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桜城
308
#恋愛
ばたっちゅ
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#ファンタジー
comi
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根の洞の奥は、原始の静寂に包まれていた。外で蠢く“厄災”の気配は、分厚い岩盤と樹根に遮られ、ここまでは届いていない、そう思わせるほどだった。
「間に合った……ここなら、少なくとも、赤黒い竜の“直接侵入”は防げるはずだ」 ロスクが息を整えながら言った。
洞窟が再び目を覚ましたかのように空気が震えた。王子の双剣、王女の腕輪とネックレス、ルーネのペンダント護符、ロスクの護符。そして、ヒロノゼウスのエルフショットガンが青く光り出した。闇を押し退けるように、床と壁に刻まれた古いエルフ文字が、ひとつ、またひとつと金色に淡く浮かび上がる。やがて、その文字は輪郭を失い、金色の光となって流れ出した。
ヒロノゼウスが目を細めた。
天井から壁へ。壁から床へ。金色の糸が幾重にも重なり、空間そのものを静かに縫い留めている。一本一本は細い。だが、それらは絡み合い、層となり、網となり、幾何学的な紋様となって、ここから先を拒む構造を形作っていた。
「これが……結界糸か。それが線維化し結界膜を作っているのか」
ヒロノゼウスは、食い入るようにそれを見つめた。
「ルーネ、これは魔法防壁の一種か?」
「そうです」
ルーネは頷いた。
「都市で使われているセキュリティ魔法防壁……その原型が、こんな場所に残っていたとはな」
ヒロノゼウスは、感慨深げに“結界膜”を見つめた。
「ただし、これは普通の結界ではありません。奥にも結界膜があります」
ルーネが指を差す。
その先で、もう一つの異なる紋様の”結界膜”が淡く揺らいでいた。
「そのまた奥にもあります」
「だが、結界はすべてのものを拒む。解除しないと通れないのでは? どうやって開閉するのだ」
「解除する必要はありません。”清き意志”を持つものは通れます」
ヒロノゼウスは驚いた。
(清き意志……)
(つまり、結界膜が個体の“波動”を読み取り、通過の可否を判定しているのか?)
(エルフバリアと同じ原理だということか……)
(エルフバリアは神石が独自波動を放ち、それぞれを選別している……)
(なら、ルーネの言っていることは理解できる)
ルーネに促されるように、結界膜へ近づく。
光る膜に手を伸ばした。
熱くもなく、冷たくもない。
そこにあるのは、ただの空気だった。
そのまま、一歩踏み込んだ。
一瞬、結界膜がぴかっと光った。
だが、何の抵抗もなく通過できた。
ルーネは、壁面に刻まれた文字と紋様の一角を指し示した。
「それぞれの結界膜は、異なる位相を持つ構造で成り立っています」
そして、奥に揺らめく結界膜へ視線を移す。
「だから……紋様も、それぞれ違うんです」
ヒロノゼウスは結界膜を見比べた。
「確かに……紋様が違うな」
ヒロノゼウスは目を細めた。
「だが、異なる位相とは?」
ヒロノゼウスは眼鏡型ガイドスコープを一瞬だけ作動させた。
淡く浮かび上がった数値に目を走らせる。
「位相……物理の世界では、波の状態やずれを示す概念だが……」
表示されたデータを追ううちに、ヒロノゼウスの表情がわずかに変わった。
「ここには……七系統の異なる位相があるということか」
数値の一つに視線が止まった。
「だが……一系統は、まだ活性化されていない」
一瞬、ヒロノゼウスは言葉を止めた。
壁に刻まれた光るエルフ文字へ視線を移した。
「しかも……互いに干渉していない」
ヒロノゼウスの視線が結界膜へ向けられる。
「……力じゃない」
さらに表示を切り替える。
「存在条件そのものを、トリガーにしているのか」
眉間にしわが寄る。
「まるで……複数の空間構造を、重ね合わせているように見える」
「だが、この反応…… “土地そのもの”が、何かと共鳴しているのか……」
ルーネが、ゆっくりと微笑む。
「ええ。その可能性が、一番高いでしょうね」
ヒロノゼウスは、しばし考え込んだ。
(科学では証明できない現象は、いくらでも存在する)
視線の先で、金色の糸が織り成す結界膜が静かに揺らめいている。
(科学が進歩しても、未知は常に、次の未知を連れてくる。触れずに、そっとしておくべきか。
それとも、解き明かして、“未知”を“進化の道”へ繋げるべきか……)
ヒロノゼウスの思考が、静かに途切れた。
洞窟に、別の音が戻ってきた。
「ぽつ……ぽつ……ぽつ……」
