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父は私が3歳の時に母と離婚し、それ以来時々しか連絡を取っていなかった。
これは私が20歳になり、子供が産まれたことを報告しに父に会いに行った時に、ふと思い出したように父が言っていた話だ。
離婚して母が私を連れ出す少し前、母がパートで父が休みだった日の事。
3歳になって間もない私はまだ文字を書けるわけもなく、絵はよく描いていたがどれも意味不明なものばかりだったらしい。
例えば二重丸の中に目玉を描いて「いぬ」と言ったり、折れたチューリップと人の指を3本描いて「青い女の子」と言ったり。
ただ黙々と描いて、父に質問された時だけ絵の説明をぽつりと呟く事が多かったそうだ。
父はそこまで心配する事もなく「子供の想像力は不思議だなぁ」くらいにしか思っていなかったらしいのだが、ある時急に私がノートを欲しがった事があったという。
絵を描くだけなら白い画用紙でいいじゃないかとなだめたそうだが、どうしてもノートが欲しいと言い張る。それも「表紙が赤いノート」というのに強くこだわったらしい。理由を聞いても答えず、父は私を連れて朝から近くの文具店へ行った。
しかし最寄りの文具店で見つけた赤い表紙のノートを買おうとすると「これではダメ」と駄々をこね、結局5件ほど文具店を巡ったがどれも私が嫌がり、頭を抱えた父は時々通っていた古本屋へと立ち寄った。ノートはなくとも気分転換になればいいと思ったようだ。
私は店内に入ると色々な古本を見上げて喜んでいたようで、父は店主と世間話をしていたらしい。
しばらくして、私の姿が見えない事に気付いた父が奥の本棚の裏手に回ると、私は黙ったまま手の届かない位置の本を指差していた。
父が見れば、大人向けの難しい小説が並んでいる。とても3歳児が好むようには見えず、あっちへ行こうと漫画コーナーへ促したが、私はその場から動かなかった。父は何となく気になって、私の指差す本を数冊退けてみた。何も考えず退けて、驚いた。
本の奥に隠すようにして、赤い小さな手帳サイズのノートがあった。
店主もこんな物は売買した記憶がないと言い、きっと父が退けた本にでも挟まっていたのだろうという結論に至り、中身が白紙の赤表紙の本は売り物にならないと私にくれたのだという。
私は「探していたのはコレだ」と言わんばかりに胸にしっかり抱き締めて持ち帰ったそうだ。
私は帰宅してからずっと貰ったノートを眺めては表紙を撫でたり、白紙のページを捲って満足気な様子だったそうで、朝から文具店や本屋を駆け回った父は、きっと疲れたのだろう。昼食後に睡魔がきてうとうとしてしまった。
クレヨンやクーピー、色鉛筆など描くものは揃っているし、少しくらい放っておいても問題ないだろうと思った父はそのままうたた寝をした。
やがて夢か現か、幼い私の声ではっきりと「赤は見られちゃダメだから」と誰かと話しているような声が聞こえ、父は目覚めたという。
テーブルの横でうたた寝をしていた父が起き上がると、私はテーブルの上で勢い良くノートを閉じて立ち上がると、部屋の奥へと持って行ってしまった。
その後父が「何か絵を描いたの?」と訊いても、「見せて欲しい」と頼んでも私は頑なに首を振り、そのノートを何処かへ隠してしまったそうだ。
しかし隠したと言っても狭いアパート暮らしだった為、すぐ見つかるだろうとたかを括っていたのだが、深夜に私が寝た後で部屋中を探してもノートは出てこなかった。
おかしいなとは思ったものの、父は深く考えず「どうせそのうち出てくるだろう」と放置した。
ーーー数ヶ月後に母と離婚し、私が居なくなるまで。
私と母が出て行った後、ひとり部屋の整理をしていた父は、母が回収していかなかった私のあまり使っていないオモチャ箱の中から、例の赤いノートを見つけた。
ノートは、どうやってこじ開けたのか分からない穴が貫通していて、そこに赤い手芸用の紐で何重にも玉結びしてロックされていた。
貰った時には穴などなく、かといって家に穴を開ける道具もない。首を傾げながらも父は紐を切り、中を見たという。
