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第9話 招待の価値
地下施設の通路には、風がなかった。
湿り気のない空気が肺へ入り、吐き出しても何も揺れない。
天井に並ぶ照明だけが、一定の間隔で床を照らしていた。
五人の足音は、前へ進むたびに遠くへ引き伸ばされた。
悠斗が先頭を歩く。
その後ろに直人。
美咲と陽菜を挟み、蓮が最後尾につく。
通路の角を曲がる前には、全員が足を止めた。
直人が壁際へ寄り、小さな鏡面板を角から出す。
誰もいない。
行くぞ。
声は息に近かった。
五人は立入禁止区域の奥へ進んだ。
第8話で見つけた奴隷族管理記録。
過去と未来から連れてこられた地球人。
感情反応を集めるために作られた旅行工程。
自分たちの名前が選定前から並んでいた資料。
すでに十分すぎるほど知っていた。
それでも直人は、記録室の奥に別の保管区画があることを見つけていた。
入口は地下作業区の地図から外されている。
管理端末にも正式な名称がない。
識別番号だけがあった。
招待資産保管区。
その言葉が、五人を再び地下へ向かわせた。
正面に重い扉が現れた。
取っ手はなく、中央に認証部が埋め込まれている。
直人が第8話で複製した管理信号を近づけた。
表示が揺れる。
権限不足。
蓮が扉の端へ手をかけた。
開けられそうか。
力で動かせば警報が鳴る。
直人はしゃがみ込み、床と壁の境目を見る。
配線が一本だけ外へ伸びている。
美咲が背後を振り返った。
早くしないと、見回りが来るよ。
陽菜は通路の奥へ耳を澄ませる。
今は聞こえない。
直人が帽子を脱ぎ、内側から細い器具を取り出した。
旅行中にそんなもの持ってたの。
陽菜が目を丸くする。
秋域の修理体験でもらった。
お土産としてな。
直人は配線の被覆をわずかに開き、器具を差し込んだ。
端末へ数字が流れる。
過去の認証履歴。
作業員。
管理官。
案内役。
その中に、リセラの識別番号があった。
悠斗の指が止まる。
リセラが入ってる。
直人は履歴を開く。
一度じゃない。
三年前から、何度も入ってる。
美咲がマフラーの端を握った。
知ってたのかな。
蓮は扉を見たまま答える。
奴隷族のことを。
陽菜の眉が下がる。
でも、前は知らないみたいな顔してた。
直人が認証記録を複製する。
顔と知識は別だ。
知っていて隠した。
知らないふりをした。
その方が案内役として都合がいい。
悠斗は何も言わなかった。
リセラが花畑で見せた笑顔。
夏域で花火を見上げる五人を眺めていた横顔。
飛行機から降りた陽菜へ毛布をかけた手。
すべてが演技だったとは思えない。
けれど、すべてが善意だったとも言い切れなくなっていた。
直人が操作を終える。
扉の認証が一瞬だけ解除された。
蓮が隙間へ指を入れ、音を立てないように押し開く。
冷たい空気が流れ出した。
室内には、背の高い保管棚が並んでいた。
棚の一段ごとに、薄い記録板が納められている。
古いものには表面の文字が薄れ、新しいものには読み取り灯が点いていた。
正面の壁には、年代別の招待回数が表示されている。
第一期。
第二期。
第三期。
地球時間。
四季星時間。
帰還成功。
記憶処理完了。
感情資産回収率。
陽菜が口元を手で覆った。
こんなに来てたの。
美咲は棚の端から端まで目を動かした。
数十人どころじゃない。
直人が最古の記録板を取り出す。
地球側の年代は、五人が生まれるよりずっと前だった。
招待人数は三人。
滞在期間は七日。
春域だけを体験。
回収された感情は、安心と驚き。
帰還後の記録には、夢に似た体験として残ったと記されていた。
次の記録。
五人。
十四日。
春域と夏域。
その次。
四人。
二十一日。
秋域が追加されている。
回数が進むほど、滞在期間は長くなっていた。
体験する地域が増えた。
記録項目も細かくなった。
笑顔の回数。
涙が出るまでの時間。
安心後の睡眠時間。
他者への信頼上昇。
案内役への依存。
