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あの夜から、遥の中で、何かが軋む音を立てていた。壊れたわけじゃない。けれど、それまで信じていたかたちが、もう、自分の中で機能しなくなってきているのがわかる。
「どうせ信じるだけ無駄」
「誰も最後まで残らない」
「手を出せば、汚れる」
何度も自分に言い聞かせてきたその言葉が、日下部の手によって、少しずつ否定されていく。
けど。だからこそ怖い。
こんなもの、幻ならよかったのに。
優しさなんて、全部、見せかけなら、こんなふうに揺れずにすんだのに。
放課後の廊下。
人気のない階段下で、遥はわざと、日下部を待っていた。
足音が聞こえたとき、遥は一瞬、躊躇した。けど、そのまま背を向けたまま、小さく呟いた。
「……あいつら、また来るよ。今度は俺のせいで、おまえにも被害いくかもな」
日下部は何も言わなかった。
遥はその沈黙に、じりじりと追い詰められる。
「おまえさ、ほんとは迷惑だったんじゃねえの?」
「守ってやってる、とか思ってんだろ。いい奴ぶって」
「俺が泣いたりすんの、ウザいって思ってんだろ?」
言葉の端々が刺々しくなる。
引っかかってほしい。怒ってほしい。幻滅してほしい。
「そんなおまえ、知らない」って、突き放してくれたら、どんなに楽だろう。
信じそうになる前に、壊れてくれたら、どれだけ自分を守れるだろう。
けど。
「遥、俺……」
日下部の声は、低く、苦しそうだった。
「……何言われても、おまえのこと、嫌いになれないと思う」
「俺も……何度も試された。でも、たぶん、俺は逃げないよ」
「怖いなら、何回でも言っていい。……ちゃんと、聞いてるから」
遥の目の奥が、焼けるように痛んだ。
涙じゃない。
それは、ずっと信じてこなかった「誰かが無償でそばにいる」という感覚に対する、拒絶と渇望が混ざった、ぐしゃぐしゃな感情だった。
「……バカじゃねえの、おまえ」
それだけ言って、遥は壁に背を預けてしゃがみこんだ。
声が震えるのを、押さえきれなかった。
それでも、日下部は、隣に座った。
言葉ではなく、ただ、そばにいるということだけで、遥を否定しなかった。