テラーノベル
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#シングルファザー
霞
何故か馴染めない、妙な感じはあった。
だけど私たちが、亜鐘をそこまで追いやっていたなんて。
器用で賢く、なんでもこなしていた鬼女だけど、本音の誤魔化しまで上手だった。坤鬼舎の作法に馴染むフリをして、その実は後宮という仕組みに全く向かない子。まるで身を焦がす蛍のよう。
気付けてさえいれば、暇を与えることもできたのに。隠岐にも送れたのに。
見抜けたかった私のせい。
許してくれとはとても言えない。きちんと殺して、業を背負って生きていく。
「くっ……」
私は木で雁字搦めになった大人に手を当て、自分の呪を送り続けた。
木で雁字搦めになったところを、さらに私の氷で固めて動きを止めているけど、あの巨体を止めるとなるとやはりしんどい。遠からず私の中の呪も枯渇する。いまですら、じりじりと大人の力に押されてきているのを実感していた。
意識が遠のきつつあって、そう長くは動きを止められない。
晴明さま、早く。
大人を、弟のいる都には行かせられないから。
あの子だけは、私が必ず守るの。これまでも、これからも。
晴明さまのためにも、私のためにも、弟のためにも、そして亜鐘のためにも。
大人。あなたはここで眠らせてあげる。
※
陸燈
さぞ恨んでいるだろうね、あたしを。
だけどこうして暴れ回るのは感心しない。
妹たちは甘いから自分の責を問うだろう。だけど、亜鐘。あたしは違う。これは坤鬼舎のしきたりを守れなかったお前の責任さ。
ただ舎の長として、後始末は付けてあげる。必ず楽にしてやるから。
あたしは土偶人の背中に晴明さまと共にまたがり、大人の体を木を伝って駆け上がった。胸の辺りに怨魄があると当たりを付けたからだけど……、
「……どうにも難しいねえ」
この巨体では池の中の小石を探すようなものだ。
土偶人の拳で大人の体を削らせる一方、あたしは木の枝を足場に、大人に手を当て探っていた。亜鐘のように意識を澄ませ、怨魄の場所を調べてみるが。
けど返ってくる手応えはがらんどうのようで、皆目見当も付かない。いまとなっては亜鐘の本当の呪は分からないけど、大した鬼女だった。
ともあれ早くしないと、大人は縛られた巨木と氷に絶えず力を加えていて、ミシリミシリという軋みが足を通して伝わってくる。決壊のときは間もなく。
「晴明さま、そちらは」
「ダメだな。太刀ではどうにもならん」
晴明さまはため息をついた。胸の辺りに怨魄がない、或いは体の深い場所に怨魄があるとすればお手上げだ。大人の足元を削っていた土偶人は既に消えた。ここにいる土偶人もそう長くは持たないだろう。
しかし、だからと言って都へは行かせられない。
人間など守ってやる義理もないが、父君と母君は別。あたしがお守りするのだ。
「…………」
あたしはもう一度大人に手を当てると目を閉じ、濁った池を覗くように大人の体内を探る。なんとか怨魄の場所を。その一念だったが……。
ついと、左から音が広がってきた。
木の折れる乾いた大きな音。
顔からサッと血の気が引く。聞きたくなかったが、いずれはと覚悟もしていた。
あたしは目を開け、音の出所に視線を飛ばす。
それは大人の右腕の部分。木は引き千切られ氷は裂け、大人の巨大なその右腕は完全に自由。そして手の平が向かう先は――
「晴明さまっ!」
※
体の傷が治り、わたしも大人に登ろうとした直後。
地響きのような音を立て、大人の右腕を縛っていた太い枝が千切れ飛んだ。
巨木は枝葉を揺らして鳥のように空を舞うと、遥か向こうで小さな音と共に落下。もうもうと舞う土煙は、わたしの希望すら曇らせた気がした。
「うそ……」
見ると霞姉さまは力尽き、大人の足元で倒れている。大人が完全に自由になるまで、もうときがない。
「命恋姉さま! 霞姉さまをお願いします! スケは手伝って!」
「手伝う? なにを!」
「晴明さまをお助けするっ!」
わたしは返事を待たずに飛び出し、坂を走るように大木を駆けていく。たぶんこれまでの人生で一番の速さで。絶対に晴明さまを死なせない。その一心だった。
けど――
「晴明さまっ!」
悲鳴に近い陸燈姉さまの叫びが聞こえた。
視線を飛ばすと大人の右手が晴明さまに迫り、いままさに逃げ切れなかった彼を掴んだところだった。
「返して、お願いっ! 亜鐘姉さま!」
