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「俺ならちびってんなぁ……」と、充さんが言った。
蒼のことだ。
「充さん、表現には気を付けてください」と、私は壇上の会長を見たまま言った。
「案外、ちびってるかもよ?」と、和泉さんも視線を変えずに言った。
「社長……」と、真がため息交じりで言った。
真の和泉さんへの嫌悪は、時間と共に薄れていったようだ。
「咲、助けに行かないのか?」
「必要ありません」
「お嬢様が暴れだしたら、蒼には手に負えないんじゃない?」
「お二人とも蒼をなんだと思ってるんですか」
「そうですよ。蒼はじゃじゃ馬の扱いには長けていますから、大丈夫ですよ」
真が自信満々に言った。
「確かに……」
「それもそうか」
和泉さんと充さんが納得して、頷いた。
「誰がじゃじゃ馬ですか」
私たちのふざけた会話など露知らず、壇上の会長は真剣な面持ちで蒼と城井坂麗花の婚約が事実ではないことの説明を続ける。
「仕事上のお付き合いに感謝し、家族で食事をしたことがあるのは事実ですし、その後に蒼がお嬢様と交友関係があったのも事実ですが、彼女との婚約はありません。愚息の言動で世間の皆さまに誤解を招いてしまい、お嬢様はもちろん城井坂社長には本当に申し訳ないことをしました。大切なお嬢様と城井坂社長の名誉のためにも、ここではっきりと誤解を払拭させていただきます」
遠目から見ても、お嬢様の表情が怒りに歪んでいるのがわかる。
「更に、付随してT&Nフィナンシャルと城井坂マネジメントの業務提携についても、憶測が飛び交っていたようですが、こちらも合わせて否定させていただきます」
今度は内藤社長と城井坂社長の表情が硬くなった。
さあ……、どうする?
まず、動きを見せたのは城井坂麗花。
「嘘よ! そんなこと——」
声を上げた興奮状態の彼女の耳元で、蒼が何かを呟いた。彼女を黙らせる切り札として写真を渡したが、蒼がそれを使わないであろうことはわかっていた。何を言ったのか、お嬢様は毒気を抜かれたように大人しくなった。
「へぇ……、やるな」と、充さんが言った。
「大人になったなぁ」と、和泉さん。
「城井坂社長とお嬢様には、我が社の騒動に巻き込んでしまったことを重ね重ねお詫びした上で、ご尽力に感謝いたします」
充さんがそっと近づいて、城井坂社長に登壇するように耳打ちした。
城井坂社長は渋々、本当に渋々登壇し、会長と握手を交わした。そして、T&Nグループの更なる発展に期待するという内容の挨拶をした。湧き上がる拍手に笑顔で答え、茶番劇は幕を下ろした。
手伝いに駆り出されたグループ内の庶務課や秘書課の面々が、忙しく料理や飲み物を運んでいる中、私は満井くんに声を掛けられた。
「春田が課長に頼まれて部屋を取ったそうです。一緒にいた女性と部屋に上がったらしくて……」
「春田さんは?」
「その……気になるから部屋に行ってみるって……」
「何号室かは聞いてるかな?」と、和泉さんが満井くんに聞いた。
「はい、1303号室です」
「ありがとう」
「咲、行け。あのお嬢様の出番は終わりだ」
充さんに言われて、私は会場を出た。
「成瀬さん!」
エレベーターを待っていると、満井くんが追いかけてきた。
「一緒に行きます」
春田さんが心配なのだろう。私と満井くんはエレベーターに乗り込み、13階のボタンを押した。
「春田さんて……実は行動派?」
「時々ですけど……はい」
「意外ね」
「春田は……成瀬さんと課……築島さんに憧れてるんです。一緒にいる時間とか立場とか関係なく、同じ空気を持っていて、強い絆みたいなものを感じるって……」
そう言った満井くんは、少し不満そうだ。
「私には、満井くんと春田さんも同じように見えるけど?」
「……そう言ってやってください……」
エレベーターを降りると、部屋の前に蒼とお嬢様、春田さんがいた。察するに、部屋に入ろうとした蒼とお嬢様を、春田さんが呼び止めたようだ。
お嬢様に罵倒されている春田さんは、今にも泣きだしそうだった。蒼の制止も聞かず、お嬢様の勢いは止まらない。
「春田!」
満井くんが春田さんに駆け寄った。
「何なのよ、あんたたち! パーティーのスタッフなら、酒でも運んでなさいよ!」
城井坂麗花のお嬢様の仮面は粉砕していた。
「いい加減にしろ! きみの目論見は外れたんだよ。諦めろ!」
珍しく、蒼が女性に声を荒げた。
「嫌よ! 今はどうであっても、これから事実にすればいい! あなたが私に触れたのは事実でしょう」
傍から見れば、別れ話のもつれの痴話げんかだ。私には面白くない。
「写真があるんだから!」
「写真……ねぇ?」
自分でも驚くほどあっさりとキレてしまった。
私はドレスの裾を軽く持ち上げて、お嬢様に歩み寄った。
「ねぇ? 蒼は……優しかった——?」
蒼が青ざめた顔で私を見ているとわかったが、私は彼を見なかった。
嫉妬なんて馬鹿馬鹿しい。あの夜の蒼を見れば、どんな事情であれお嬢様に触れたことを後悔していることはわかる。決して、楽しい情事ではなかったことも。それだけに、その時の写真で蒼を脅そうなんて、到底許せることではない。
「ええ……、もちろん」と、お嬢様が答えた。
「満足できた?」
私は少しだけ腰を屈めて、お嬢様に顔を近づけた。
「咲!」
いたたまれなくなって蒼が止めようとしたけれど、私はやめなかったし、お嬢様も私の挑発に受けて立った。
「ええ……、とっても!」
「残念ね。ここで諦めておけば、私も蒼の優しさに免じて逃がしてあげようと思ったのに……」
私は立ち尽くす蒼のジャケットに手を伸ばした。
「咲、やめておけ……」
蒼は私ほど非常にはなれないと、わかっていた。女を屈辱に陥れる事なんて、出来る人じゃない。
でも、私は違う。
蒼に触れた、蒼に触れられたこの女を許せない——。
私は蒼のジャケットの内ポケットから封筒を取り出し、封筒から写真を出した。
「あなたが一人の男で満足できるとは思えないけど?」