「ぼ……『ロイ』が、前に言ったよね?『芙弓の購読している雑誌も、秘密にしておきたい事も知ってるよ』ってさ。その言葉の意味、今まで考えてみたりはしなかったのかい?」
そう言われてみればそんな話もあったかもしれない。だがその時はそれどころではなかったせいで、そんな言葉をロイさんが言っていた事すらも今まですっかり忘れていた。
「必ず『彼』の出ている番組を録画していたり、色々な雑誌を購読してはいるけど、それらは全て『彼』の記事があった時だけとなれば、その理由ってもう『好き』しかないよねって考えてしまったとしても、自意識過剰じゃないよね?」
「……は、ははは……あ、あ、あるはずがないじゃない、そんな——」
今までの私の行動がロイさんにバレていた事がショックで、声が不自然になる。
しかもどうやって調べたの?
購読雑誌程度ならまだかろうじて想像出来るとして、録画していた番組だとかなんて、そんな細かい事までいったい。
……もしかして、ウチを掃除したのは、家中が汚かったからじゃなくて、私の弱みを握る為? でも何故弱みを? まさか、そうしたい程に私の事が——『嫌い』なの?
「好きな相手とほとんど同じ体になら、別に何をされてもいいよね?」
「ち、違う!私は別にっ」
「そうかい?芙弓が言うんならそれでもいいよ。そうだとしても、僕のする事に変更はないんだし」と言うと、今さっきの言葉とは相反し、『彼』は私の肩から手を離してくれた。
離れた事でほっとしたのも束の間。
『彼』は着けているネクタイを器用に解き、襟から素早く抜き取ると、それで私の手首を縛ってヘッドボードの上部分に引っ掛けた。
バンザイをしている様な状態で拘束された手首を解こうともがいても、自重も加算されて解けそうに無い。その神業的速さに驚き、焦りを感じ始めていると、私の脚の間に彼の右膝が入ってきた。
「ははは!この為にこのデザインのベッドを選んだんだけど、まさか『僕』が利用しちゃう事になるとはね」
弾むような声がとても楽しそうな色を持つが、そのせいで何だか怖い。
「んな、なんでこんな!?」
『人形』に入れた思念までもが私に嫌われようとこんな事をするなんて事が信じられず、拘束されている腕を無理矢理動かし、脚も出来うる限りの範囲でバタつかせた。
「『あの日』みたいな不完全燃焼なんて、もうお互いにイヤだろう?だからさ!それに、芙弓だってその為に『僕』を動かしたんだろう?違うかい?」
私の顔の横に両手をつき、『彼』が顔を近づける。目が見えないせいか、距離が変に近過ぎて今にも互いの鼻先がついてしまいそうだ。
「ソレは違うって、さっきから何度も——うぁっ」
頬をベロリと大胆に舌で撫で、彼の膝が私の秘部の方へ近づいてきた。両脚に力を入れてそれを止め様としたが力が足りず、『彼』の膝がピタッと当る。その途端『彼』が膝でソコをゆるゆると擦り始めた。
本物のロイさん自身にあの日された行為と被り、胸の奥に、何か熱いものが再浮上してくる様な感じがする。 そして、ソレに対する怖さと嫌悪感も……。
「やぁぁ……ふぁっ」
胸中は複雑なのに口からは甘い声が出てしまい、嫌悪感が加速する。
(私ったら、人形相手になんて声を!?)
