している感じがある。
「で?僕が抱く?アンタが抱きつく?」
両手をまた軽く広げ、早く決めろと目で訴える。すると彼女は無言のままぎゅっと僕の体に抱きついてきた。二人の距離がゼロになり、ルスの心音を感じ取れる。予想通り緊張しているのか、とても心臓が騒がしい。
「そうそう。この方法はさっき話したみたいに安全ではあるけど、僕から離れたら一生影の中から出てこられなくなるから、そのまま掴まってるんだぞ」
「ひっ!」と短い音を喉で鳴らし、ルスが何度も頷く。五十センチ近い身長差があるせいか、すっぽりと腕の中に彼女の体を包み込む事が出来てしまう。そのせいか少しだけ庇護欲が刺激され、僕は咄嗟に吐き気を覚えた。
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