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第10話 ジクウ回収屋
保管庫の最深部には、ほとんど誰も入らない。
棚が終わった先。
記録箱が終わった先。
灯りが細くなり、足音が自分の後ろから戻ってくるような場所。
そこに、一冊の古い記録があった。
二十三が最初に見つけた。
灰色の長い上着の袖を押さえながら、二十三は棚の奥へ手を伸ばした。
古い箱は、まるで長い眠りから起きるのを嫌がるように、少しだけ重かった。
蓋を開ける。
中には、布に包まれた一冊の記録帳。
紙は古く、端がやわらかく曲がっている。
表紙には、短い文字があった。
回収屋
二十三は、しばらく動かなかった。
時代整理局ではない。
時代異物管理課でもない。
記憶処理班でもない。
忘れ物センターでもない。
ただ、回収屋。
それは、今の局ができる前の名前だった。
連絡はすぐに回った。
「保管庫最深部にて、旧記録発見」
三百二十が来た。
十八が来た。
百七が来た。
五十二も、二百九十も来た。
誰も大きな声を出さなかった。
その記録帳の前では、自然と声が小さくなる。
十八が表紙を見た。
百七が手袋の指をわずかに動かした。
二十三は記録帳を机に置いた。
「開く」
十八が言った。
二十三がうなずく。
ゆっくりと表紙を開く。
最初のページには、こう書かれていた。
時代にそぐわぬ物を見つけたら、拾う。
拾えぬ時は、見守る。
見守れぬ時は、忘れさせる。
ただし、人の心まで奪ってはならない。
三百二十は息を止めた。
今の時代整理局の考え方と、ほとんど同じだった。
百七が低く言った。
「始まりだ」
十八がうなずいた。
「まだ番号制度もないころだな」
ページをめくる。
そこには、昔の回収屋たちの記録があった。
江戸の道に落ちた未来の針。
明治の港に流れ着いた時代違いの箱。
昭和の駅で見つかった、まだ存在しない切符。
未来の市場に混ざった古い湯札。
どれも短い記録だった。
でも、どの記録にも同じ目があった。
拾うだけではない。
見る。
待つ。
返す。
必要な時だけ、そっと記憶を整える。
三百二十はページを追いながら、これまでの任務を思い出していた。
江戸の橋の下。
記憶処理担当の部屋。
未来市場。
百七の古い失敗。
忘れ物センター。
磁馬事例集。
温泉街。
番号のない回収員。
全部、ここにつながっていた。
二十三が、あるページで手を止めた。
そこには、ひときわ古い文字があった。
最初の回収屋。
名を残さず。
番号を持たず。
ただ、落ちた物を拾い続けた。
三百二十は、保管庫の奥を見た。
番号のない回収員。
その気配を、何度か感じた。
待て。
見ろ。
今だ。
そういう声として。
十八が静かに言った。
「やはり、番号なしは創設以前の回収屋か」
百七は首を少し傾けた。
「一人とは限らない」
五十二が続けた。
「考え方そのものかもしれません」
二百九十が腕章を押さえた。
「物が帰る道を作った人たち」
三百二十は記録帳を見つめた。
過去。
現在。
未来。
どの時代にも、落とし物はある。
どの時代にも、拾う人がいる。
どの時代にも、見てしまう人がいる。
だから、回収屋が生まれた。
時代を大きく変えないため。
でも、人の小さな思いまで壊さないため。
記録帳の最後に、まだ続きがあった。
それは新しい紙だった。
古い帳面に、後から足されたページ。
そこには、今の回収員たちの記録が並んでいた。
百七。
十八。
五十二。
二百九十。
二十三。
三百二十。
三百二十の名前ではない。
番号だけがある。
それでも、その番号の横には、三百二十が見てきた任務があった。
江戸、橋下。
未来端末回収。
磁馬、筆一本。
本人回収確認。
未来市場。
小銭袋。
本人回収確認。
未来駅。
スケッチ帳。
本人返却確認。
温泉街。
未来温泉認証札。
本人回収確認。
三百二十は、胸の奥が静かに熱くなるのを感じた。
自分も、この記録の一部になっていた。
十八が記録帳を閉じた。
「これは封印しない」
二十三が顔を上げた。
「公開しますか」
「全員には見せない。だが、研修資料に一部入れる」
二百九十が少し笑った。
「また磁馬事例集が厚くなるね」
十八は今度は止めなかった。
百七が言った。
「必要だ」
五十二もうなずいた。
「始まりを知らないまま続けるより、知った方がいい」
三百二十は黙っていた。
その時、局内連絡が鳴った。
短い音。
新人配属。
番号四百一。
教育担当、三百二十。
三百二十は目を丸くした。
「僕が」
十八が三百二十を見た。
「そうだ」
「まだ早いのでは」
百七が静かに言った。
「早いと思えるなら、遅すぎない」
二百九十が笑った。
「それ、百七らしい」
五十二が三百二十に言った。
「最初に何を教えるか、考えておくといい」
二十三は古い記録帳を抱えた。
「始まりの記録は、ここにある」
十八は言った。
