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さぶれ-SABURE-
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早いものであれから1年の月日が流れた。
仕事に忙殺され、なにも考えない日をただ、過ごしていた。
涼二とはきちんと離婚が成立しているから、あれから彼がどうなったかはわからない。その後は自分の荷物だけをさっさと引き上げ、セキュリティのしっかりとした会社から近くのマンションへ引っ越したから。
そして今日、いよいよシナリオ大賞の発表がある。
私の作品『別れさせ屋(男)に夫を堕とさせました』は、ありがたいことに、最終選考の10名枠の中に入っている。1次を通り、2次にも残った。
今夜、公式webサイト上で、20時に公表されることになっている。
天魔と一緒に結果を見ようと思って、仕事帰り赤ワインの手土産を購入し、エンビルを訪れた。
(ここに来るのも久々だな……)
天魔は元気でやっているのかな。あれから一度もここへは訪れなかったから、ほんとうに久々。
相変わらず雑多な路地を縫うように歩き、古びたビルの前に立つ。排ガス等で汚れた銀色のポストは、もはや灰色にしか見えない。そこに小さく『B1 Ber エンビル』と書いてあるので、多分まだお店はあるのだろう。店が健在していることに、ほっと息をついた。
地下へと続く道を降りると、カツ、カツ、とヒールの音が響く。やがて重厚な鉄扉が見えた。すべての者を拒絶するかのような扉に見えなくもない。
「あれ……」
入口の札に『貸し切り』の文字があった。ということは……
(もしかして依頼中――?)
1年前の記憶が走馬灯のように蘇る。特に、天魔と交わした言葉が。
――大賞獲って貸し切りにしたいけど、もし、扉に貸し切り札がかかっていたら、どうすればいいの?
――そうだな……引き返すか、新たに困っているやつを助けるかは、沙耶が決めればいい
あの日から、私の心は決まっている。
ぐっとお腹に力を入れ、私は扉の取っ手に手をかけた。
私が引き返す選択肢なんてあり得ない。
重い扉を開けると、初めて店を訪れた時ようなウーハーがきいた楽曲は流れていなかった。以前私が座っていた場所に、別の女性が座っている。扉が開いてドアベルが鳴ったので、天魔と女性がこちらを見た。
「悪いが今日は貸し切り――」
「久しぶりね」
天魔と言っていいのかどうかわからなかったので、名前は呼ばずに挨拶した。1年も経ったのに、なにも変わらない容姿。この人の周りだけ時空が止まってしまったかのように。
「沙耶! 久しぶりだな」
「商談中にごめんなさい。でも、以前から許可はもらっていたからいいでしょう。内容によっては全面協力するから」
「助かるよ」
天魔が改めて女性に私を紹介してくれた。「彼女は沙耶。以前、俺の依頼人だった女性だよ。ITに詳しくて、頼りになる相棒だ」
相棒……。まだそんな風に言ってくれるんだ。すごく嬉しい。
紹介してもらったので、沙耶です、と名乗り、名刺を渡して彼女に頭を下げた。
「久我茜(くがあかね)です。宜しくお願い致します」
茜さんは瞳の大きな瓜実顔、純日本人の風体の彼女は丁寧な所作で私に頭を下げてくれた。スーツ姿の私とは対照的な、繊細なレースをあしらったブラウスに身を包んでいた。髪は丁寧に整えられ、指先には上品なネイル。しかし、膝の上で握りしめられた手は白くなるほど力が入り、隠しきれない疲労が肌のくすみに現れている。
なにより、彼女の瞳。
光を吸い込んで離さない深い闇の中に、触れたら火傷しそうなほどの冷たい炎が見えた。かつて、鏡の中で私自身が見せていた、あの復讐者の瞳。
一度すべてに絶望し、怒り、夫を憎むその秘めたる怒りがありありと伝わってきた。
「どこまで話が進んでいるの?」
「俺の正体を明かしたところ」
「じゃあ、あなたの試験に合格したんだ。根性あるのね」
「そういうこと」
ニッと彼が笑った。いつもの不敵な笑顔はなにも変わらない。
「茜。ちょうどいい。沙耶に話を聞いてもらって、旦那に復讐するための面白い脚本を書いてもらおうじゃないか」
「えっ……?」
「彼女、凄腕の脚本家でもあって、今、ドラマのシナリオ大賞に応募しているんだ。確か今日だろ、発表」
「覚えていてくれたの?」
「当然だ。最終選考に残っていただろう。大賞獲って俺の店貸し切りにしてくれる話、忘れるわけないし、君は今日来てくれると思っていたから」
天魔……。
「いつ発表だ?」
「今日の20時」
