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「同じ部署に母親がいて、やりにくくないの?」
「最初はそうでしたけど、割り切ってます」
会社でやりにくくなるのが嫌で、御曹司であることは伏せている。社長の七光なんて言われた日には発狂するだろう。すべて自分で地位を確立したかった。その意地でいままで頑張ってきたといっても過言ではない。「もうしゃべることはないわ」
「……わかりました」
「ボイスレコーダー、録ってるの?」
「念のため」
藤原さんに伝えるかどうかはお任せしますと、美濃さんは微笑む。
嫉妬と羨望は、そうなりたいという自分の願望が目の前に体現したもののことを言うのであろう。
自分の心が動いた、その体験をどう捉えるかが全てだ。羨ましい、憎い、妬ましいで済ませるのか。自分の行きたい方向へ舵を切るための道標とするか。
きっかけは同じであっても、自分がどう考えるか、行動するかで全ては変わる。
美濃さんのしたことは、許されることではない。百歩譲って、懲戒解雇のみになったとしても、噂はすぐに広まるだろう。
それでも、恨みの理由を聞けば爪の垢ほどの同情が湧く。
出逢ってはいけない二人が高校で顔を合わせる。それでも美濃さんは、その理由を花音に告げることはしなかった。
徹底的に傷つけたいと思うのであれば、そこまでやることも十分に可能だったはず。
「……なぜ、異母姉妹だと藤原さんに言わなかったのですか?」
「言えば確実に傷つけることができるのに、って?」
俺は小さく頷く。深く抉るような傷を花音に与えようと思えば、いくらでもできたはずだ。美濃さんの境遇を知れば、花音はひとり悩み、苦しみ、自分の存在すら疑問に思うだろう。
「……それだけは、できなかった。なんでかな、わかんない」
ポタポタと涙を流し、美濃さんはそれ以上何も言わなかった。
「……これからどうするんですか?」
「とりあえず、バイトでも探すわ。選ばなけりゃなんでもあるわよ、仕事なんて」
息をついた美濃さん。
そこへ総務部長が戻ってきて、話はそこで終わった。
美濃さんは、その場で退職を願い出たが、懲戒解雇の可能性が大きいため、処分が決まるまで自宅謹慎ということになった。
風見さんの方も大人しく自白したらしく、自宅謹慎となった。こちらはギャンブルで金に困った挙句の行動だったらしい。もし花音がこいつと一緒になっていたらと思うと寒気がした。
全ての話し合いを終え、自席に戻る。窓の外を見ると、さっきまでの雷雨が上がり、少しずつ空が明るくなってきていた。
細々とした作業を終えて、ふと顔を上げた。会社の目の前の横断歩道を見ると、信号待ちをしているタイトスカートの女性の後ろ姿が見えた。顔はわからないが、美濃さんに違いない。
信号が青になり、大きな紙袋を持ったその人が、横断歩道を渡っていく。
背中をピンと伸ばして、颯爽と歩いていくその姿をじっと見送った。
(了)