困ったように押し黙っている雪子を見て、俊は言った。
「雪子さんは遊び慣れていないのかな? 今まではお父様や息子さんのお世話で忙しかったから。だから戸惑っているのか
な?」
「いえ、私はそんなに立派な人間ではないんです。春までは正社員で働いていましたし、だから父の事も息子の事も満足のいく
ようにはなかなかしてあげられなくて…」
雪子は忙しかった当時を振り返りながら言った。
「お仕事はどういう関係だったのですか?」
「デパートの外商を担当していました。その店舗が春で営業を終了したのでそれを機に退職しました。今のスーパーはまだ働き
始めて3ヶ月なんです」
「そうでしたか。春に閉店したデパートと言うと……横浜の?」
「はい、そうです」
「それまで働き詰めだったのにいきなり時間が出来たら戸惑うのは無理もありませんね。でも、だからこそこれからいっぱい楽
しまないと」
「そう思うんですけれど、ずっと職場と家との往復だったので楽しみ方がよく分からなくて」
雪子はそう言った後、ハッと何かを思い出して続けた。
「でも最近知り合いのカフェでやっているコーヒースクールへ通い始めたんです。デパートを辞めてから初めて踏み出した最初
の一歩です」
「コーヒーの勉強ですか? いいじゃないですか! うん、ちゃんと行動出来ていますね」
「はい…」
雪子は恥ずかしそうにはにかむ。
「じゃあ決まりですね。記念すべき二歩めは、私とのディナーと言う事で! 夜で都合の良い日を教えて下さい」
「…….」
「私と一緒だとつまらないですか?」
「いえ、その逆です。私なんかと食事に行っても、きっと一ノ瀬さんが退屈すると思います」
「そう思っていたら誘いませんよ」
俊はそう言って笑う。
「でも…….」
「いつの夜だったら出られますか?」
(食事は夜なの?)
雪子が男性と二人きりで最後に食事をしたのは、職場の先輩とデパートが営業を終える間際だったので6~7ヶ月前の事だ。
先輩は板倉と言い、雪子がデパートへ新卒で入った頃からの古い顔見知りだった。
板倉は元夫の同期なので、結婚式の際にもとても世話になった。
雪子は接客の基本のほとんどを板倉から教えてもらった。
板倉とは、和真が大学生になった頃からたまに食事や飲みに行くようになった。
板倉もバツイチなので、お互い同じ経験をしたもの同士気楽に話せる。
そして板倉は元夫の不倫相手についてもよく知っていた。
雪子はその後デパートを退職したが、板倉はそのまま東京の本店へと異動した。
そこは元夫と不倫相手がいる店舗だ。
板倉とは、時折SNSで挨拶程度のやり取りはしていたがあれ以来会っていない。
今は新しい店舗で忙しくしているのだろう。
雪子が物思いに耽っていると俊が呟く。
「なんか警戒されているかな?」
「いえ、そんな事はありません」
「実は辻堂に大学時代の親友が一人いるのですが、それ以外こっちには全く知り合いがいないんです。だから雪子さんに友達に
なってもらえるとありがたいのですが」
俊のその『友達』というワードになぜか安心感を抱いた雪子は、ついこう返事をする。
「あ、お友達なら…….喜んで」
「良かった。じゃあ都合の良い日を教えて下さい」
そこで雪子はとうとう根負けして答える。
「夜の外出は次の日が仕事だときついので、休みの前の日だと助かります」
「今度の休みはいつ?」
「木曜日です」
「じゃあ水曜日の夜でもいいですか?」
「はい…あ、でも一ノ瀬さんのお仕事は? まだこちらへは引っ越していないんですよね?」
「大丈夫です。今やっている仕事はリモートでなんとかなりますので」
「いえいえ、お仕事優先で。私はまだ先でも構いませんので」
「お気遣いありがとうございます。でも水曜日で大丈夫ですよ。雪子さんのお仕事は4時まででしたよね?」
「はい。あ、でもたまに1時間ほど残業を頼まれる事があります」
「じゃあ午後6時なら大丈夫かな? 6時に家の前まで迎えに行きます」
「えっ? わざわざ? それは申し訳ないです」
「車で行きますので大丈夫ですよ。では水曜日の午後6時に!」
「あ、…….はい」
雪子はそう言ってぺこりとお辞儀をした。
(どうしようどうしよう、大変な事になったわ!)
雪子はそう思いながら心臓のドキドキが止まらなかった。
和真を駅まで送った後、ただゆっくりとコーヒーを飲んでいただけなのに一瞬にして凄い事態になってしまった。
その時、雪子の頭には先程女性に言われた一言が蘇った。
『なによっ、ただの年増のオバサンじゃない! ダッサ!』
すると急に消えてしまいたいような気持になる。
こんなおばさんが、豊村悦司似のクリエイティブな世界で生きる男性と二人きりで食事に行ってもいいのだろうか?
雪子はやはり憂鬱になってくる。
そんな雪子の動揺など全く知る由もなく、俊はご終始機嫌な様子だった。
二人はそれからしばらく世間話をした後、店を出た。
コメント
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そうそう....‼️😊お友達からスタート🎶 素敵なディナーをめいっぱい楽しんできてね~🍴🌃✨💕
そうそう!お友達から🤩記念すべき2歩目は俊さんと✨✨✨辻堂の友人…🤭
豊川悦司似の男性とディナー何て洒落てる楽しんで来てください 🤭