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「ここに座って」
彼をベッドの側まで連れて行き、座るように促す。やたらと大きなベッドのせいで、私の寝室だったはずのこの部屋には今、天蓋付のベッドとサイドテーブル、あとは多少の作業が出来そうな机と椅子がある程度の状態になっている。この部屋だけで食事以外はだいたい事足りる便利で快適な空間だったはずなのに、本物のロイさんが巨大なベッドなんかを持ち込んだせいで、私がこの部屋に足を踏み入れたのは数週間振りになってしまった。
最近はこの寝室では眠らずに一階の居間にあるソファーを寝台代わりにして眠る日々が続いている。こんな場所に、あんな事があったベッドでなど、とてもじゃないが眠る気にはなれないからだ。
「……解った!此処は寝室だね?」
ベッドに座った瞬間、全然私の居る位置とは関係ない方向を見て、人形である『彼』が自信満々に言った。机の側にある椅子を引き、私は「正解。でも私はこっち」と伝えながらそれに座って両膝に頬杖をつく。
「意地が悪いなぁ、そっちに移動していたなんて。でもまだ声が遠いね、これは距離のせいかい? それとも僕の方に問題が?」
「……まだ、聞え難いの?」
「うん、そう」
(この空間だけじゃまだ足りないの?そんな馬鹿な。……あーでも、仕方ないの、か。彼が家に居た時間は宣言したよりもずっと、あまりにも短かったもんなぁ)
軽く息を吐き、じっと自分の素手を見る。まださっきの疲労感が体に残っているから、耳が聞え難いままでは不便だろうけど、改善してあげるのは難しい気がする。
(でも、今までの人形達は一回の転移で難なく済んでいたのに、どうして『彼』だけはそうじゃないんだろう?)
「……じゃあ、また少しの間だけじっとしていてもらえる?」
不可解な疑問を抱きながらも、私は彼の傍に近寄りそっと手を伸ばした。少し無理をする事にはなるが、再び『残留思念』の転移作業をする為にだ。
「わかったよ、どうぞお好きに」と言い『彼』が両手を私の方へと広げる。そんな奴の頭を無言で思いっ切り叩くと、お巫山戯が過ぎたと気が付いてくれたのか、すぐに彼は腕を下ろしてくれた。
ベッドに手を付き、彼の頬に触れる。『じっとして』とさっき言ったばかりなのに、彼は頬に触れている私の手にそっと自身の手を重ねてきた。……温かさと柔らかさのある感触に、我が作品ながら少しドキッとしてしまう。無理も無いか……だってこの子は私にとって、とても『特別な人形』なのだから。
深く息を吸い込み、意識を集中する。それにより再び両手の刺青が蒼く光りだす。体を駆ける鈍い痛みと、読み取れぬ量の思念の流れのせいで自然と出そうになる呻き声を殺しながら耐えていると、彼は私の頬をその両手で優しく包んできた。
その行為を咎める事無く、ベッドに残っていた全ての残思を彼の中に移す。体が軽くなったのを合図に残思の移動を終えると、私はすぐさま彼の頬からパッと手を離した。
「さぁ、流石にこれで、私の声がきちんと聞えるよね?」
問い掛けたが彼から返事がない。私の頬から手を離す気配もなく、少し俯き、『彼』は微動だにしないままだ。
「ど、どうしたの?」
壊れるような事は何もしていないはずなのだが、動かない『彼』に対し、不安な気持ちが胸いっぱいに広がる。いつもなら一度の転移で済むのに、一度では済まなかったのは、もしかして何か特異なトラブルでもあったんだろうか?本来ならば『残留思念』のある場所に居れば、私がわざわざこうやって一々何度も転移をしなくても、物や空間に残る残思を連鎖的に引き抜いて自主的に取り込むはずなのにどうして?と、『人形が動かない』など本当なら普通の事なのに、焦りまで感じ始めた。
「ねぇ、返事をしてよ。——ひゃぁっ!」
急に『彼』が動き出したかと思うと、肩を強く掴まれ、私の体を『彼』がベッドの上へ押し倒した。
「——な!?は、離しなさい!」
驚き、声を荒げる。何が起きたのか一瞬わからなかったが、危機的状況である事は流石に何となく察した。
ベッドに押し付けられている肩が痛み、少し軋む様な音がする。何も声を発する事無いまま『彼』は私の脚に跨ると、目が無いせいで表情がほとんど読めない顔を私へ向けた。
「離す?何でだい?コレが君の望みだろう?」
低い声が上から注がれ、私の手の指先だけが少しピクッと動いた。
「……目が見えなくても案外どうにかなるもんだね。今、芙弓が僕の声を『素敵な声だな』って思っているのがハッキリとわかるよ」
「——んな訳がないでしょう!?はな、離してってば!」
目は見えないのに、完全に心は見透かされていて『彼』は自分が作った『人形』でしかないのに腹が立つ。こんな納得の出来ない状態から抜け出す為、腕を上げて『彼』の体を押し返したいのだが、肩を押さえられていて出来ない。『彼』を蹴って逃げようにも、脚の上に跨られているせいでそれすらも無理だった。
「は・な・し・て!」
「嫌だよ。『自身に架した誓い』を気にしなくていい今、僕がしたい事はたった一つしかないんだからね。例えコレが虚空の身であっても、ずっと胸の奥に感じている想いから逃げないで済むなら、こっちの方がいいのかもしれないな……」
そう言った彼の声はとても穏やかで、何かを悟ったかの様に静かなものだった。
「何を言って……」
「芙弓だって、ソレを望んでいるんだろう?だから君を傷付けるだけの『本物』には会おうともせず、『人形』である僕なんかを動かしたんだ。違うかい?」
「ち、違う!私はただ——」
私の言葉はそれ以降続けられずに彼の口の中へ消えた。人のソレとほとんど違わぬ唇が私の口を塞ぎ、熱い舌を口内へと忍ばせてきたからだ。唾液の様な分泌液は『人形』である彼には無いのだが、その分を補うかの様に執拗に私の舌に自身の舌を絡めて互いの口内を濡らそうとする。
「んうっ、ふぐっぅ!」
(こんな事をしたくて動かしたんじゃないのに! なんだってこんな事に!?)
ロイさんとの別れ際を考えれば、彼の思念を持つ『人形』のやらかす行動など予想出来たはずなのに、それを全くしていなかった自分に腹が立つ。 私の大事な『人形』に、それをさせてしまっているロイさんの思念に対しても。
「——ぷはっ!」
彼が口を離した瞬間、私は大急ぎで息継ぎをした。情報として『キスの間の呼吸は鼻呼吸』だと頭では分かってはいるのに最中はパニックになってとてもじゃないが無理だった。『知識』を持っていようがこの先も出来る気がしない。あんな事されて落ち着いてなどいられるか。
「ホントにイヤだって!もう放して、今ならまだ怒って壊したりなんかしないから!」
首を横にブンブンッと振りながら『彼』に言う。
「何故?芙弓は僕が——いや……正確には、『ロイ・カミーリャ』の事が好きなのに?」
「……は?」
その発言のせいで瞬時にして頭の中が真っ白になる。『彼』からは出てくるはずのない言葉を口にされただけなのに、私にとってはとんでもない破壊力だった。