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アドラル皇国
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#日常
寿命㌫(主) 🔮🖤ᩚ
2,231
宿営地を飛び出したベラは、兵を率いて橋へと急いだ。
そして――。
河岸へたどり着いた瞬間、目の前の光景に思わず息を呑んだ。
敵軍が、河を背にして布陣している。
退路は橋しかない。
その橋へ向かって、敵兵たちが次々と押し戻されている。
「……勝った」
思わず、声が漏れた。
側近が振り返る。
「陛下?」
「敵にも、何かあったのだな」
ベラはそう呟くと、河の向こうへ目を凝らした。
理由など分からない。
だが、敵は明らかに乱れている。
あれほど恐れていたモンゴリア軍が、今や河を背にして逃げ場を失おうとしていた。
そして何より――。
橋が、空いている。
「よいか、者ども!」
ベラは剣を抜いた。
「敵を河へ追い落とすのじゃ!」
兵たちが一斉に武器を掲げる。
「これは神が与えたもうた好機!」
ベラは剣を振り下ろした。
「行けえええええ!」
鬨の声が上がった。
教皇軍が、一斉に橋へ殺到する。
橋を守っていたモンゴリア兵は、ほとんど抵抗しなかった。
矢を数射すると、すぐさま馬首を返して退いていく。
「押せ!」
「橋を奪い返せ!」
「逃がすな!」
兵たちは勢いづいた。
橋は、あっけないほど簡単に奪還された。
そのまま教皇軍は橋を渡り、対岸へ雪崩れ込んでいく。
モンゴリア軍は退く。
一歩。
また一歩。
まるで抗う力さえ失ったかのように。
「見よ!」
ベラは馬上から叫んだ。
「敵は逃げておる!」
兵たちの歓声が響き渡る。
前方には河。
その河を背に、後退を続けるモンゴリア軍。
完全に追い詰めた。
そう見えた。
少なくとも――。
ベラには。
レイナは、丸一日眠り続けた。
幸い、肩の傷は浅かった。
矢は深くまでは刺さっておらず、命に別状はない。
意識を失ったのも、落馬した際に頭を強く打ったためだった。
翌日。
レイナは、ゆっくりと目を開けた。
「……陛下」
最初に声を上げたのは、エレンだった。
その声に、ベッドの周りにいた者たちが一斉に振り返る。
ジャンヌ。
副官。
そして、スパルーニャ軍の諸将。
皆、疲れ切った顔をしていた。
「よかった……」
エレンが、心の底から安堵したように呟いた。
レイナはしばらく天井を見つめていた。
やがて、何かを思い出したように目を細める。
「……戦は」
その一言で、部屋の空気が変わった。
誰も答えない。
エレンも、ジャンヌも口を閉ざした。
レイナは、その沈黙だけですべてを察した。
「申せ」
低い声だった。
副官が一歩前へ出る。
「……ご報告があります」
レイナは黙って、その顔を見る。
「モネ平原に展開した教皇軍は――」
副官は一度、言葉を詰まらせた。
「敗北いたしました」
レイナの表情は変わらない。
「ベラ様をはじめ、主だった諸将の多くが戦死」
「軍は潰走し、現在も各地へ散っております」
沈黙。
レイナは目を閉じた。
ほんの一瞬だった。
「……そうか」
それだけを口にした。
副官は続けた。
レイナが倒れた後。
モネ平原で何が起こったのか。
教皇軍がどのように包囲され、
どのように崩れ、
そして――。
どれほど多くの者が、あの平原に残されたのか。
戦の全容が、静かに語られていった。
「我らが河で戦っていた敵は、おそらく敵将スブタイ」
副官が続けた。
「敵軍の軍師です」
レイナは黙って聞いている。
「陛下が南東から現れた敵軍へ向かわれた隙に、スブタイは戦場を離脱しました」
「……橋か」
「はい」
副官は頷いた。
「橋へ向かったものと思われます」
そして、モネ平原で起きたことを語り始めた。
「川辺まで敵の本軍を追い詰めていた教皇軍は、
奪還したはずの橋を再び敵に奪われました」
「その後、北東より現れた別働隊と合流した敵軍から側面を突かれ――」
