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薄い布団の上で、遥はかすかに目を開けた。吐き気のあとに残った酸っぱい匂いが喉の奥にまとわりつき、息をするだけで痛みが走る。
カーテン越しに、人の気配が増えていくのがわかった。
──ドアが開く。
「入っていいですよ」
教師の声。
次の瞬間、ざわ、と空気が揺れた。
数人の生徒が、好奇の混じった足取りで保健室に入ってくる。
「見てごらん。これが、“責任を放棄した人間”の末路だ」
淡々とした声だった。
その“説明”のような言葉が、余計に残酷だった。
「授業を抜けて、みんなが努力してる間にここで寝てる。
君たちはどう思う? “可哀想”かな?」
誰かが笑った。
別の誰かが、鼻で息を鳴らす。
「……怠けてるだけっすよ」
「うん、俺もそう思う。だって顔、元気そうだし」
「汗かいてるのも、演技かもな」
布団の中で、遥の手がわずかに動いた。
動かすたびに、骨が軋むように痛む。
けれど、それでも何か言おうとして唇を開く──声にならなかった。
「反論は?」と教師が問う。
「言いたいことがあるなら、言ってみなさい。君のための“教育”なんだから」
遥は喉を鳴らした。空気がひゅうと抜ける。
その無音を、教師がため息で断ち切る。
「……沈黙か。
いつもそうだね。君は何を聞かれても黙る。
“自分の言葉で責任を取る”という当たり前のことができない」
教師が一歩近づいた。
革靴が床を鳴らすたび、遥の心臓が跳ねる。
「人として最低限の“誠実さ”も持てないのか?」
「そんな状態で、“助けて”なんて言えると思う?」
「寝て逃げて、泣いて、それで誰かが許してくれるとでも?」
生徒の笑いが、カーテンの向こうから漏れた。
「せんせー、“寝ながら反省中”ってやつですね」
「まじで、見てるだけでムカつく」
「俺らがどんだけ頑張ってると思ってんの?」
教師は微笑んだ。
「そうだね。努力する人が馬鹿を見るのはおかしい」
その言葉に、誰かが拍手の真似をした。
乾いた音が、保健室に響く。
「遥」
呼ばれて、視線を上げる。
その目の前に、教師の影が落ちていた。
「もう少し“人間らしい”顔をしなさい。
そんな無表情でいたら、本当に“何も感じない子”だと誤解されるよ」
教師の声は優しかった。
けれど、その優しさこそが痛かった。
遥はゆっくりと唇を噛んだ。
血の味が広がる。
「……すみません」
それだけが、ようやく出てきた。
その瞬間、笑いが弾けた。
「謝る意味もわかってないくせに」
「形だけでも言っとけって感じ?」
「ほんと、そういうとこが気持ち悪いんだよ」
吐き気が、またこみ上げた。
目の前の世界が滲む。
でも、涙が出ることはなかった。
その代わり、胸の奥で何かが静かに壊れていく音がした。