テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「で、やっぱり勝てないのか」
ガイロ将軍は、隣に立つ軍師へ尋ねた。
サイラスはすぐには答えなかった。
北部砦の城壁に立ち、北の空を見つめている。
やがて、小さく息を吐いた。
「ヴァンガルドのことでようやく各国も腰を上げたが」
「モンゴリア帝国の軍は訓練された戦闘集団だ」
「ああ」
サイラスは淡々と答えた。
「カイル戦争以来、この国は国民皆兵の制度を取り入れた」
かつて、この国は兵の不足によって何度も苦しめられた。
その反省から、平民にも武器を持たせ、平時から兵として登録する制度が作られた。
確かに、以前より兵は集まるようになった。
だが――。
「数が足りない」
サイラスは続ける。
「それに、集められる兵の大半は実戦経験がない。訓練も十分とは言えん」
ガイロは腕を組んだ。
「なら、どうするんだ」
「だから――」
サイラスは北を見たまま言った。
「勝つことより先に、負けない算段をしないといけない」
「負けない算段?」
「ああ」
勝てない。
だからといって、滅びる必要はない。
敵を倒せなくてもいい。
城を守り切れなくてもいい。
軍を残す。
国を残す。
次に戦えるだけのものを、残す。
それが今、自分たちにできる戦いだった。
二人は並んで、北の空を見ていた。
どちらからともなく口にしたわけではない。
だが――。
二人とも、同じことを考えていた。
思えば、十数年前。
すべてはここから始まった。
この北部砦を越え、大軍が南へとなだれ込んできた。
あの日から、長い戦争が始まった。
多くの者が死んだ。
国が焼かれた。
王が代わり。
国の形さえ変わった。
それでも、この砦だけは今もここにある。
そして今――。
再び、北から大軍がやって来ようとしていた。
ただし、今度の敵は、あの頃とは比べものにならない。
はるか北方。
地平線の向こうから近づいているのは、
大帝国の皇子、グユク。
その兵、五万。
十数年前と同じ道を通り、
同じ砦を目指している。
ガイロはしばらく黙っていた。
やがて、苦笑する。
「まったく……」
サイラスが横を見る。
「どうした」
「昔もここで、勝てそうにない敵を待っていたなと思ってな」
サイラスも、わずかに笑った。
「そうだったな」
「で、あの時はどうした?」
「逃げた」
「だよな」
二人は笑った。
ほんの一瞬だけ。
そして再び、北を見た。
今度も逃げることになるかもしれない。
だが――。
それでいい。
生き残れば、また戦える。
サイラスは目を細めた。
「さて」
遠い地平を見据える。
「今回は、どこまで負けずに済むかな」
サイラスが最初に命じたのは、戦の支度ではなかった。
北部一帯の麦を、すべて刈り取らせた。
まだ青いものも。
収穫を目前にしたものも。
軍が利用できそうな穀物は、一粒たりとも残さない。
村々の家畜も南へ移し、井戸や倉庫の場所も記録させる。
そして住民には、南方への避難を命じた。
当然、反発はあった。
「麦を刈れだと!?」
「これでは冬を越せぬ!」
だが、サイラスは譲らなかった。
「モンゴリア軍に食わせるよりはいい」
それだけだった。
北部一帯から、人が消えた。
麦畑も消えた。
家畜も消えた。
残されたのは、刈り取られた畑と、空になった村だけだった。
そのうえでサイラスは、ガイロに一つ頼みごとをした。
「兵を千人ほど貸してほしい」
「千人?」
「ああ」
サイラスは指を一本立てた。
「足の速そうなのを五百」
もう一本。
「それと、弓騎馬を五百」
ガイロは怪訝そうな顔をした。
「それだけでよいのか?」
「多いくらいだよ」
選ばれた兵には、さらに奇妙な命令が下された。
鎧を軽くしろ。
大盾はいらない。
長剣も捨てろ。
剣はすべて短いダガーに替えさせた。
弓も大型のものではなく、取り回しのよい小弓に統一する。
荷物も最低限。
食糧も、武具も、可能な限り軽くした。
ただひたすら、
走るための軍だった。
弓騎馬五百の指揮には、ユンナがつくことになった。
準備を終えた千人の兵を前に、サイラスは立った。
兵たちは、どこか不安そうだった。
当然である。
戦うために集められたはずなのに、
鎧を脱がされ、
剣を短くされ、
荷物まで減らされた。
これから何をさせられるのか。
誰にも分からない。
サイラスは、そんな兵たちを見渡した。
「君たちに、特別な任務を与える」
兵たちの表情が引き締まる。
サイラスは続けた。
「我々は――」
少し間を置いた。
「逃げる」
兵たちが目を瞬かせた。
「逃げて」
ざわり、と列が揺れる。
「逃げて」
サイラスは、もう一度言った。
「逃げまくるための部隊である」
誰も声を出さなかった。
ユンナだけが、隣で額を押さえている。
サイラスは平然としていた。
「敵が来たら逃げる」
「追ってきても逃げる」
「追ってこなかったら、少し戻って矢を射る」
「怒って追ってきたら、また逃げる」
兵たちの顔に、困惑が広がっていく。
「いいか」
サイラスは笑った。
「絶対にまともに戦うな」
「勝とうとするな」
「敵を倒そうとするな」
そして、最後に肩をすくめた。
「なんたって――」
「私は、戦えない軍師なのだから」
一瞬の沈黙。
その隣で、ユンナが小さくため息をついた。
「……本当に、それを兵の前で言うんですね」
「大事なことだからね」
「士気というものを知っていますか?」
「知ってるよ」
サイラスは答えた。
「だから逃げるんだ」
その瞬間。
ユンナは初めて気づいた。
サイラスは冗談を言っているのではない。
本気なのだ。
この男は――
勝つために戦うつもりなど、最初からなかった。
その瞬間。
ユンナは初めて気づいた。
サイラスは冗談を言っているのではない。
本気なのだ。
この男は――
敵に勝とうとしていない。
ただ、
絶対に負けないつもりなのだ。
コメント
1件
「逃げるための兵隊」ってタイトル、最初見たとき意味がわからなかったけど、読んで納得しました。勝つより負けないことを選ぶ、その覚悟がかっこよすぎる……ユンナが「本気なのだ」と気づく瞬間、鳥肌立ちました。逃げるための部隊って、戦略として美しすぎる。
アドラル皇国
18
1,373
#日常
寿命㌫(主) 🔮🖤ᩚ
2,231