副官は言葉を選ぶように続けた。
「包囲されました」
レイナの目が細くなる。
「教皇軍は一度、野営地まで退きましたが……」
「抗戦の甲斐なく、そこも包囲されました」
そこまで聞くと、レイナが後を引き取った。
「そして、一つだけ開いた退却路へ殺到した」
副官が顔を上げる。
「……はい」
「そこを待ち構えていた敵に討ち取られたのであろう」
「はい」
短い返事だった。
レイナは目を閉じた。
草原の狩り。
逃げ道を一つだけ残す。
獲物がそこへ走り込んだところで、最後に塞ぐ。
あの男は、最後まで同じやり方をしたのだ。
「我らは?」
レイナが尋ねた。
「囲まれておるのか」
「いえ」
副官は首を振った。
「敵軍はすでにモネ砦へ向かっております」
「この地には、もうほとんど軍と呼べるものは残っておりませぬ」
「……そうか」
レイナは静かに呟いた。
「ですが、ここにも長くは留まれぬかと」
「そうだな」
レイナは天井を見つめた。
教皇軍は潰えた。
モネ砦も、もはや長くは持つまい。
そして西へ向かえば、敵軍の勢力圏へ踏み込むことになる。
「西へは行けまい」
ゆっくりと身を起こす。
肩に痛みが走ったが、顔には出さなかった。
「南へ下り、海路でスパルーニャへ帰るか……」
そこで言葉を止めた。
「それとも――」
レイナの脳裏に、一人の男の姿が浮かんだ。
片腕の軍師。
サイラス・イシス。
あの男はいま、グラツィアにいる。
そしておそらく――。
戦っている。
「スブタイ、遅いではないか」
合流したスブタイを見るなり、バトウは不満そうに言った。
「申し訳ございませぬ」
スブタイは馬上で頭を下げる。
「ボロルタイが間に合ったからよいものを」
バトウは鼻を鳴らした。
「危うく儂が死ぬところであったぞ」
「面目ございませぬ」
スブタイは、それ以上言い訳をしなかった。
代わりに、周囲へ目を向ける。
兵。
馬。
負傷者。
地面に横たわる者たち。
旗の数。
隊列の乱れ。
それだけで、おおよその損害は分かった。
(……思った以上に多い)
勝った。
だが、決して軽い勝利ではない。
特にバトウの本隊は、川を背にして教皇軍の猛攻をまともに受けている。
兵も馬も疲弊していた。
(できれば、しばらくここに留まりたいが……)
そんなスブタイの思惑をよそに、バトウは上機嫌に声を張り上げた。
「よし!」
周囲の諸将が振り向く。
「これでグラツィアへ向かうぞ!」
バトウは西を指した。
「まずモネ砦を落とす」
「そして、そのまま西へ進む!」
口元に笑みを浮かべる。
「この征西軍の中で、我らが一番先に西の果てへ到達するのだ!」
諸将から歓声が上がった。
だが、スブタイだけは表情を変えなかった。
「お待ちください」
バトウが振り返る。
「なんだ」
「兵が疲れております」
スブタイは静かに言った。
「それに、今回の戦では諸将も大きな働きをいたしました」
「戦利品を分け、功ある者には褒美を与えねばなりませぬ」
バトウは黙って聞いている。
「しばらく、この地に留まられてはいかがでしょう」
「……ふむ」
バトウは周囲を見回した。
負傷した兵。
倒れた馬。
武具を集める者。
捕虜を引き立てる者。
少し考え――。
「あい分かった」
あっさりと頷いた。
「十日、休ませる」
「はっ」
スブタイは頭を下げた。
先ほどまでとは違う。
勝利が、バトウに余裕を取り戻させていた。
自らの判断で危地へ踏み込み、
死の寸前まで追い詰められた。
だが最後には勝った。
その事実が、昂っていた感情をようやく鎮め始めていた。
コメント
1件
ああ、面白かった…!前半の橋を押し返すベラの高揚と、後半で語られる教皇軍の敗北の落差がえぐいわ。レイナが「草原の狩りと同じだ」って冷静に自軍の負け方を見抜くところ、めちゃくちゃカッコよかった。スブタイが勝った直後から兵を休ませろって進言するところも、ああ、軍師ってそうなんだよな…って唸った。10日の猶予がどう転ぶか、次が楽しみすぎる🔥