帰還時の喪失感。
美咲が一枚を読み進める。
案内役への依存って、何。
直人が別の記録を開く。
旅行者が案内役をどれだけ信じたか。
危険が起きたとき、誰の言葉を優先したか。
管理区域へ近づいたとき、案内役の制止で戻ったか。
蓮の顎がわずかに上がる。
俺たちは戻らなかった。
だから監視対象になった。
陽菜は棚へ手を伸ばした。
ある記録板の表面に、家族旅行と書かれている。
親子四人。
子ども二人。
春域の入眠施設で高い安心値を記録。
夏域の花火で感動値が急上昇。
帰還時、子どもが案内役と離れたくないと泣く。
その涙は、善意信用の高価値反応として保存されていた。
陽菜の指が記録板から離れる。
これも商品なの。
直人は壁の表示を見た。
旅じゃない。
旅を使って作る感情が商品だ。
悠斗が最上段にある分類項目を読む。
招待客は、感情資産生成者。
旅行工程は、生成環境。
案内役は、反応誘導員。
宿泊施設は、安心増幅区域。
花火や温泉は、感動刺激設備。
言葉が一つずつ、思い出の上へ重なっていった。
花畑で眠れたこと。
湖を見たときの驚き。
旅館で食卓を囲んだ夜。
雪山の上を飛んだ瞬間。
五人の中では本物だった。
四季星の記録では、すべて生成工程になっている。
蓮が棚を叩きそうになり、直前で手を止めた。
俺たちは旅行客じゃなかった。
美咲がつぶやく。
材料だった。
陽菜が首を振る。
商品を作る機械みたい。
直人は壁の奥にある最新記録へ近づいた。
そこには五人の顔が並んでいた。
朝倉悠斗。
藤原美咲。
高瀬直人。
結城陽菜。
真田蓮。
選定完了。
招待承認。
現在進行中。
一人ずつ、期待された役割が書かれている。
朝倉悠斗。
集団安定役。
他者を落ち着かせる性質があり、五人全体の安心反応を維持する。
藤原美咲。
感動増幅役。
食事、景観、交流への反応が大きく、周囲へ感情が伝わりやすい。
高瀬直人。
警戒変動役。
疑念を持ちやすいが、納得した際の安心上昇が大きい。
結城陽菜。
共感誘導役。
案内役や地域住民との関係を深め、別れの喪失感を高める。
真田蓮。
保護反応役。
危険時に仲間を守り、集団結合値を上げる。
陽菜が自分の記録を見た。
私がリセラさんたちと仲よくなったことも、予定だったの。
悠斗は答えられなかった。
美咲が自分の項目を閉じる。
私が料理をおいしいって言うことも。
蓮が拳を握る。
俺が誰かを守ることも。
直人は画面を操作した。
選定根拠の項目が開く。
地球での生活記録。
家族関係。
仕事。
過去の旅行。
疲労度。
孤独を感じる頻度。
感情を表へ出す傾向。
五人が四季星へ来る前の情報が、細かく集められていた。
悠斗は自分の記録へ目を走らせる。
人の不安を放置できない。
集団内で対立が起きると調整へ動く。
長期旅行への参加可能性が高い。
美咲は画面から一歩退いた。
ずっと見られてた。
招待状が来る前から。
直人がさらに下へ進める。
選定条件の最後に、善意信用予測値が表示された。
五人合計。
過去最高水準。
旅行事業部。
案内事業部。
地域管理部。
記録研究部。
各部門へ分配される予定の数値。
その中に、案内役個人への報酬もあった。
リセラ。
予測信用加算。
トウラ。
予測信用加算。
ほかの案内係。
旅館係。
操縦員。
施設管理者。
美咲はリセラの名前を見つめた。
私たちが笑うほど、リセラさんの暮らしがよくなる。
直人が冷たく答える。
だから親切だった。
陽菜がすぐに顔を上げる。
全部が数字のためとは限らないよ。
直人は陽菜を見る。
それを確かめる方法があるか。
陽菜の唇が閉じた。
直人は続ける。
優しくする。
安心させる。
信頼させる。
別れを惜しませる。
全部が仕事の項目に入ってる。
本心が混ざっていたとしても、俺たちには見分けられない。
悠斗はリセラの予測信用値の横へ触れた。
追加条件が開く。
高評価を得れば、上位居住区への移動資格。
家族医療の優先枠。
案内役資格の継続。
低評価の場合、資格停止。