鍾乳石の先から落ちる水滴の音。奥深くを流れる地下河川の低いせせらぎ。それらは、つい先ほどまで気づくこともなかった音だった。誰も言葉を発さず、ただ、その静寂に耳を澄ませていた。
その頃。
赤黒い竜は、すでに根の洞の入り口へ到達していた。ゆっくりと地面を這う。
その影の先端が、鋭い爪へと変わった。
赤黒い竜から伸びた爪が、
根の洞を覆う古代の魔法防壁――“結界膜”へと、ゆっくり伸びていった。
金色の結界膜に、鋭い爪が触れる。
「ジジッ……ジジジジジッ!!」
結界膜が抵抗するように、まばゆい光を放った。だが、赤黒い竜は止まらなかった。
光と闇が接触する境界で、金色の結界繊維が一本、また一本と震え、焼き切れていく。
やがて、結界膜の一部に、小さな穴が開いた。その穴は、瞬く間に広がっていく。
「ジジジジジッ……!」
不気味な音が、洞窟の奥へ、奥へと伝わっていった。
避難していたイザリオたちの耳にも、その音が届く。
「今の音、何だ……?」
イザリオが、音のした方向へ振り返った。
遠くから、再び。
「ジジジジジッ……!!」
今度は、はっきりと聞こえた。
エルファーナは、思わず胸元を押さえた。
「ゴォンッ!!」
洞窟全体を揺るがす、鈍い衝撃音が響き、根の洞の入口の第一結界膜が砕け散った。
一同が息を呑んだ。
結界膜の向こうから、赤黒い竜が滑り込んできた。その先に張られていた、第二の結界膜。
竜はゆっくりと爪を立てた。
「ジジジジジッ……!」
第二の結界膜が、低く震える。次の瞬間、焼け焦げるような音とともに、金色の繊維が火花を散らした。一本、また一本と、結界繊維が断ち切られていく。やがて、膜の一部に小さな穴が開いた。竜はその穴へ爪をねじ込む。そして、まるで獲物を引き裂くように、結界膜を力任せに搔きむしった。小さな穴が、みるみる広がっていく。
「えっ……結界を爪で焼いている!?」
イザリオが驚きの声を上げた。
ヒロノゼウスはガイドスコープを作動させた。映し出された数値から結界耐性率を算出する。
「第二結界膜の強度が落ちているな……このままだと破られる」
「奥へ逃げるしかない!」 ヒロノゼウスが叫んだ。
一同は、岩がごつごつと突き出した足場の悪い通路を、さらに洞窟の奥へと走った。壁に刻まれた古代エルフ文字が、まるで彼らに応えるかのように、進路を金色の光で照らし出す。
イザリオたちは、第三、第四、第五、第六結界膜を次々と抜けていった。
その直後、赤黒い竜が第二結界膜をこじ開け、第三結界膜へと爪を立てた。
やがてイザリオたちは、第六結界膜の奥、まだ活性化していない、第七結界層の内側へと、辛うじて退避した。
「ジジジジジッ……!」
「ジジジジジッ……!」
「ジジジジジッ……!」
結界膜を焼き切る音が、次第に大きくなっていく。ヒロノゼウスとロスクが、同時に後方を振り返った。赤黒い竜は、すでに第四結界膜を破壊し、第五結界膜へと爪を立てている。
金色の紋様が刻まれた結界膜が、悲鳴を上げるように激しく震えた。赤黒い竜の執念が、次の獲物を定めたかのように、逃げる彼らの背を、まとわりつく寒気となってなぞっていく。
「ジジジジジッ……!」
第五層結界膜が焼ける音が、洞窟全体を引き裂いた。その衝撃に呼応するように、洞窟の天井から微細な岩屑が降り注いだ。
「第五結界膜が……!」
ロスクの声が、わずかに震えた。
焼け焦げた匂い。
喉を刺すような熱。
結界膜が確実にじわりじわりと削られていく。
そして、最後の第六結界膜へと、迫っていた。
「きゃっ……!」
エルファーナとルーネが、思わず悲鳴を漏らした。
その瞬間、イザリオが双剣を構えた。
「イザリオ様、危険です。行かないでください!」
ヒロノゼウスが、即座にその前へ立ちはだかる。
「なぜだ、ヒロノゼウス!」
イザリオが歯を食いしばった。
「我々の武器には、光のエルフ鉱石がある。護符として機能している以上、竜の影響は受けないはずだ!」
「イザリオ様、お気持ちは十分に理解できます」
ヒロノゼウスは一歩も退かず、眼鏡型ガイドスコープを展開したまま、静かに告げた。
「ですが、解析結果は睡眠麻痺。つまり、金縛りです」
「金縛り……?」
「竜に近づくほど、強烈な睡魔に襲われる。そこから先は、意識の浸潤。そして体細胞の破壊です」
ルーネが息を呑む。
「……それは?」
「即死です」
ヒロノゼウスは、淡々と言った。
「光のエルフ鉱石が瘴気から護る可能性はあります。ですが……我々は人間です。眠りという生理反応まで防げる保証はありません」
「つまり……」
「未知数で、極めて危険だということです」
「……くっ」
イザリオが、悔しげに歯を噛みしめる。
「イザリオ様」
ロスクが言った。
「ヒロノゼウスの言う通りです。ここは……結界膜の力を、信じましょう」
