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「そういえば、鴇《とき》姫とやらは、まだ、裳着《もぎ》の儀も済ませていないとか。父君は屋敷におらん、母君は臥せっている。ではなぁ」
「なるほど、まだ垂れ髪か……」
裳着《もぎ》の儀とは、貴族の童女《こども》の成人を祝う儀式の事である。
それを機に、女性の正装の一部、腰から下を覆うように纏《まと》い後方へ長く引き垂らす裳《も》を身につけ、垂らしたままの髪、垂れ髪を結い上げ、女人《おんな》の姿へと変わるのだ。
通常、十二、三歳になれば行うものだが、十六で、まだ、というのは、やや遅いと言っても良い。それほど、事情ある家なのだろうか……。
「あーーー!そうかっ!!」
斉時《なりとき》が叫んだ。
「守近!垂れ髪の幼な子が好みの少将と言えば!」
斉時は、守近を手招くと、耳元でささやいた。
酒臭い息がかかり、守近は思わず袖で顔を覆ったが、聞かされた名に唖然とする。
「……あの左の少将様が……幼児趣味を持たれていたとは……」
「裳着直前の姫君を狙っているらしく、時には、成人の後ろ盾と称して、近付いたりしているそうだぞ」
「そうして、成人したとたん、自分の女にしてしまうのかい?」
そうゆうこと、と、斉時は頷いた。
「まあ、その手もあったか、という話しだがな。しかしなぁ」
「それで、鴇《とき》姫は、歌を返さなかったのでは?女房が、気を効かせたのだろう」
なるほど、と、斉時は膝を打つ。
「少将違いだったとはなぁ!すっきりしたよ。それじゃ、お先に、休ませてもらうとするか」
勝手知ったる我が家とばかりに、斉時は去った。
やはり、裏があったかと守近は息をつく。
物忌《ものいみ》は、明日まで。そして、夜が明ければ、斉時は、帰って行く。後は、静かに御祓《みそぎ》の時を過ごせるだろう。
と、思っていたのだが──。
「ひょぉえっっっーーーーー!!!」
朝を迎えた守近の屋敷に、幼子《さな》の、奇っ怪な叫び声が、響き渡った。
身支度を整えたばかりの守近は、徳子《なりこ》の房《へや》へ、駆け込んだ。
「な、何事ですかっ!」
「ああ!守近さま!」
徳子もなにやら、動揺している。
女房達は、一斉に沙奈《さな》の元へと向かって行った。
「……橘《たちばな》が、顔を見せぬものですから、沙奈が様子を伺いに……」
「で、この騒ぎなのですね?」
守近の問いに、徳子は、頷いた。
何しろ徳子は、身重。何かあっては困ると、守近は、怯える徳子を落ち着かせる為、抱き締めてやる。
「まあ、中堅処の女房といえども、寝坊する事もあるでしょう。橘も、きっと……」
と、守近が言い終えるか否か、
ひゃあーーー!
あれぇーーー!
女房達の叫びが響く。
「おい!医師《くすし》を!」
追うように、斉時《なりとき》の声が迫った。
ただ事ではない様子に、守近と徳子は、顔を見合わせる。
ドタドタと仰々しい足音とともに、怒鳴るような斉時の声がした。
「ああ、守近!早よう医師《くすし》を呼べ!皆、目を回して倒れておるぞ!」
現れた斉時を見て、徳子は、ひっと、声を挙げ、守近の腕の中へ崩れ混む。
「な、な、斉時!!!お前、何を、何を!」
「あー、何って、その、昨夜、橘に世話になってなぁ。すまん。つい……。いや、それよりも、医師《くすし》だ!」
どうやら、女房、橘と密な夜を過ごした様だが、寝ぼけているのか、なんなのか。斉時ときたら、情事の後の、一糸纏《いっしまと》わぬ姿で闊歩《かっぽ》しているのだ。それに、本人が気付いていないとは──。
「おおっ?!徳子様まで!守近!私が、医師《くすし》を呼んでこよう!」
斉時は駆け出した。
「い、いや、ちょと、待て!だ、誰ぞ!誰ぞ!斉時を止めろ!」
おおっー!
うわぁー!
ぎゃあーー!
悲鳴が次々挙がっていく……。
ああ、物忌《ものいみ》の穢《けが》れ、否、斉時という男、恐るべし──。