住居区分の見直し。
家族信用への影響。
美咲が息をのむ。
リセラさんも、失うものがあったんだ。
蓮の声が低くなる。
だから俺たちを使っていいことにはならない。
そうだよ。
美咲はすぐに答えた。
でも、ただ欲しかっただけじゃない。
守りたかったものもあった。
直人が画面を閉じる。
それがエゴだ。
自分の暮らし。
家族。
仕事。
それを守るために、俺たちへ真実を隠した。
親切にして、信用させて、感情を出させた。
陽菜は記録棚の間へ視線を落とす。
悪い人じゃないから、余計に嫌だ。
悠斗は指の節をなぞった。
リセラは俺たちを傷つけたいわけじゃなかった。
むしろ楽しませたかった。
でも、楽しませることで自分も報われる制度の中にいた。
その利益を手放せなかった。
そのために、地下の人たちを見ないことにした。
蓮が短く息を吐く。
いいことをしてると思いたかったんだろ。
地球人をもてなしている。
喜ばせている。
自分は親切な案内役だ。
その形を守るために、裏側を隠した。
美咲は胸元を押さえた。
私たちに親切だった自分を、信じたかったのかも。
直人は何も言わず、最新記録を複製し始めた。
保管区の奥で音が鳴った。
短い通知音。
五人が一斉に振り向く。
扉の横に、監視表示が点いた。
不正閲覧。
位置確認中。
蓮が記録板を上着へ入れる。
急げ。
直人は複製途中の端末を外さない。
あと少し。
悠斗が通路へ出る。
遠くから足音が近づいてくる。
一人ではない。
美咲が棚の間を見回した。
別の出口は。
陽菜が奥の壁へ走る。
保管棚の裏に細い通路がある。
作業用らしい。
直人の端末が振動した。
複製完了。
五人は棚の裏へ入った。
直後、正面の扉が開く。
聞き慣れた声が保管区へ響いた。
朝倉さん。
藤原さん。
高瀬さん。
結城さん。
真田さん。
リセラだった。
以前なら、名前のあとに柔らかな調子が続いていた。
今日は違った。
感情を落とした声。
案内端末が読み上げるような速さ。
許可されていない区域です。
ただちに出てきてください。
陽菜が足を止める。
リセラさん。
美咲が陽菜の腕を引く。
今は行かないで。
保管区では、トウラの声も聞こえた。
内部記録を確認します。
五人の姿はありません。
リセラが答える。
奥の作業通路を確認してください。
陽菜の顔が固くなる。
分かってて言った。
直人は通路の先を指す。
走れ。
五人は狭い道を進んだ。
背後から足音が追ってくる。
以前のリセラなら、危険です、ゆっくり進んでくださいと声をかけただろう。
今は違った。
招待客五名へ通告します。
停止してください。
指示に従わない場合、安全保護措置を実行します。
蓮が振り返る。
安全保護。
便利な言葉だな。
通路の先に小さな昇降機があった。
悠斗が操作する。
認証が必要。
直人が複製した管理信号を当てる。
反応しない。
追跡の足音が迫る。
陽菜が周囲を見る。
壁に手動用の取っ手を見つけた。
これ。
蓮が引く。
重い。
悠斗も加わる。
二人で力をかけると、昇降機の扉が開いた。
五人が中へ入る。
直人が内部の配線を操作する。
扉が閉まり始めた。
その隙間へ、リセラの手が入る。
扉が止まった。
淡い紫の髪。
水色の瞳。
額の器官が細かく震えている。
リセラは息を乱していた。
それでも声は平らだった。
記録板を返してください。
陽菜がリセラを見る。
私たちが選ばれた理由、知ってたの。
リセラの瞳が揺れる。
質問には回答できません。
美咲が一歩前へ出る。
私たちが笑うと、リセラさんの信用が増えることも。
回答できません。
地下の人たちのことも。
回答できません。
同じ言葉。
同じ調子。
リセラの口は動いているのに、そこにいる人が遠くなっていく。
陽菜の声が震えた。
どうして急にそんな話し方するの。
リセラは端末へ視線を落とした。
旅行案内規則に従っています。
前は違ったじゃん。
前も規則に従っていました。
じゃあ、今までの優しさも仕事だったの。