「次へ渡せ」
三百二十は、ゆっくりうなずいた。
新人番号四百一は、報告室の前で待っていた。
灰色の上着は新しい。
肩の鞄も新しい。
鞄の紐を握る手に、緊張が見える。
三百二十は、その姿を見て少しだけ昔の自分を思い出した。
江戸へ行く前。
十八の後ろで、何もわからず立っていた自分。
四百一が頭を下げた。
「新人番号四百一です」
三百二十はうなずいた。
「三百二十だ。今日から教育を担当する」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
言ってから、三百二十は少し照れた。
教育係らしい言い方は、まだうまくない。
十八が少し離れた場所で見ている。
百七も通路の向こうにいる。
二百九十は腕章を揺らしながら、わざと何も聞いていない顔をしている。
五十二は静かに見守っている。
二十三は保管庫の扉の前に立っていた。
三百二十は、四百一を連れて通路を歩いた。
「時代整理局の仕事は、時代にそぐわない物を回収することだ」
「はい」
「時代異物は、大きさでは判断できない。小さな紙切れでも、時代を曲げることがある」
「はい」
「目撃者がいれば、記憶処理を行う場合もある。ただし、何でも消せばいいわけではない」
四百一は真剣に聞いている。
三百二十は、自分の言葉が少しずつ落ち着いていくのを感じた。
「忘れ物センターでは、物だけではなく持ち主の足取りを見る」
「はい」
「保管庫には、返せなかった物もある。記録は軽く扱わない」
「はい」
「回収は、拾うだけではない。待つこともある。見守ることもある」
「はい」
四百一の返事が続く。
三百二十は思わず言った。
「返事は一度でいい」
言ってから、十八と同じ言葉だと気づいた。
四百一は口を閉じた。
それから、あわててうなずいた。
三百二十は少し笑った。
通路の先に、扉があった。
初任務へ向かう扉。
その前で、三百二十は立ち止まった。
「行く前に、ひとつ教える」
四百一の背筋が伸びる。
「任務手順ですか」
三百二十は、少しだけ昔の十八の顔を思い出した。
江戸の匂い。
橋の下。
未来端末。
磁馬の筆。
そして、局で最も有名な内規。
三百二十は言った。
「磁馬を見かけたら周辺を捜索しろ」
四百一は、まばたきをした。
もう一度まばたきをした。
「すみません。今のは」
「内規だ」
「磁馬というのは」
「画家だ」
「画家」
「時代を旅して絵を描く」
「回収対象ですか」
「違う」
「危険人物ですか」
「違う」
「では、なぜ」
三百二十は扉に手を置いた。
十八が遠くで、ほんの少しだけ口元を動かした気がした。
百七は目を伏せていた。
二百九十は笑いをこらえていた。
五十二は静かにうなずいていた。
二十三は保管庫の扉を閉じた。
三百二十は、四百一に言った。
「落とす」
「何をですか」
「いろいろだ」
「いろいろ」
「筆、紙、小銭袋、湯札、訳機、たまに饅頭」
四百一は困った顔をした。
三百二十は、その顔を見て、ますます昔の自分を思い出した。
「でも、磁馬は必ず探す」
「必ずですか」
「必ず」
三百二十は扉を開けた。
向こうから、古い町の風が流れてくる。
「だから、俺たちは周辺を捜索する。異物を探すためでもある。落とし物を守るためでもある。本人が見つける時間を守るためでもある」
四百一はまだ全部わかっていない顔をしていた。
それでいい。
三百二十も、最初はそうだった。
「現場でわかる」
三百二十は言った。
二人は扉をくぐった。
向こうは、昭和の商店街だった。
店先に野菜が並び、遠くで自転車のベルが鳴る。
揚げ物の匂い。
人の声。
犬の足音。
四百一は周囲を見回した。
「すごい」
「口を開けすぎるな」
三百二十は言ってから、また十八の言葉だと気づいた。
商店街の先に、人だかりがあった。
茶色の上着。
布の肩掛け鞄。
少し跳ねた髪。
手にはスケッチ帳。
磁馬だった。
四百一が小さく言った。
「あの人が」
「そうだ」
三百二十は足元を見た。
店の台の下を見る。
子どもの手元を見る。
犬の鼻先を見る。
磁馬の鞄の口を見る。
磁馬は店先で絵を描いていた。
商店街の人々がのぞきこんでいる。
磁馬は照れたように笑う。
その腰から、小さな鉛筆が一本、落ちた。
ころり。
店の足元へ転がる。
四百一が一歩出かけた。
三百二十は手で止めた。
「待て」
四百一が振り向く。
三百二十は静かに言った。
「見る」
鉛筆は店の台の下で止まった。
犬が近づく。
子どもがしゃがむ。
磁馬はまだ気づいていない。
三百二十は周囲を見た。
揚げ物屋の主人が、ちょうど台の下を掃こうとしている。
その手が鉛筆へ向かう。
三百二十は自然に近づいた。
「すみません、落とし物かもしれません」
主人が足元を見る。
「ああ、これか」
その声で、磁馬が振り向いた。
「あ、それ、私のです」
磁馬は急いで戻り、鉛筆を拾った。
手で軽く払う。
鞄にしまう。
