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――車は首都高から東名高速へと合流。名神高速を経て、中国道から九州道へ。
午前五時――幸人の自家用車である、シルバーメタリックのV型8気筒DOHC3,968ccの国産車は、熊本へ向けて時速100kmオーバーで俄然邁進中だった。
隣のシートでは、数時間前までは元気にはしゃいでいた悠莉が、既にジュウベエと共にすやすやと寝息を立てている。
幸人の車は日本でも有数の大型高級車で、その乗り心地は抜群。振動も殆ど無いので、滅多な事では突然目を覚まさないだろう。
いい気なものだ――と幸人は一睡もしてないが、一日二日睡眠を取らない事位、別段どうと言う事は彼にはない。
陽が昇る頃には九州道も見えてくるだろう。今は少しの時間も惜しい。
一刻も早く“真意”を確かめなければならない。
――とは言え、流石に張り詰め過ぎた。何時間もノンストップで運転し続けるには、定期的なリフレッシュも必要と言うもの。
幸人は途中のパーキングエリアへと寄り、缶コーヒーでも買いにとドアを開け、自販機へと向かう。
ドアの開放を間隙を縫って降りていた、一つの黒い影。
「……何だ、起きてたのか?」
「ついさっきな」
幸人の後を、とことこと着いてくるジュウベエの姿。
この時間帯、パーキングエリアには彼等以外の人影は――まだ無い。
「オイ寒ぃよ!」
外の凍てつくような寒気に堪らなかったのか、ジュウベエは幸人へ飛び乗り、コートの内側へと潜り込もうとする。
「何しに来たんだお前は……。大人しく車の中で待ってりゃいいものを……」
幸人は微糖のホットをセレクトしながら、呆れ顔で溜め息混じり。
「まあそう言うな。長々車内に居ると、外の空気も恋しくなるってもんよ」
火傷しそうになる位、熱々の缶を取り出しながら、二人は共に側の簡易ベンチへと腰を降ろした。
表面が凍結気味な為、その冷たさがダイレクトに伝わるが、ジュウベエには関係無い。彼だけ安全圏へ。
「ふぅ……――」
幸人は煙草に火を点け、缶コーヒーを片手に煙を深く――深く吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
紫煙が白く、夜空へと消えていく。流石に悠莉の居る車内で吸う訳にはいかない。
喉元を通るコーヒーの熱さと苦味。それにベストマッチする煙草の煙を、幸人は暫し無言のまま味わっていた。
――お互い暫しの沈黙の間。幸人が二本目の煙草に火を点けた。
「まさか……再び彼処に戻る事になろうとはなぁ……」
煙を深く吸い込む最中、思う処があったのか無言だったジュウベエが口を開く。
「もう二度と戻る事は無い、と思ってたのにな……」
「ふぅ――まあ……な」
膝上に丸まったジュウベエを気遣ってか、幸人は煙を夜空へと吐き出した。
「……彼処に近付くにつれよ、疼くんだよこの“眼”が」
ジュウベエはそう、己が片眼を肉球で押さえ、感慨深く呟く。
「言うな……」
熊本で何があったというのか。互いに良い思い出と言う訳でもなさそうだ。
「それに“アイツ”が生きてるってよ、ますます意味が分かんねぇ……。何でまた彼処なんだ?」
「それを確かめに行くんじゃないか……」
「だが幸人よぉ。それでお前は本気でアイツを“殺る”つもりなのか? オレ等にとって唯一のっ――」
「…………」
ジュウベエの意味深な問い――否、叫びに幸人は答えない。
三本目の煙草に火を点ける。
幸人が煙草を吸うと云うのは、ニコチン摂取とはまた別の意味が有る。
それは思い詰めた時のみ――
「……全てはアイツに会ってからだ」
答はまだ――出ない。
幸人は吸いかけの煙草を側の簡易灰皿へと揉み消すと、ジュウベエを片手に立ち上がる。
「そろそろ行くぞ」
「全ては会ってからか……。まあ、お前が決める事だ。オレはどんな結末になっても文句言わねえよ」
二人は悠莉が熟睡中であろう車内へと戻る。
「出来ればお嬢には伏せときたい処だな……全部」
道中ジュウベエの悠莉への配慮。それは彼女を巻き込ませたくない――だけではなく。
「悠莉は何も関係無い。何も知る必要は無い。巻き込ませないさ今回も……これからも」
幸人は運転席のドアを開けると、其処にはあどけない表情で眠る悠莉の姿が目に飛び込んでくる。その姿を見るとホッとする――御互いに。
「お嬢はお嬢だ……うん」
すぐにジュウベエは悠莉の下へと飛び乗り、その膝上で身体を丸くさせた。
「ああ……そうだな」
幸人は眠る悠莉の頭をそっと撫で、一瞬穏やかな表情を見せた後、再び車を発進させる――熊本へ向けて。
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「――う~ん…………うん?」