扉を押さえるリセラの指が強くなる。
旅行案内に必要な対応です。
陽菜の肩が落ちた。
美咲はリセラの顔を見た。
言葉とは違い、額の器官が伏せられている。
瞳は陽菜を見たまま動かない。
本心を隠している。
それが分かるからこそ、美咲は怒れなかった。
怒れない自分にも腹が立った。
直人が操作部を叩く。
扉の安全機能が解除される。
蓮がリセラの手首をつかみ、傷つけないように扉の外へ戻した。
扉が閉まる直前。
リセラが低く言った。
部屋へ戻ってください。
これ以上知れば、地球へ帰れなくなります。
事務的な声の奥に、別の言葉が埋まっていた。
戻ってほしい。
捕まりたくないなら。
帰りたいなら。
何も知らないふりをしてほしい。
リセラ自身の立場を守るため。
五人の帰還を守るため。
制度を壊さないため。
全部が絡まり、どれが本当の理由か分からない。
昇降機が上昇を始めた。
陽菜は閉じた扉を見つめ続けた。
旅館へ戻るまで、五人は一言も話せなかった。
地上へ出た瞬間から、案内体制が変わっていた。
以前はリセラとトウラが並んで歩き、季節の話や料理の話をしてくれた。
今は前後を別の係員が固めている。
立ち止まれば、すぐに理由を聞かれる。
窓へ近づけば、何を見ているのか確認される。
誰かと話そうとすれば、端末が会話を記録する。
旅館の入口では荷物検査が行われた。
美咲の香り袋。
陽菜の耳当て。
蓮の飛行証明。
直人の帽子。
悠斗の上着。
すべてが台の上へ並べられる。
係員は笑わなかった。
旅行安全規則が変更されました。
外出時には申請が必要です。
五人だけでの行動は禁止されます。
夜間は部屋から出ないでください。
食事は部屋へ運びます。
美咲が係員を見る。
最後の日まで、観光する予定だったはずです。
工程は変更されました。
理由は。
回答できません。
同じ言葉だった。
部屋へ入ると、机の位置が変わっていた。
五人が囲めないよう、壁際へ寄せられている。
寝具の間隔も広げられ、互いに小声で話しにくくなっていた。
壁には新しい記録装置が三つ増えている。
直人が天井を見上げる。
前は一つだった。
蓮が窓を開けようとする。
動かない。
施錠されてる。
陽菜は部屋の中央に立ったまま、胸元を抱いた。
昨日まで、こんなじゃなかった。
美咲が陽菜のそばへ行く。
昨日までは、私たちが商品だと知らなかったから。
悠斗はその言葉へ顔を上げた。
商品。
五人の感情。
旅行中の反応。
安心。
感動。
信頼。
別れ。
四季星は、それを善意信用へ変えた。
旅行者が満足すれば、案内役が評価される。
地域が報われる。
管理者の地位が上がる。
制度は善意を生み出しているように見える。
その下で、誰かの感情が採取されていた。
善意を作るために、人を選び、喜ばせ、泣かせる。
五人は客ではなかった。
旅行そのものが、大きな製造装置だった。
扉が開く。
リセラとトウラが食事を運んできた。
料理はいつもと同じように整っている。
温かな煮込み。
香草のパン。
果実の飲み物。
けれど、二人は料理の説明をしなかった。
リセラが台車を机のそばへ止める。
食事です。
摂取量は記録されます。
残した場合は体調確認を行います。
トウラが容器を一つずつ置く。
会話は必要な範囲に限ってください。
直人が二人を見る。
制度を守る側に戻ったのか。
リセラは直人を見ない。
質問には回答できません。
直人が机へ手を置く。
自分の信用が惜しいか。
リセラの指が止まる。
トウラが代わりに答えた。
不適切な発言です。
案内役への威圧行為として記録します。
蓮が椅子から立つ。
威圧。
その言葉を選んだのは誰だ。
トウラの丸い瞳が揺れる。
規則です。
便利だな。
蓮の声は低かった。
自分で言ったことじゃないことにできる。
自分で選んだことも、制度のせいにできる。
トウラは台車の持ち手を強く握った。
私は案内役です。
皆さんを安全に帰還させる責任があります。
陽菜が尋ねる。
安全って、記憶を消すこと?