そして、ほっとした顔で言った。
「あった」
四百一は、その声を聞いていた。
三百二十は記録札を取り出した。
昭和商店街。
磁馬を確認。
鉛筆一本。
本人回収確認。
四百一が小さく言った。
「本当に見つけました」
三百二十はうなずいた。
「いつもそうだ」
「いつも」
「だから、見る」
四百一は磁馬を見た。
磁馬はまた絵を描き始めている。
今度は鞄の口をしっかり閉じている。
たぶん、しばらくは大丈夫。
たぶん。
三百二十は周囲を確認した。
異物反応はない。
目撃者処理も不要。
ただ、鉛筆が持ち主へ戻った。
小さな出来事。
でも、時代の裏側では記録になる。
四百一は言った。
「回収員の仕事って、もっと大きなものだと思っていました」
「大きなものもある」
三百二十は答えた。
「でも、小さなものもある」
「鉛筆も」
「鉛筆も」
「饅頭も?」
三百二十は少し考えた。
「饅頭は、本人が食べたか確認してからだ」
四百一は少し笑った。
その笑い方に、緊張が少しほどけていた。
局へ戻ると、三百二十は四百一に報告書を書かせた。
四百一は筆を握り、何度も考えながら書いた。
昭和商店街。
磁馬を確認。
鉛筆一本落下。
本人未認識。
店主が気づき、本人が回収。
本人回収確認。
最後に、四百一は少し迷ってから書き足した。
最初は変な内規だと思った。
でも、現場で少しわかった。
三百二十はその行を見て、胸の奥がふっと温かくなった。
昔、自分も同じようなことを書いた。
十八が後ろを通った。
四百一の報告書を見て、記録筒で机を軽く叩いた。
こん。
「残せ」
四百一は驚いて顔を上げた。
三百二十は笑いそうになった。
保管庫の最深部では、古い記録帳が新しい箱に収められていた。
表紙には、変わらずこうある。
回収屋
その隣に、新しい札がついた。
ジクウ回収屋。
二十三はその札を見て、静かにうなずいた。
過去から、現在へ。
現在から、未来へ。
拾う者たちの仕事は続いていく。
番号を持たぬ者が始めた道。
百七が歩き続けた道。
十八が教えた道。
五十二が記憶を整えた道。
二百九十が忘れ物を返した道。
二十三が記録を守った道。
三百二十が受け取り、四百一へ渡した道。
その道の途中に、いつも少しだけ困った顔の画家がいる。
磁馬。
よく落とす。
よく探す。
必ず見つける。
だから、回収員たちは今日も内規を胸に置く。
磁馬を見かけたら周辺を捜索しろ。
それは、時代整理局で最も有名な内規だった。
そしてたぶん、これから先も変わらない。
どこかの時代で、また何かが落ちる。
誰かが拾う。
誰かが見る。
誰かが忘れかける。
誰かが思い出す。
その裏側で、ジクウ回収屋たちは歩いている。
大きな拍手はない。
名前が残らないこともある。
番号さえ残らない者もいる。
それでも、落ちた物が帰るなら。
時代が静かに続くなら。
誰かの大事な記憶を壊さずに済むなら。
それでいい。
保管庫の奥で、古い記録帳のページが、風もないのに少しだけ動いた。
まるで、誰かがうなずいたように。
三百二十は、その音を聞いた気がした。
そして、報告室で四百一の次の任務札を見た。
未来駅。
巡回。
異物反応、弱。
三百二十は回収鞄を肩にかけた。
四百一も慌てて立ち上がる。
扉が開く。
未来の駅のざわめきが、向こう側から流れてきた。
三百二十は一歩進んで、四百一へ言った。
「足元だけを見るな」
四百一がうなずく。
「人の手元も見る。物の流れも見る。持ち主の顔も見る」
「はい」
「返事は一度でいい」
四百一は口を閉じた。
三百二十は少し笑った。
そして二人は、時代の裏側へ歩いていった。
ジクウ回収屋の仕事は、今日も終わらない。
終わらなくていい。
誰かが何かを落とす限り。
誰かがそれを大事に探す限り。
回収屋たちは、何度でもその道をたどる。
過去へ。
現在へ。
未来へ。
落とし物が、ちゃんと帰れるように。
コメント
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第10話、読み終わりました……じんわりと胸が熱くなりました。 保管庫の奥で見つかった古い記録帳「回収屋」、そこから始まった物語が、番号を持たぬ者たちの道を経て、三百二十から四百一へと確かに渡されていく。その連鎖の美しさに、何度も目頭が熱くなりました。 「磁馬を見かけたら周辺を捜索しろ」という内規が、単なる注意喚起ではなく、誰かの落とし物を守り、持ち主が取り戻す時間を守るための愛情だとわかる瞬間が、本当に好きです。四百一が「少しわかった」と書き足すところに、成長の予感がぎゅっと詰まっていました。 最終話として、この上なく優しく、眩しい終わり方でした。ありがとうございます。
#スリースター
新月 つむり🐌
66
りんごあめ
りすぐみ
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