赤黒い竜がじわりと、さらに前へ前進し、第六結界膜はそれに抗うように、金色の光がいっそう強く脈動した。
イザリオは双剣を構え、ロスクもサーベルを構えた。
たとえ、勝てない相手だろうとも。
エルファーナとルーネは目を閉じ祈っていた。
ヒロノゼウスは赤黒い竜へ視線を向けた。
「……ん?」
結界膜に触れるたび、爪が削られていく。その爪は、すでに細く短くなっていた。結界膜越しにも、その変化ははっきりと見て取れる。
そのときだった。赤黒い竜は止まった。
ぴたり、と。不自然なほど唐突に。
そして、赤黒い竜の姿が揺らいだ。
まるで戦意を失ったかのように、ゆっくりと後退し、根の洞の入口へと引いていく。
「え?」
イザリオの声が掠れた。
「……なるほど」
ヒロノゼウスは頷いた。
「何が起きたのですか!?」
ロスクが、思わず詰め寄った。
「結界膜が勝ったわけじゃない。
赤黒い影と、第六層の結界膜は、互いに、エネルギーを“削り合った”のだろう」
ヒロノゼウスは、低く断言した。
「削り合った……?」
イザリ王子が呟いた。
「結界膜と赤黒い竜が接触し続ければ、
どちらかが崩れる前に、双方のエネルギーが失われる」
ヒロノゼウスは金色の紋様で張り巡らされ、なおも揺らいでいる結界膜を見た。
「赤黒い竜はそれを察知した。
このまま結界膜を破ろうとすれば、自分自身も、ここで失われる」
ルーネが唾を飲み込んだ。
「だから、引いたのですね……」
「完全に退いたのか?」
ロスクが尋ねた。
「私の相棒、鷹のゼブンに確認してもらいます」
「鷹と言葉が通じ合えるのですか?」
エルファーナが驚いた。
「はい。ルーフ研究員の成果です」
ヒロノゼウスは、淡々と答えた。
「まだ改善すべき点はあります。しかし……彼女の功績は、素晴らしいものです」
「素晴らしいですね。動物たちとコミュニケーションができるわけですね」
エルファーナの声が弾んだ。
「そうですね。実用化までもう少し時間がかかりそうですが……彼女の論文によって、研究はさらに進んでいくと思います」
ヒロノゼウスはガイドスコープの走査範囲を切り替えた。
そして、セブンへ念波を送った。
『セブン。赤黒い竜が根の洞から引いた。追ってくれないか』
『了解』
『気をつけろ』
セブンは高度を上げ、根の洞から島全体を俯瞰した。
『赤黒い竜を確認。追跡する』
しばらくして、ゼブンの念波がヒロノゼウスの脳裏に鋭く響いた。
『いたぞ。西のバリア塔跡だ』
ヒロノゼウスの眉間にしわが寄る。
『赤黒い竜が、西のバリア塔跡で、地底から湧き出る瘴気を集めている』
『何だと……?』
『本当か、ゼブン』
『ああ。本当だ』
ヒロノゼウスは低く息を吐き、顔をしかめた。
「どうした、ヒロノゼウス?」
イザリオが問う。
「ゼブンからの報告です」
ヒロノゼウスは、静かに続けた。
「崩落した西のバリア塔で、赤黒い瘴気が集められているとのことです。つまり……再編成です」
「再編成とは、何でしょうか……?」
ルーネが、不安を押し殺すように問いかける。
「簡単に言えば……
赤黒い竜へと進化した核石が、地上から吹き上がる瘴気を纏い、
やせ細った爪と、結界で損傷した身体を回復させているということだ」
ヒロノゼウスの額に汗が落ちた。
「逃げた赤黒い竜は、消耗したエネルギーを補うために、崩落した西の塔で瘴気を集めている。そして……再びここへ戻ってくるということですね……」
ルーネは、言葉を探すように息を呑んだ。
「はい。その可能性が高いです」
ヒロノゼウスは、短く頷いた。
「そしてまた、襲ってくる……」
ロスクが、かすれた声で呟いた。その場の空気が重く沈んだ。
洞窟の奥で、何かが息を吐いた。低く、鈍い音が、イザリオたちの耳に届く。
岩盤そのものが、共鳴するような響きだった。
「この奥から……何かが来る」
ヒロノゼウスが短く告げた。
活性化されていない第七層結界膜。その奥から、足音がする。
「魔物……か?」
全員が身構えた。
闇の奥から低い足音が、ひとつ。
「ごん」
そして、またひとつ。
「ごん」
足音は近づくにつれて、確かな重みを伴っていった。
「足音……?」
ロスクがサーベルに手をかけた。
イザリオも双剣の柄を握りしめた。
結界の内側に、何がいるというのか。
コメント
1件
うわあ、今回も手に汗握りました……!結界膜と赤黒い竜の“削り合い”、エネルギーを消耗させるというヒロノゼウスの分析がすごく納得できて、でもその計算の裏でじわじわ迫る絶望感があって。そして退いたかと思ったら瘴気を集めて再編成…って、もう本当に休ませてくれないですね(苦笑)。ラストの第七層の奥からの足音、あの「ごん」って鈍い響きが耳に残ってます。続きが気になる…!