不意に意識が覚醒し、ゆっくりと目を開けた悠莉は己が置かれた状況を理解していないのか、暫し寝惚け眼で辺りをキョロキョロと伺っていた。
流れゆく景色。既に陽は昇って久しい。
「おお起きたかお嬢。おはよう」
その膝元にはジュウベエの姿が。
「……ジュウベエ? あぁっ!」
遅蒔きながら、悠莉はようやく理解した。
「随分と寝てたな」
その右隣には、前を向いたままバンドルを握る幸人の姿。
「わわっ! 幸人お兄ちゃん!? えっ――ええ? 今何時?」
「もう11時過ぎだよ」
運転する幸人の為、夜更かしするつもりが何時の間にか落ちたので、状況を整理出来ない。
恐らく十時間以上は眠りこけていただろう。
「でも……あれっ?」
悠莉は窓側に視線を向け、外の景色を見てみるが、どう見てもまだ高速道路を疾走中。
「熊本は……まだかかるの?」
時間的にそろそろ着いてもいい頃合いだが――
「熊本インターはとっくに過ぎたよ。今は八代インターも過ぎた処」
幸人は何気なく応えたが、悠莉は疑問に気付く。
「えっ? でも……熊本に行くんじゃなかったの?」
「熊本は熊本でも末端なんだよお嬢……。オレ達が行く所は市内じゃなく……ね」
悠莉の尤もな疑問にジュウベエが応えた。
「そうなんだ~」
「まあ、もうすぐだよ」
「お腹も空いちゃった……」
「オレも……」
二人で暫しの“核心”を突かない談笑が、車内で繰り広げられた。
一体何が待ち受けているというのか――幸人は相変わらず黙したままだ。
「――ねえ幸人お兄ちゃん……」
「うん? どうした?」
「……トイレ行きたい」
これには幸人も思わず力が抜けそうになる。ずっと張り詰めていた緊張が解れた気がした。
悠莉が居なかったら、きっとこんな気分にもならなかっただろう。
「もうすぐ着くから……」
「ええっ? でもぉ……」
本当に目的地まで目と鼻の先なのだが、どうやら悠莉は我慢出来そうもない。
着いた処でトイレを探すのも一苦労だと、幸人は目的地の一歩手前――
「分かった分かった」
この先100m先――“山江パーキングエリア”へと、方向指示器を向けた。
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「うぅ~ん! ここ凄く空気が美味しいね~」
車から出るなり、悠莉は屈伸しながらその空気を胸一杯に吸い込み、感慨深く呟いた。
人集りはそこそこの小さなパーキングエリアだが、目視で分かる位に周りが山々で囲まれており、その自然豊かな光景は都心では見られぬ類いのもの。
「……トイレじゃなかったのか?」
何時までも物珍しそうに辺りを伺っている悠莉へ、共に車から降りた幸人が促す。
「あぁ~そうだった! ちょっと行ってきま~す」
忘れていた訳でもあるまいが、思い出したかのように悠莉は近くの女子化粧室へと駆け足で向かって行った。
幸人は用は無いのか、待っている合間に――と煙草に火を点ける。
「ついに……此処まで来ちまったな……」
「ああ……」
共にお留守番なのか、幸人の左肩で居座るジュウベエが、辺りの光景を垣間見て、何処か物思いに呟いた――幸人も同様。
「早いもんだな……あれから、10年……か?」
「…………」
「変わってるんだろうな……」
十年もの歳月――それはこの地に再び舞い戻るまで、二人が重ね合わせてきた年月。
長いようで早かった気もする――幸人はもう一度煙草を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「――お待たせ~ってあぁ! 幸人お兄ちゃん煙草吸ってる~」
用を足した悠莉のお早い御帰還だ。
「あぁ……ごめんごめん」
何が悪い訳でもないが、悠莉に気を使ってか幸人は吸いかけの煙草を携帯灰皿で揉み消した。
「別にいいよぉ~。でも――」
「……うん?」
「ボクが“妊娠中”は吸っちゃ駄目だからね?」
それはとどのつまり――
「馬鹿な事言ってないで早く行くぞ!」
「えぇ~! だって赤ちゃんに悪いんだよ~?」
「いやそう言う問題じゃなく……」
相変わらず無邪気というか、唐突過ぎる悠莉に肩の力も抜けそうになるが、幸人はうやむやに車に乗り込んだ。
「ねえジュウベエもそう思うでしょ?」
「うん、そうだね……ククク」
車内で話を振られたジュウベエが、ちらりと横目で幸人へ目をやる。
「……行くぞ」
勝手に言ってろ――と無視して車を発進。
「出発進行~」
車は山江パーキングエリアを出て、再び高速へと合流。
目的地まで後――“約2Km”
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