トウラは答えない。
陽菜は続ける。
私たちが何も覚えてなかったら、トウラさんは困らないもんね。
案内資格も。
家も。
信用も。
守れる。
トウラの肩がわずかに上がった。
リセラが陽菜へ向く。
それ以上の質問は控えてください。
陽菜の目に涙が浮かぶ。
嫌だ。
ずっと聞いてくれたじゃん。
花畑で眠れないときも。
飛行機が怖いときも。
今だけ聞かないの。
リセラの唇が動く。
何も出ない。
胸元の端末が小さく鳴った。
共感反応。
陽菜の悲しみが数値へ変わる。
リセラは画面を手で覆った。
その動きを見た美咲が立ち上がる。
今も増えるんだ。
私たちが傷ついても。
リセラの信用になる。
リセラは端末を押さえたまま、事務的な声を作った。
感情記録は旅行終了まで継続されます。
美咲は料理へ目を落とす。
じゃあ、これも。
おいしいと言えば増える。
安心すれば増える。
悲しんでも増える。
何をしても商品になる。
リセラの顔がわずかに歪んだ。
食事を取ってください。
体調維持のために必要です。
私たちのため?
それとも帰還式まで元気でいてもらうため?
美咲の問いに、リセラは答えなかった。
長い沈黙。
トウラの端末が警告音を鳴らす。
会話時間超過。
リセラが台車を引く。
失礼します。
陽菜が一歩追う。
リセラさん。
扉の前で、リセラの足が止まった。
振り返らない。
陽菜の声が小さくなる。
本当に、全部仕事だったの。
リセラは数秒間動かなかった。
やがて背筋を伸ばした。
皆さんへの案内は、正式な業務です。
扉が閉まった。
答えになっているようで、何も答えていなかった。
廊下へ出たリセラは、台車を押したまま歩いた。
トウラも隣へ並ぶ。
角を曲がり、部屋の記録装置が音声を拾えない場所まで来る。
トウラが足を止めた。
あんな言い方をする必要はなかった。
リセラは前を向いたまま答える。
必要です。
私たちが親しい態度を続ければ、管理局は別の案内役へ交代させます。
それだけではありません。
家族の信用まで止めると通告されています。
分かっています。
トウラの声が揺れる。
だからって。
リセラは胸元の端末を握った。
優しくすれば、彼らは私を信じます。
信じれば、質問します。
助けを求めます。
私は答えられません。
答えれば、彼らは帰れなくなる。
冷たくすれば、私から離れる。
離れれば、自分たちで考える。
それが一番安全です。
トウラはリセラの横顔を見る。
本当に、それだけですか。
リセラの歩みが止まった。
それだけではない。
案内資格を失いたくない。
住居を失いたくない。
家族の医療順位を下げたくない。
自分が築いた生活を壊したくない。
親切な案内役として評価されてきた自分を、間違いだったことにしたくない。
地下の存在を知りながら、何年も案内を続けてきた。
知らなかったとは言えない。
制度に従っただけとも言えない。
リセラは自分の手を見る。
五人が笑えば、うれしかった。
その笑顔で信用が増えることもうれしかった。
家族へ広い住居を与えられたこともうれしかった。
自分の案内が認められるたび、誇らしかった。
どれか一つだけが本心ではない。
全部が本心だった。
だからこそ、一つを選べなかった。
私は、自分のために彼らへ親切にしました。
リセラは静かに言った。
喜んでほしいと思ったのも本当です。
信用が欲しかったのも本当です。
案内役を続けたかったのも本当です。
地下を見ないようにしたのも、本当です。
トウラは何も言えなかった。
リセラは端末を胸元へ戻す。
今さら、善意だけだった顔はできません。
でも、悪意だった顔もできません。
だから規則の顔をします。
それなら本心を見せなくて済みます。
トウラは台車の持ち手を見つめた。
それも、自分を守るためですね。
はい。
リセラの返事は早かった。
五人を守るためだけではありません。
私が壊れないためです。
廊下の端に監視装置があった。
二人はそれ以上話さず、再び歩き出した。
部屋では、五人が食事を囲んでいた。
誰も最初の一口を食べようとしない。
直人が壁の記録装置を指した。
