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「ぎょう、こう……?」
漢字がすぐに思い浮かばない。私は困惑しながらおうむ返しにつぶやいた。
高原は私に目線を合わせる。
「今度こそ、捕まえておきたいと思ったんだ」
彼が見ているのは私自身だと分かってはいたが、訊ねずにはいられない。
「捕まえておきたい?……誰を?」
「君を」
「そんなのあり得ない……」
私は呆然とした。彼の今の言葉は、私を好きだと言っているように聞こえた。しかし、あの飲み会での私に対する彼の態度を思い出せば、その言葉を素直に受け止められるわけがない。
「馬鹿にしてるの?」
高原は首を横に振る。
「馬鹿になんかしていない。早瀬さんのことが好きなんだ」
私は眉根をぎゅっと寄せて固い声を出す。
「からかわないでください」
「からかってなんかない」
私を見つめる高原の目は真剣だった。
「すぐに信じてもらえないのは仕方がないと思っている。あの日、あんな態度を取ってしまった自分のせいだから。これからゆっくりでいい。少しずつでいい。俺のことを知っていってもらえないか」
「そんなこと言われても……」
動揺して目を泳がせる私に彼は言った。
「でも君は、俺といることが嫌じゃないだろう?違うか?」
「どうしてそう思うの。仕事で絡まざるを得ないから、ただ我慢して付き合っているだけかもしれないじゃない」
高原は私の顔をのぞき込む。
「もしも俺のことが嫌いだというのなら、どうしてさっさと逃げなかったんだ?そのための理由なんて、いくらでも適当につけられただろう?チャンスだってたくさんあったはずだ。でも、君はそうしなかった。つまりそれは、俺をそこまでは嫌っていないってことだろう?」
「解釈が強引すぎるわ。それに、あなたは仕事関係の人だから……」
「本当にそれだけか?実は俺のことが、気になり始めていたりするんじゃないのか?」
「そ、そんなことあるはずがないでしょ。自分に都合のいいように考えないでください」
私は反抗的に言いながら、目を逸らした。胸がどきどきしているのは緊張のせいなのか、言い当てられたせいなのか。白状するならば、彼の言葉を否定できなかった。確かに思い当たることがあったからだ。その時々の感情の揺らぎは恐らく、「ときめき」と表現してもよさそうなものだったと思う。しかし仮にそうだったとしても、彼に恋愛感情を抱き始めているという証拠にはならない。
「まぁ、いい。とりあえず今日はここまでにしておくよ」
笑いを滲ませた声で高原は言った。
その声音がひどく優しいものに聞こえて私は戸惑う。
「今日はって……」
「さっきも言ったように、俺のことをゆっくり知ってほしいから、今は急がないっていう意味さ。あぁそれから。仕事は仕事として、これからもよろしく頼む」
「あ……えぇと……。はい……」
高原に翻弄されたおかげで頭がうまく働かない。そのせいで、ついぼんやりとその顔を見つめてしまっていたらしい。
彼がからかうように言った。
「帰らないのなら、このままどこかに連れて行くけどそれでもいいのか?むしろその方がじっくりゆっくり口説けそうだ」
意味ありげな目で言われて顔中がカッと熱くなる。
「か、帰るわよ!あ、ありがと!」
バタバタと車を降りようとしたが、最後にもう一度念を押そうとして私は高原を振り返る。
「あなたも言った通り、仕事は仕事ですから!そこはけじめを持ってよろしくっ」
「分かってるよ。だけど個人的にも連絡する。その時は何かしらの反応はしてくれよ。……ね、佳奈ちゃん」
「え……?」
下の名前を「ちゃん」付けで呼ばれて困惑した。合コンの時にかおりが呼んでいたのを覚えていたのだろうかと怪訝に思う。
その隙に高原はさっと車を降りて、助手席側のドアを開ける。
「気を付けて帰れよ」
優しい声音にどきりとした。私の名前を口にした時の彼の表情が瞼に焼き付く。落ち着かない気持ちで、私は高原の姿を目で追った。
私に気がついた彼は軽く片手を上げて車に乗り込み、帰って行った。
高原からメッセージが届いたのは、その夜、日付が変わる少し前だった。
『今日は付き合ってくれてありがとう。また今度改めて誘う』
心のどこかで、今夜のことは彼の冗談か気まぐれに違いないと思っていた。だから、本当にメッセージを送ってくるとは思っていなかった。
その文面を見返しながら、彼の柔らかな声や微笑み、手の感触が思い出されて気持ちが揺れる。彼の告白を受けて、自分はどうしたいのか、どうしたらいいのか、迷っている。そんな状態で気軽に返信はできないと思った。悶々と悩んだ結果、私は当たり障りのない、ある意味素っ気ないような短い一文を返すにとどめた。
『今日はありがとうございました』