あれからセナはすぐに子猫の部屋を用意するべく準備を始めてくれた。
何が召喚されるか不明ではあったが、召喚者に今後の生活を送ってもらう為に用意していた部屋は人間仕様にしていた。楽なのでそうであって欲しい気持ちが少なからずあったのと、僕の部屋の側にすぐにでも用意出来るのがそれだけだったからというのもある。体格の違いすぎる者や水中生物とかだったら、それはそれで改めて考えるしかないと割り切り、準備させていた。
初対面の召喚者が僕に敵対しない保証は無かったが、それでも僕は近くに部屋を用意させたかった。一緒に居て僕を癒してくれる存在が欲しくって召喚魔法を使ったのだから、当然だろう。
“神子”である僕に、執事の様にして仕えてくれる神官のセナや身の回りの世話の一切を担ってくれている使用人達も、『僕の側に居てくれる存在』ではあるが、僕が今欲しかったのはそういった者じゃ無かった。彼等は皆優しいし仕事も丁寧だが、僕とは主従関係がどうしても存在する。どんなに僕が気軽に接して欲しくても、土台無理な話だ。
お互いの、時間の流れの差が関係を深める事への難しさにも影響していた。
使用人達は三十年程度でどんどん面子が入れ替わっていくので、その度に寂しさが僕の心を抉っていくのだ。神官職に就いてくれる者だけは前世の記憶持ちなので、神官とだけは少しだけ接しやすいのが救いだが。
新たな“神子”が生まれ、神官として仕える様にと“神子”の親神に選ばれた者達は、それ以降高確率で『前世持ち』となって、前世の記憶を持ったまま生まれてくる。神官であった事を覚えている者は自己申告で主人の神殿まで来訪し、『前世持ち』だと認められれば再び神官に。記憶はあれども今世では嫌だと思えば、逃げても構わなかった。だからか、今の僕の側に居てくれている神官は“セナ”ただ一人だ。
他の者達はきっと、今回は珍しく記憶が無いか、今頃は前世の記憶が眠ったままになっている幼少期にあたっているのか、もしくは記憶を持ったまま今の人生を謳歌しているのだろう。
神官として復帰してくれても、また別の機会にと思っていても、僕はどちらでも構わない。でもいつか、会わなかった人生ではどんな経験をしてきたのかを話してくれる為に、また僕の神官になってくれたらちょっと嬉しいなとは思っている。
——熟睡する子猫を手の上で寝かせたままソファーでくつろぎ、彼女の顔を覗き込む。いくら見ていても飽きない愛らしさに破顔していると、部屋の準備が出来た事を知らせを伝えにセナが僕の部屋へ来てくれた。使用人総出で用意したのか、二時間程度でこの子の部屋の準備をしてくれたので、後で他の皆にもお礼を言っておこうと思う。
僕の私室のすぐ隣。召喚された者の為に用意されたスペースには、居間と二つの寝室。洗面室にウォークインクローゼットなどといった生活に必要な空間は全て揃っている。
本来なら妻となる立場の相手に与える空間なので当然だろう。二つのうちの片方の寝室が僕の部屋からも出入り出来るの作りなので、『妻の部屋』という認識は僕の勘違いでは無いはずだ。
ウォークインクローゼットには男女どちらでもいいように多くの服が用意され、洗面室には様々な日用品、居間にはテーブルやサイドボードなどの最低限生活に必要な物や家具が全てそろっていた。でもそれは全て“人”が使いやすい様にと置かれた物なので、今はほとんど撤去されている。
王族達の城とは違い、僕の住む神殿は無駄な豪華さは無いものの、どれも上質な物ばかりだが白を基調とした比較的シンプルな造りだ。だが、神々を讃える絵画や彫刻、天井画などがそこかしこに飾られおり、やらたと『此処は神殿なのだ』と主張している。時々それらを邪魔だなと思うが、勝手に片付けたら流石に怒られそうなのでずっとそのままだ。
手の中の彼女を連れ、セナと一緒に部屋に入ると、窓の側に籠が置かれているのが見えた。中を覗き込むとそこにはクッションが収まっていて、昼寝用ベットの様だった。周囲には小さなボールや草の植えてある背の低い植木鉢。小さなヌイグルミや、登ったり引っ掻いたりしても大丈夫そうなタワー型のオモチャまであり、驚いた。
そんな僕を見て、セナがホッとした様な息をつく。『要望以上の出来だ』と、きっと言わなくても彼には伝わったのだろう。
「名前はお訊きしたんですか?」
スヤスヤと眠ったままの子猫を昼寝用ベットにそっと寝かせた僕にカイルが訊いてきた。
「いや」と首を横に振ると、意外そうな顔が返ってくる。
「訊いたけど、答えは無かった。多分まだ生まれたてで、言葉でのやり取りすらも知らないんじゃないかな」
異世界からの召喚者と意思の疎通が最初から出来る様に、召喚の魔法陣には通訳の効果を乗せていた。でもそれは、あくまでも相手が話せる事が前提のものだ。意思の疎通すら出来ない存在や言葉を知らない相手では効果が無い。彼女がこの先僕達の言葉を理解出来る様になる可能性はあるが、『猫』が相手でも通訳の魔法が適応され、会話が出来るようになるのかは何とも言えなかった。
「なるほど、それは大変ですね」
「そうかい?幸い相手は子猫だ、愛玩動物だと思えば意思の疎通なんてなんとなくでもいいんじゃないかな。どうしても必要そうなら、また古代魔法書の中を探してみるよ」
「そう、でしょうか。まぁ…… カイル様がそう仰るならそれで良いのですが」
歯切れの悪いセナの返事に、僕は眉をひそめた。
「意思疎通の件はそれでいいにしても、名前は必要ですね。いつまでも、“この子”と呼ぶままでは少し不憫ではないでしょうか」
顎に手を当て、セナが思案する様に軽く上を見る。
「それはそうだね、うん。でも本人が知らないものはどうしょうもないよね」
「でしたら、カイル様が名付け親になられてはいかがでしょう」
「ぼ、僕が、彼女に名前を贈るの?」
「“神子”であらせられるカイル様から名前を授かるのは、大変名誉な事かと思いますが」
「いや待ってよ、そんな…… 僕は別に大層なもんじゃ…… 」
名は体を表す。
僕がこの小さな存在の一生を決めるのかと思うと、正直気が引けた。名前は親が付けるのがこの世界の常識だし、僕は彼女の親じゃ無い。
でもセナの言う事はもっともだ。名前も無い存在と暮らすのは何より不便そうだし、可哀想だ。だからといってそんな簡単に思い付くものでも無い。事前にこうなるとわかっていれば幾つでも考えておいてあげただろうが、咄嗟には良案など何も浮かばなかった。
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