壊せば警備が来る。
布をかけても反応する。
悠斗は料理の湯気を見る。
食べよう。
美咲が顔を上げる。
いいの。
食べなければ、向こうの思い通りじゃなくなるかもしれない。
でも俺たちが弱る。
帰るためにも、証拠を持ち出すためにも必要だ。
蓮がパンを取る。
怒りまで利用されるなら、腹を減らすだけ損だ。
陽菜も容器を持った。
一口飲む。
温かさが身体へ広がる。
端末が鳴る。
安心反応。
陽菜は天井を見上げた。
今のも取られた。
美咲が陽菜の容器へ自分の容器を軽く当てる。
取られても、全部は渡さない。
何が残るの。
私たちがどうするか。
美咲は煮込みを口へ運ぶ。
おいしい。
端末が鳴る。
美咲は続けた。
でも、あなたたちのために言ったんじゃない。
私は私が思ったから言った。
直人の口元が少し動く。
機械には違いが分からない。
分からなくていい。
美咲は食べる。
数字にできても、意味まで取れるとは限らない。
悠斗がうなずく。
俺たちの気持ちを、向こうの説明だけで決めさせない。
蓮がパンをちぎる。
楽しかった旅まで偽物にする必要はない。
陽菜がゆっくり飲み物を飲む。
リセラさんが優しかったことも。
直人は少し考えた。
あれが本心だったかは分からない。
でも、俺たちが助けられたことは事実だ。
本心が何だったかより、これから何をするかだ。
五人は食事を続けた。
端末は何度も鳴った。
満足。
安心。
集団結合。
警戒緩和。
数値が保存される。
けれど、五人はもう数字だけを見なかった。
夜。
部屋の照明が自動で落とされた。
廊下には警備の足音が続いている。
窓は開かない。
扉には外側から認証がかけられている。
五人は寝具へ入ったふりをした。
しばらくして、悠斗が寝返りの動きに合わせて小さく声を出す。
記録は分ける。
直人が壁を向いたまま答える。
一人に全部持たせない。
美咲は毛布の中で手を伸ばす。
陽菜から薄い記録板を受け取る。
蓮は枕の下へ別の板を隠す。
地下で複製した招待記録。
五人の選定理由。
善意信用の分配先。
過去の招待客。
案内役の報酬。
感情資産という分類。
一枚ずつ。
別々の場所へ。
陽菜が小さく言う。
明日から、もっと見張られるよね。
直人が答える。
帰還式まで部屋に閉じ込めるかもしれない。
蓮の声が続く。
記憶処理もある。
悠斗は暗い天井を見る。
それでも帰る。
五人で。
美咲が毛布の端を握る。
地球へ戻ったら、どうする。
直人は少し間を置いた。
証拠を残す。
陽菜は。
地下の人たちを助けたい。
蓮は。
まず俺たちが帰らないと何もできない。
悠斗は。
全部をすぐに話すかは、まだ決めない。
地下の人たちが危険になるかもしれない。
美咲は目を閉じる。
私は、旅行が楽しかったことも話したい。
悪いことだけじゃなかった。
だから余計に、裏で何があったか伝えたい。
暗い部屋の中で、それぞれの答えが小さく並んだ。
一つにはまとまらない。
それでよかった。
四季星は、五人の感情を役割に分けた。
安定役。
感動役。
警戒役。
共感役。
保護役。
けれど五人は、記録に書かれた役割だけではなかった。
迷う者が守ることもある。
疑う者が信じることもある。
笑う者が怒ることもある。
弱そうに見えた者が、最初に声を上げることもある。
分類できない部分が、まだ残っていた。
部屋の外では、リセラが監視画面を見ていた。
五人は横になっている。
会話反応は低い。
感情値は穏やか。
装置は、彼らが眠り始めたと判断した。
セムが背後へ立つ。
明日から案内は不要です。
帰還式まで、招待客は保護対象となります。
リセラは画面から目を離さない。
承知しました。
不正閲覧された記録は、回収できましたか。
いいえ。
持ち出された可能性があります。
身体検査を行います。
抵抗した場合は。
セムの声には揺れがなかった。
安全確保を優先します。
記憶処理は予定通りですか。
予定より範囲を広げます。
旅行中の疑念だけでなく、案内役との個人的な交流記憶も弱めます。
リセラの指が端末の縁へ食い込む。
必要ですか。