「あと30分ほどか。よし、じゃあ景気づけに飲むか。茜の話をしながら」
言うが早いか天魔は私のビールを注いでくれた。
「再会に乾杯」
突然の訪問で依頼中にお邪魔してしまったのに、茜さんは快く私を隣の席に着かせてくれて、彼女の身の上話を語ってくれた。
彼女の夫は一流証券マンで、SNSでは愛妻家を演じる完璧な夫。しかし実態は、複数の女性と投資セミナーと称した不倫旅行を繰り返し、女性を食い物にしているらしい。
さらに茜さんを精神疾患に仕立て上げて、自宅と財産をすべて取り上げて追い出そうとしているそうだ。
「茜さんは、ガスライティングを受けているわ」
話を聞いて断言できた。
「ガスライディング……? それってどういう意味だ、沙耶」
「簡単に言うと、相手の現実感覚を狂わせ、精神的に支配する心理的虐待のことよ。『お前が間違っている』『俺の言うことが正しい』と言われ続けることによって、一種の洗脳状態に陥り、正常な判断ができなくなることを言うの。モラハラのかなり酷いものと言えばわかりやすいかな」
同様の心理虐待による海外映画のタイトルからちなんでつけられた、ガスライティング。
「茜さん、よくこの状態で、天魔に話をするまでに持って行けたわね」
「実は、自分が若年性アルツハイマー型認知症ではないかと疑いました。あまりに記憶と夫の言うことにずれが生じているため、自分の記録を録ろうと思い、家に監視カメラを仕掛けたのです。それで……夫に階段から突き落とされる映像が残っていて……幸い数段で止まってかすり傷だったので大事には至っておりませんが、その時、気が付いたのです。夫が私に嘘をついているのだ、と」
なんて最低な夫なの……!
「酷い、許せないわ!」
「はい。なので、復讐をうまく肩代わりしてくれるような人を探していたところ、天魔さんの名前を見てここに来ました。伝説の別れさせ屋だと伺ったので。夫とはぜったいに別れたいのです!」
「そうだったの……茜さん、辛かったね。よく頑張ったね」
彼女の肩をぎゅっと抱きしめた。
私も辛かった時、天魔が寄り添ってくれた。ひとりじゃないと思うことで救われ、心強かった。辛くても折れずに頑張れた。
「沙耶さん、ありがとうございます……」
「私が最高の復讐シナリオを考える! あなたの力になりたい。ぜひ、協力させて」
「百人力だな。あ、それより沙耶。発表の時間じゃないのか」
時計を見ると20時ちょうどとなっていた。
「ほんとだ! 茜さん、話の途中だけど、発表見てもいい?」
「もちろんです! 確認しましょう!!」
私はスマートフォンでシナリオ大賞の合格発表のwebサイトにアクセスした。
読み込んだ画面の一番上に、第50回シナリオ大賞受賞作品:『別れさせ屋(男)に夫を堕とさせました』作家:サレ妻沙耶」の文字が飛び込んできた。
「うそ……」
「沙耶! やったじゃないか!!」
「きゃー、すごいです、おめでとうございます!」
そんな……信じられない。
あの、辛く苦しい日が、こんな形で報われるなんて夢にも思わなかった……!
頑張れば、幸せが訪れるのね。
どんなにどんなに落ち込んで、どん底で、辛くても、明けない夜はない。それを自分自身の力が証明してくれた!
こんなに嬉しいことはない。
「よし、沙耶。さすが俺の相棒。信じていたよ。この結果を見て、元旦那も死ぬほど悔しがっているはずだ。ははっ。今日は飲もう! お祝いだ!!」
普段はクールな天魔も、満面の笑みで喜んでくれた。
あなたのおかげよ、天魔。
ほんとうにありがとう。
天魔は愉快そうに喉を鳴らすと、カウンターの下からあるものを取り出した。
「俺のおごりだ」
それは1年前、私が天魔に贈ったワインと同じラベルのもの――『ソート ルー レゼルヴ ド ラ ファミーユ』――涼二を地獄へ叩き落とし、依頼料を支払った……あの時飲んだ、勝利のワイン。
粋なことしてくれるわね。もう。
「祝杯をあげよう。茜、時間は大丈夫なのか?」
「はい、夫は今日セミナー出張で家にいません。外で浮気三昧です」
「じゃあ飲みながら、じっくり茜さんの復讐計画を考えましょう」
待っていなさい、クズ夫。
サレ妻沙耶が、
クズ夫を堕とすまでの方法を、
最高の演出で脚本を考えてあげるから――
-完-
最後までご愛読ありがとうございました。
コメント
1件
完走したよ〜!!😭💕 沙耶ちゃんがシナリオ大賞獲って、天魔の店貸し切るって約束叶えるシーン、涙腺崩壊したっ!! 新しい依頼者の茜さんを“ガスライティング”って見抜いて肩抱きしめるところ、沙耶ちゃんの成長が尊すぎる… 最後に同じワイン出してくる天魔も粋すぎてズルいよ! 完結おめでとうございます🌸✨