さらなる力を込めて疾走する。陸燈姉さまも土偶人を使い、その手を開かせようと必死だ。けど……。
「私は、もういい!」
大人の手の中から、晴明さまが苦しげに、しかし大きな声をわたしたちに向けた。
「お前たちは退き、加茂陰陽仗の沙汰を仰げ! いいな、ここで深追いはするんじゃない! 私は!」
「いや! 晴明さま!」
わたしは力いっぱい跳躍し、大人に持ち上げられる彼に向かって腕を伸ばす。
だけど縋るこの手は虚しく宙をかき、大人は戦利品を誇示するように、高々と晴明さまを掲げ上げた。
「私はお前たちといられて幸福だった」
空から小さく、くぐもった晴明さまの声が降ってきた。
わたしは夢でも見る心地で、大人に握られた彼を見ていた。どこか現実じゃない、遠くの風景を眺めているようだった。
大人の力は、実際に体験したわたしがよく分かっている。
手がかすっただけで地面に叩き付けられ、死んでもおかしくない衝撃だった。人間よりも頑丈な鬼女が。
じゃあ晴明さまは? 大人にとっては蚊のようなものだろう。
たぶんあの手に少し力が加わっただけで、晴明さまは容易く死ぬ。大人が突き上げた拳から、たぶん間もなく潰れた晴明さまの血が腕を伝って流れてくるはずだ。
――怖い。
悪い想像が現実の光景と重なって映り、胸の真ん中が痺れるように冷たくなる。
わたしは木に着地しながら、晴明さまに迫る死の影に怯えた。この世の全てがひどくゆっくりと流れていた。
目の隅に、珍しく取り乱す陸燈姉さまが映った。大人が手に力を込めようとしている動きも見えた。止まりそうなほど遅いときの中は、じっくりと責め苦を味わう拷問に似ている気がした。
もうすぐ、なにもかもを失うのだ。
命より大切なものを。
わたしを見つめてくれるあの青やかな目を。あと数瞬の間に。
かつても感じた喪失感。
体をえぐられるよりも辛く、決して耐えられない。耐えられない……!
『解き放て』
心の裏側から、また声が聞こえた。
あのときと同じ。この声に身を預けたら楽になる。目が覚めたらあらゆる全てが、きっと終わっている。
「ううううう……!」
ツノが疼き、頭の中でなにかが目覚める。
遠くに行って久しかったもの。幼い頃からずっと近くにあったもの。それが力を蓄えて、いま!
「ああああああああああああああああ!」
そうだ。あのときと同じ。なにかも同じ。
湧き上がる怒りで、我を失いそうになる。
なにに対しての怒り? 分からない。分からないけど鬼の本能が持つ激情の火に、人としての理性が焼かれていく。夜火などという人の名前は捨ててしまえと、内に巣食う鬼が笑う。自分に代われと、鬼が囁く。
魚の穢悪のときもそうだった。こうして意識がなくなって、目覚めたら全てが終わっていた。今回だってきっとそう。怒りと殺意に身を委ねたら……。
「夜火!」
背中に抱き付かれた。陸燈姉さまの感触。
「どうしたんだ、カミよぉ」
下から足を掴まれた。木を登ってきたスケ。
わたしを支えてくれる人たち。下には命恋姉さまやモリや鬼女の童も。
わたしは……。
わたしは違う。
あんたなんかと代わらない。
そう、わたしは――
『解き放て。自らの鬼を。名付け飼われた自分を脱ぎ捨てろ』
「うっせえ……!」
わたしは答えた。わたしは……。
「鬼じゃねえ! わたしは坤鬼舎の夜火だ!」
自分の中の鬼が爆発した。そう感じた。
力が溢れる。心の中から、信じられないくらいの力が。いまならこの緋色に染まった髪を、世界の果てまで伸ばせそう。
――晴明さま!
大人の手を睨み付け、緋色の髪を目いっぱい飛ばす。前よりも長く速く、まるで自分の呪ではないみたいに。
瞬間とも呼べない時間の狭間。礫のように飛ばした緋色の髪を、大人の手首に巻き付けた。
狙いは一つ。大根を糸で締めて切る如く、太い太い大人のその腕を締め付ける。痛みか、大人が泣くように咆哮する。だけど加減はしない。大人の体はそれほど硬くないはずだ。
「切る!」
わたしは自分の言葉で呪に役割を持たせ、最後に思い切りの力を髪に込める。
次の刹那。髪の先からは空を撫でるように手応えが失くなり、そして切断した大人の手首が落ちてきた。
「うわっ!」
わたしは慌てて髪で広い網を形作ると、その上に断った大人の手首を受け止める。
呪による髪は重さを感じないけど、なにかを受けるとなると話は別。重い手首を受けた衝撃で体が浮きそうになったけど、土偶人とスケが支えてくれて、かろうじて足場で踏ん張れた。
やれることは、できた? 手の中は……!