ーーーその時のノートを、実際に見せてもらった。
3歳児が書いたとは到底思えない、平仮名と漢字が入混ざった大人の字がノートにびっしり並んでいた。
全く意味のわからない文だが妙に頭に残るものだったので、記憶の限り書いていく。
*~*~*~*~*~*~*
2月36日。水の音がする日。今日は公園に来ました。公園には、たくさんの目があります。空気は薄い赤です。甘いです。ここにいる人はみんな欠けています。欠けています、欠けています。ブランコの下には家族が寝ています。口はありませんでした。4人です。腕のない男は木の幹にぶら下がっています。声は出せないのでしょうか?丸い遊具のてっぺんには頭があります。滑り台には足のない男の子がいました。首のない女の子は黒い服です。羨ましい。赤ちゃんは泣きません。泣きません。悔しいからです。とても。悔しくて。砂場には歯がたくさん生えています。黒い歯がたくさん。黒は心地良いです。でも歯はバラバラです。汚いです。水飲み場には青い腕が散らばっています。踏むと食べられるから気を付けないと。地面の下で赤ちゃんが泣いています。目はありませんでした。綺麗です。灰色の女の人が首を持っていました。どうして泣いているのでしょうか?怒っているのかもしれません。せっかくの灰色なのに勿体ない。手が青いせいでしょうか。4人とも。6本指の男の子は笑っていました。私の右手を掴みました。熱い。熱い。海には潜れません。熱いからです。6本指の男の子は面剥ぎを持っています。ライトをあげて、面剥ぎをもらいました。何に使えるのでしょう?聞かないと。虫はいません。みんな裸足です。石は重くて持てません。苦いです。甘いのは緑の砂くらいです。脳はふわふわ漂っています。足元を。ついてきます、つきてきます。怖くないのでしょうか?悲しい。ここでも岩の上は歩けますね。岩の上が寒いのは仕方ないことです。流れる赤い液体は温かいです。温かい。ここの草は青いですね。とても辛い。庭に落ちてくる花はしょっぱいのに。犬の角は全て落としましたか?目がたくさんあります。緑でした。あの犬は本を探しています。赤い本は見つかってはいけません。隠しましょう、隠しましょう。
白は絶対にあってはいけないので、見つけ次第すぐに〇〇しましょう。あと2日と黒の時、私は見ています。待っていて下さい。すぐに来ます。
*~*~*~*~*~*~*
……こんな文字が並んだページを捲ると、次のページからしばらく破られていた。最後のページだけ、真っ黒にぐちゃぐちゃと塗り潰されていて、気味が悪かった。
〇〇の部分は上からぐちゃぐちゃとボールペンで消したような痕跡があった。
どう見ても幼児が書く文体ではなかった。真っ黒に塗り潰されたページの裏の隅っこに小さく赤いリンゴが描かれていて、正直これを見た時、私が描いたのはリンゴだけなのではないかと疑った。父が英語の古本をエキサイト翻訳でもしたんじゃないかと笑い飛ばしたが、父は真剣だった。
「これを見つけてから毎年2月のどこかで必ず、白いワンピースに黒い真っ黒な髪の女の子を視るんだ。凄く目が大きくて、いつも裸足で赤いノートを持っている。自分でも理由は分からないけど、毎年2月が楽しみなんだ」
父はそんな事を言った。それが、父と最後に会った出来事だった。父はその後しばらくして脳卒中で倒れた。見舞いに行こうにも絶縁している母から止められ、結局会いには行けなかった。
あの時ノートは私が保管したいと切り出したが、父に「きっとお前が持っていたらダメだと思う」とやんわり却下された。
父は倒れてから手術をして、ひとまず成功して無事らしいのだが、従姉妹の父(私の父の兄)から「病室で赤いノートをずっと手放さなかったのが凄く不気味だった。しかもあのノート、髪の毛みたいな黒い紐でぐるぐる巻きにされていて誰かが触ると激怒するから誰も取り上げられなくて」と聞かされた。
もちろん父と私しかこの話は知らない。
ちなみに私の生霊は、夫から聞いた話だと、父が言っていた容姿にそっくりだそうだ。
これを思い出して書いている今、凄く頭が痛くて、兎しか飼っていないのにふわっと犬のような獣臭が漂っている。