そう思った時、「……へぇ、意外だね。流石に、君にはそういう趣味だ・け・は、無いと思っていたのに」という声が、この異質な寝室の雰囲気を切り裂いた。
突然聞えたナイフの様な冷たい声で心臓と体がビクッと跳ねる。驚いたのは私だけではなかったみたいで、私の服の中へ手を忍ばせ様としていた人形体の方である『彼』の体も、一緒に少しピクッと動いた。
ゆっくりと、私と人形の『彼』が同時に声のした方へ顔をやる。
声の主と私達との目が合った瞬間、「そういうのって、正直ムカツクんだよね」と言いながら声の主はズカズカとこちらへ近づき、私の脚に跨っていた『彼』を容赦無く蹴り飛ばした。
「——ロイさん!?」
「わっ!」
本人では決して出さないような間の抜けた声をあげながら、鈍い音をたて、ベッドの隅の方へ『彼』が倒れる。
「……何?今、僕凄く機嫌が悪いんだけど」
言葉通り、聞くだけで不機嫌な事がすぐに分かる声でロイさんはそう言うと、さっきまで私の大事な『人形』が居た位置に今度はロイさんが跨り、私の頬を右手で掴むようにして押さえつけてきた。
「あんな気色の悪い人形なんかと、芙弓は何をしていたんだい?答え次第では——ダメだ、やっぱり聞きたくもない」
口調に激しさは無いのだが、落ち着き過ぎていて返って怖い。顔色が悪く、普段の無尽蔵な程に溢れ出ている明るい雰囲気は微塵も感じ取れない。今のロイさんの顔には『無表情』という表現しか当てはめられなかった。
「ご、ごめんなさい……」
何をどうしていいか分からず、気持ちのこもっていない謝罪の言葉が口から出た。
「それは、謝るような事をアレとしていたって事かい?ふーん……」
「そ、それは無い!ただ私は、どうしても知りたくて、訊きたくて——」
ロイさんに対して感じる恐怖のせいで言葉が途中で何度も詰まる。
「訊く?知りたい事があるんなら僕に直接訊けば良いのに。……あぁ、『僕』に訊きたいから、『アレ』を動かしたって訳だね?」
その言葉に対し、無言でコクコクッと頷く。
「ごめんなさい!わ、私はただ見ていたかっただけで、まさか……その、きょ、興味を持たれるのすら嫌な程、私は嫌われてるんだなんて、おも、思ってなくて——」
(……思いたくも、なくて……)
まともにロイさんの顔を見る事が出来ず、私は彼から無理矢理顔を背けた。
「雪乃の友達ってだけで、私はアンタには何もしてないのにって思ってたけど、も……もう全部捨てるし、データも消すんで、何一つとして残してなんかおきませんから!」
捲くし立てる様に私は言葉を続ける。
「何もしていないつもりだったけど、それでも気に入らないかもだけど、二度ともうしませんから!ちゃんと消して、全部全部——」
自分の発する言葉で、自分の心が追い詰められていくのがハッキリと分かる。なのに言葉の方はもう自分は何が言いたいのか全然わからない。気持ちが先走り、同じ言葉を繰り返してしまっている事を自覚しながらも、どうしていいのかサッパリなままだ。
泣きたい気持ちにもなってきたせいか目の奥が酷く熱くもなって、いっそ泣いてしまえれば少しはその熱が引くかもしれないのに、それすらも出来ない。
「ごめんなさい!もうちゃんと嫌いですから!雪乃とも、も、もう、連絡なんか、しません、から!」
(——本当は……そんな事など絶対にしたくない)
雪乃は、引き篭もっている私の唯一の友達で、親友で、『世界』との唯一の繋がりだった。直接は会わなくてもずっとこちらを気にし続けてくれている大事な人だ。……でも、これ以上ロイさんに嫌われたくなくて、私はその大事な親友との繋がりをも切る事を即座に選んでしまった。
わざわざ会いに来てまで嫌われ様とする程に私の事が嫌いだという事実の方が、今の私にはショックが大き過ぎたのだ。
「……あぁ、ごめんね、違うんだ。違うんだよ、芙弓……ちゃん。悪いのは僕だ、君じゃない」
私が顔を背け、彼の手を振り払ったのに、ロイさんは私の頬に手を添えて目を合わせようと優しく顔を真正面に動かした。そして、ロイさんが真っ直ぐに私の目を見詰めてくる。
「僕は、雪乃が好きだ」
今更そんな事を改めて言われなくてもイヤって程知っている事なのに、グサッと言葉が心に刺さる。
「あの子が生まれた日に、僕は一生あの子を守るって決めたんだ。それなのに、君が『あの日』雪乃にあげた人形を見た日から、ずっと君の作った人形が気になって……」
ロイさんが悔しそうな顔をして言葉を少し詰まらせた。
「……君には分かるかい?『雪乃を愛してる』って気持ちだけで満たされていた心が、人形なんかにジワジワと侵食されていくのが、どんな気持ちか。百歩譲って、君本人にならまだしも、よりにもよって何で人形なんかに!?『あの人形を本当に芙弓ちゃんが作ったんだろうか?』『あんなにも繊細な人形を作れる芙弓ちゃんはどんな手をしているんだろう?』って、気が付くと何度も何度も何度も考えていた」
悲痛な声が私の上で響く。
「大人になった今も芙弓は雪乃程美人じゃないし可愛くないしスタイルもよくない。存在そのものが天使な雪乃とは違って性格だって捻くれてるし、引き篭もりだし、人間が嫌いで——」と、 挙がってくるのは私への非難ばかりで何処まで経っても褒め言葉が全く無い。
(喧嘩でも売ってんのか、アンタは!)
そのせいで『これ以上ロイさんに嫌われたくない』『ロイさんの雰囲気が怖い』と思う感情よりも、少しづつ苛立ちの方が大きくなってきた。
「——でも僕は、あんなに緻密で儚い人形を作る事が出来る芙弓の手が、その存在が、今ではたまらなく愛しいんだ」
「……え」
『愛しい』って聞えた気がするけど、気のせいだろうか? 雪乃以外に向けられるはずのない言葉な為か、私は自分の耳の性能をただただ疑った。
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