「晴明さま!」
陸燈姉さまが、網と伸ばしたわたしの髪を路にして駆け抜ける。そして綺麗な肌や顔を泥だらけにしながら、土くれと化した大人の手首を手で掘っていくと……。
「ご無事だよ、ご無事! 晴明さま!」
網の上から涙が少しだけ混じった声で、高らかにそう叫んだ。
無事……!
ご無事!
――ああ……。
言葉が意味を持って頭に入ってきた瞬間。
わたしの中にあった激情は風が吹いたように霧散し、心地が凪いだ。悪夢が夢のまま終わってくれて、全身の力が抜けていくよう。
「――よかった……。し、死ぬかと思った……」
「いいや、よかないみたいだぜ、カミ」
スケがひくつく苦笑いで大人を見つめている。
なにがと思いスケと視線を合わせると、その先は呻く大人。
手首を断たれた怒りからか、まるで建付けの悪い戸を無理に開く力感で、まさにいま、自分を縛り付ける木や氷を引き剥がさんとしているところだ。わたしたちが足場にしている幹は、大人の力みでいよいよ裂け目が大きくなってきていた。
「休ませてくれねえなぁ。逃げるぞ、カミ」
「夜火! 髪の呪を解きな! 晴明さまは任せて!」
陸燈姉さまとスケが走る。
余裕がなく返事を頷きで済ますと、わたしは髪を戻して落ちるように木を伝い下っていく。気になり晴明さまを見ると、土偶人が陸燈姉さまと晴明さまを両肩に載せ、崖崩れの勢いで大人の体を駆け下りていた。
わたしは安心すると共に便利な土偶人を羨ましく思い、ただ、いまの自分の髪なら、あれすらも難なく作れそうな気もした。自分の中にある呪が、以前とは比べものにならないほど高まっていたから。
「離れろ! 木はもう千切れる!」
原っぱに足を着けると、スケが駆けながら叫んだ。
命恋姉さまは霞姉さまとの治癒をしていたけど、声を聞くと彼女を小脇に抱えて大人から距離を取った。モリは既に紫雲と女童を連れて退いているようだ。
わたしも息を切らせながら命恋姉さまのあとを追い、そして彼女の盾となる形でその前に立った。
大人を振り返ると、大きな軋みの音や木が折られる音が聞こえて来て、
「夜火!」
少し遅れて、泥だらけの晴明さまと陸燈姉さまが駆け寄ってきた。
晴明さまは少し慌ててらっしゃるけど、いつもの面差し。いつもの声。実際に動いて話す様を目にして、わたしは膝から崩れそうなほど安堵した。
「晴明さま。ご無事で……。どこか痛む場所は?」
「お陰で少し苦しいが平気だ。――呪が戻ったか」
「晴明さまをお助けする一念でした」
「……助けられるのは二度目かな」
「お役目ですから」
答えると、晴明さまはわたしの耳元に口を寄せた。
「――付いてきてくれて、ありがとう」
そう言い残し、すれ違うようにわたしの側を離れた。そして屈み込んで意識のない霞姉さまの容態を確かめる。
残されたわたしは、頬に熱を帯びた。同時に亜鐘姉さまを思い出す。
――晴明さまのお言葉、きっと喜んだだろうな。
一瞬だけ俯く。と、感傷に浸る間もなく、落雷のように厚みのある大音響が、辺りの裾野に鳴り響いた。
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つるみ犬丸さん、第25話読みました……! もう、冒頭から震えました。霞姉の独白が重くて、亜鐘のことを「本音の誤魔化しまで上手かった」「まるで身を焦がす蛍」って表現、心に刺さりました。夜火ちゃんがあの絶望的な状況で「鬼じゃねえ! 坤鬼舎の夜火だ!」って叫んで髪で大人の腕を断ち切ったシーン、めっちゃ熱かったです🔥 自分の鬼に飲まれそうになりながらも仲間に支えられて踏みとどまったのが本当に良かった。晴明さまを救えた安堵と、亜鐘を思い出す切なさが入り混じって、次の展開が気になって仕方ないです……!