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「――という訳で、私達はこれで御暇させて貰うよ」
瞬間、亜美を含む彼等の身体が薄くぼやけていく。
「――っ!!」
すぐに気付いた。これは分子配列相移転。彼等は撤退するつもりなのだ。
一度転移されたら最後、最早掴みようがない。
「待て雪夜ぁ! 亜美をっ――彼女をどうする気だ!?」
「どうもこうもしないよ、安心して。彼女には新しい世で幸せになって貰う」
薄れゆく彼等に雫は叫ぶが、エンペラーは意に介さない。
“幸せになって貰う”――どういう意味だろうか?
「次に君達と会うのは、世界が変わった後かもね? それまで自分達が進むべき道を、ゆっくりと考えておくといい。良い答を期待してるよ。だが、もしそぐわない時は――」
“殺す”
エンペラーの朗らかながら、ぞっとするような冷たく響く声が、確かに思考の内側で聴こえた気がした。
“ゾクッ”
その恐怖に、雫の背後で身を隠す悠莉は身震いが止まらない。
怖かった。もしかしたら、絶対に相手にしてはいけない者を、相手にしてしまったのではないかと。
「待て雪夜ぁぁ!!」
「逃がすか!」
思う悠莉を他所に、時雨が雫より先に動いていた。彼の周りには幾多もの水球が渦巻いている。
“ブラッディ・レールガンズ・ブレイジング ~超弾道血壊痕”
刹那――彼等目掛けて凄まじい速度の水の弾丸が、正にレーザー砲のように射出された。
第二宇宙速度の超弾道は、彼等が消えるより早くその身を捉えたと思われたが、そのまま虚無を貫通し大気圏外へ。
「くそっ!」
飛散した泡沫の幻影に時雨は舌打ちした。完全にこの場から逃げられてしまった。
“また会おう――”
だが姿形は見えずとも、エンペラーの声だけが響き渡ったが、それすらもすぐに消える。
「亜美……くっ!」
雫は悔し紛れか、地面に握り締めた拳を打ち付けた。瓦礫の欠片がその威力に木端微塵となる。
雫は己が許せなかったのだ。
エンペラーを逃がしてしまった事もそうだが、目の前に在りながら、みすみす亜美を連れ去られ、何も出来なかった自分自身の無能さにだ。
「幸人お兄ちゃん……」
悠莉は声を掛けるのも躊躇う。
分かっていた――亜美が幸人を好きなのは、彼女の一方通行ではない。幸人もまた亜美の事を想っていたのだ。
実は二人が既に大人の関係になっていた事も、悠莉には普通に気付いていた。そもそも彼女に隠し事は不可能だし、二人の間柄はあまりにも分かり易過ぎた。
そこに先を越された感は有っても、嫉妬等は無い。寧ろ祝福したいとさえ思っていた。
それが最大の敵の手に落ちる。それがどれ程の無念さか、計りようがない。
幸人はふと携帯を取り出した。今何故それが必要なのかは分からないが、そういえば仲介室からこの件に至る以前は、亜美とやり取りしていた事を思い出したのだ。
裏の顔へと移行した為、表を絶ったが案の定、亜美からの返信が入っていた。
何か手掛かりになるかもしれないし、何かにすがりたかったのかもしれない。
液晶画面の受信ボックスには――
“近くまで来たので、少し逢えませんか?”
と綴られていた。
“あっ! もう遅いから無理しなくていいです。でも……逢いたい”
それに続く切実な想い。
亜美は近くまで来ていたのだ。出来れば逢いたい――と。
返信が来なかった間の、彼女の心中は如何なものだったか。きっとその間、ずっと待ってたに違いない。
そして偶々、近くに居たであろうエンペラーとの戦闘現場を目撃。
これが偶然なら、何という運命の悪戯だろうか。
「亜美……くっ――」
幸人は己の軽率さを恥じた。どうしてもっと気遣ってやれなかったのかを。
「くっそぉぉぉっ!!」
そして自分自身への怒りで絶叫する。
「おい落ち着けや。今はショックを受けてる場合じゃねぇぞ? 急ぎ此処から離脱する」
今の心境を蹂躙するかのような、時雨からの非情な一言が雫へと向けられた。
「ちょっと、そんな言い方って!」
思わず悠莉が食って掛かる――が。
「いや、急ぎ此所を離れた方がいい。先程の爆発で騒ぎが大きくなる前に」
同意したのは薊だ。廃ビルが突然爆発したとなれば、周囲の住民や警察等も動き出すだろう。それだと裏に属する彼等としては、色々と面倒な事になりかねない。
エンペラー等が退いたのは、ある意味不幸中の幸いとも云えた。もしあのまま闘っていたなら、表を巻き込んで此処等一帯が焦土と化していた事だろう。
「そういうこった。まあエンペラーの野郎の言う事を丸呑みするなら、あの表の彼女が少なくとも殺されるって事はないだろ?」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
それでも悠莉は納得いかなかった。彼等が正しいのは分かる。
“だが幸人の気持ちは?”
「大丈夫だ……」
遮るように幸人が悠莉の肩に手を置いた。言葉とは裏腹に、声は上擦っていたが。
「仲介室で落ち合おう。積もる話は其処で」
だが今は悔しさに立ち竦んでいる場合ではない。
立ち止まり嘆くより、これからどうするか――だ。
「おう」
「よし、行くぞ」
時雨、薊、雫は同時に姿を消した。分子配列相移転で闇の仲介室へと向かったのだ。
だが彼等が消えた後も、悠莉は暫しジュウベエを抱いたまま現場に残っていた。
「幸人お兄ちゃん……」
「幸人の奴、無理しやがって……」
幸人が無理をしていたのは、二人には一目瞭然だった。
「ねえジュウベエ、亜美お姉ちゃん大丈夫だよね?」
「それは大丈夫だと思う。時雨じゃないが、アイツは女に手を掛けるような奴じゃない筈……」
それは以前の彼の事で、エンペラーである現在は分からないし、何処か引っ掛かる物言いではあったが、此処で幾ら考えても詮無き事。
なら亜美の無事を祈る以外に無い。
「うん、ボクもそう思う……。それにあの人は――」
それでも悠莉には、亜美の無事に何処か確信めいたものもあった。
絶対の根拠はないがあの時、エンペラーが亜美へ向けた表情。あれは危害を加える者の瞳ではない事に。
「おっと、お嬢。そろそろ行かねぇと」
ジュウベエが遮った。遠くでサイレンが聞こえ、徐々に近くなってくる。そしてざわざわとした声も。
騒ぎを聞き付けたのだろう。何時までも此処に居る訳にはいかない。
「あっ! うん、行こっ――」
三人より遅れて悠莉の姿も、この場から一瞬で消えていった。