案内役への依存反応が高すぎます。
帰還後に記憶の断片が残れば、制度への疑問につながります。
セムは画面の五人を見る。
彼らは感情資産です。
帰還後まで管理する必要があります。
リセラはゆっくり振り返った。
人です。
セムの灰色の瞳が向けられる。
今、何と言いましたか。
リセラの胸元で端末が鳴った。
制度反発反応。
信用値減少予告。
家族信用への連動表示。
リセラの脳裏に、家族の住居が浮かぶ。
治療を待つ身内。
自分の帰りを信じている者たち。
案内役として積み上げた年月。
五人の笑顔。
陽菜の涙。
地下の作業列。
すべてが同時に押し寄せる。
リセラは視線を下げた。
発言を訂正します。
セムは数秒間、彼女を見た。
招待客は管理対象です。
忘れないでください。
承知しました。
セムが去る。
足音が廊下の奥へ消える。
リセラは監視画面へ戻った。
五人は眠っているように見える。
画面の端には、善意信用の予測値が表示されていた。
帰還式で五人が安心すれば、リセラの信用は大きく増える。
上位居住区への移動。
家族医療の優先。
案内資格の継続。
望んでいたものが、すぐそこにあった。
指一本で、五人の記憶処理を承認すればいい。
知らなかった旅に戻せばいい。
楽しかった感覚だけを残し、疑問を消す。
地球へ帰す。
五人は日常へ戻る。
リセラは生活を守る。
四季星のおもてなし事業も続く。
誰も困らない形に見える。
地下の者たち以外は。
リセラは承認欄へ手を近づけた。
指が止まる。
監視画面の中で、陽菜がわずかに寝返りを打った。
毛布の隙間から、水色の耳当てが見える。
飛行機へ乗る前。
怖いと訴えた陽菜へ、リセラは大丈夫だと伝えた。
数字のためだった。
仕事のためだった。
それだけではなかった。
怖がる陽菜を、本当に安心させたいと思った。
その本心まで制度へ渡したくなかった。
リセラは承認画面を閉じた。
代わりに、帰還式の進行表を開く。
経路。
認証。
記憶処理室。
警備配置。
五人が地球へ帰るために必要なもの。
その情報を、別の記録へ複製し始めた。
部屋の中で、直人が目を開けた。
壁の記録装置が一瞬だけ停止している。
ほんの数秒。
画面に小さな表示が浮かんだ。
帰還式。
処理室手前。
右側通路。
信号管理室。
すぐに消える。
直人は動かなかった。
リセラが送ったのか。
トウラか。
別の誰かか。
分からない。
それでも内容は覚えた。
隣で悠斗が眠ったふりをしている。
直人は毛布の下で、悠斗の腕を一度だけ叩いた。
合図。
悠斗の指がわずかに動く。
美咲。
陽菜。
蓮。
合図は静かに伝わった。
監視は強くなった。
案内役は本心を隠した。
親切だった態度は事務的なものへ変わった。
五人は部屋へ閉じ込められ、帰還式を待つ商品として管理された。
それでも、制度の内側で小さなずれが生まれていた。
数字を守りたい者がいる。
家族を守りたい者がいる。
仕事を守りたい者がいる。
五人を守りたい者もいる。
どれも本心だった。
善意とエゴは、きれいに分けられなかった。
翌朝。
部屋の扉の外へ、新しい表示が点灯した。
地球招待客五名。
旅行工程終了。
感情資産回収完了。
帰還式へ移送予定。
五人はまだ眠っているふりをしていた。
胸元や荷物の奥には、分けられた記録が残っている。
四季星は、彼らを商品として帰そうとしている。
五人は、自分たちの旅として持ち帰ろうとしていた。
コメント
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「感情資産」って言葉にゾッとしたあと、じわじわと悲しくなりました…。リセラがああいう態度を取るしかなかった理由が、後半で全部腑に落ちて、余計に苦しい。善意もエゴも全部本心ってところが、すごく人間らしくて好きです。五人がバラバラの役割を押し付けられても、それを超えて動き出した感じ、希望にも切なさにもなるなあ。あと、陽菜の「飛行機怖いときは聞いてくれたのに」が胸に刺さりました…。
#一次創作
ふぃる汰
356
羽海汐遠
14,585