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トンネルを抜けた途端、窓ガラスが白くくもった。

うたた寝から目を覚ました裕彰さんは、肩を縮こませて言った。

「なんか寒くない?」

「ふふ、お外、見てみてください」

みかんをつまみながら、わたしは真っ白な窓を指差した。

拳できゅきゅとを窓ガラスを拭うなり、裕彰さんは感嘆とした声を上げた。

「すごい。一面雪だらけだ!」

「もうすぐしたら到着ですからね。寒いから覚悟しておいてください」

亜依子さんと服部専務の結婚式が終わって一週間。

わたしと裕彰さんは、自身の式の準備に追われる最中時間を作って、わたしの故郷を目指していた。

飛行機に乗って、そこから特急で数時間。一苦労だ。

「ここまで来るのにええと…五時間はかかったなー。うーこりゃ毎年帰るの大変だなぁ」

「飛行機も便が少ないし、特急も時間かかるし、ほんと田舎ですみません。帰るのは夏だけでもいいですからね」

「そうはいかないさ。だって亜海の実家は俺の実家にもなるんだからさ。俺に実家が無いぶん、亜海の家で大いに可愛がってもらうつもりだから」

なんていうけど、社長と裕彰さんの関係は少しずつ縮まってきている。

お父さんを遠くに感じてはいたものの、けして恨みを持たずにいた裕彰さん。

裕彰さんを息子として公に育てられなかったけれど、守り支えてきたお父様。

互いに互いを愛していた。けれどもその気持ちをずっと伝えずにいた。

お父様の窮状を救うべく、裕彰さんが学生でありながらソフト開発を達成したのに、そんな息子の行動をうれしいと思いつつも、雇用関係を提示することでしか感謝の想いを伝えられなかった社長。

息子と働きたいという社長の想いに気づいていながら、つかず離れずの距離でいられる在宅勤務を選択した裕彰さん。

どっちも不器用。

でも、その裏にはとても強くて温かな親子愛があった。

それを互いに解かり合えずにいた。

けれども今は、ぎこちないながらも、すこしずつ歩み寄ろうとしていた。

そういう時は、決まってあの部屋にお父様を招いて、わたしが作ったお鍋を三人で囲うようにした。

鍋をつつくと、同時に心もつつきあえるから不思議だ。

そうやって、すこしずつあせらずに、家族の絆を確認していけばいいなと思っている。

ちなみに、あの部屋は結婚したら出ることにしていた。

すごく便利なんだけれど、子供ができたらさすがにね…。

あの部屋はキッチンや水道設備を残したまま、社員のための残業時の宿泊場にすることにしていた。

だって我が社はこれからどんどん忙しくなって、どんなに有能に働いても残業で遅くなるのは必至だからだ。

と言っても、今時点で一番忙しいのは、新部署の組織編成と人材採用計画に追われている裕彰さんだから、結局あの部屋に帰りがちになるんだろう。

かわいそうだから、その時はわたしもお付き合いして泊まることにしている。

あともうひとつちなみにを言うと、田中さんはその後会社を退職した。

女王様がいなくなった総務部はあいかわらずマイペースだけれど、入ったばかりの新人さんは今のところ辞めずにいるみたい。

そういうめまぐるしい変化の中時間を割いて、やっと今回課長と故郷へ赴くことができた。

両親へはこっちに来てもらった会ったけど、実家に一緒に行くのはこれが初めてだった。

まだ雪が残っている時期に帰れてよかった。

と思っていたけど。

「けっこう溶けちゃってますね、雪」

「そりゃ春だもの」

季節は4月。

いつもならまだ残っているはずの雪は、温かい日が続いたせいかほとんど溶けて、アスファルトがあちこち剥き出しになっていた。

でもこれなら安全だ、ということで、実家へはレンタカーを借りて行くことにした。

「ほんとに緑しかなくて、のどかだね」

広大な牧草地をまっすぐにのびる道路を走っていると、気持ちよさそうに裕彰さんが言った。

「ほんとに、なんにもないですよねぇ」

「それがいいんだよ。こののびのびした自然。空気。亜海が育った場所って感じがするな」

「どういう意味ですか?」

「そういう意味。のんびりぼわーんみたいな」

「もう」

ふくれて外に視線をやると、小高い丘の上に建物があるのが見えた。

「あれ?あんなところあったかな」

最近できたみたい。

行ってみよう、となってわたしたちは丘に向けてハンドルをきった。

それは、まるでお話の中に出てくるようなレンガつくりの素敵な建物だった。

牧場が経営しているファームみたいで、チーズなどの乳製品が売ってあった。

そしておどろいたのは、小さな教会があったことだ。

「うわぁ、こんなところに教会があるなんて。小さいなぁ!」

「なんだか、こじんまりしてていいですね」

「うん。…そうだ。式こっちで挙げるのはどう?」

「ええ!?」

わたしと裕彰さんは6月のジューンブライド。

憧れだったからと言うと、裕彰さんは「ジューンブライドなんて梅雨で客足減るのを防ぐためにブライダル会社が流したでっち上げだよ」と笑った。

「いいと思わない?ここは梅雨がないんだろ」

「でもこんなに小さな教会じゃ…」

裕彰さんの関係者ならものすごい人数がくるだろう。なのにこんな小さなところでは…。

「小さい?うそでしょ?」

裕彰さんは笑って、わたしを裏口まで連れて行った。

「ほら見て。これでも狭い?」

そこには、広大なガーデンが広がっていた。

「わーすごい!」

「ここ、花畑もあるんだね。ね、ここ気に入ったよ、俺。どうかな?俺の奥様はこんなにのんんびりとしてきれいな場所で育ったんですよって、よくわかってもらえると思うんだけど」

「…そんな…」

でもたしかに、本当に素敵な場所だ。

赤、ピンク、黄色、オレンジ…色とりどりの春の花が蕾を付け始めている。

きっと挙式の頃は、満開に咲いて祝福してくれるだろう。

「いや、もう俺は絶対ここがいい。だって、雪を見に来てまさか式場を見つけるとは…運命だと思わない?」

「そうですかぁ?」

「そうだよ」

微笑みを浮かべて深くうなづく裕彰さん。

…そうですね。

運命のような出会いを果たしたわたしたちには、もってこいの場所かもしれないですね。

「する?ここで結婚式」

「…はい」

あたたかな風が吹いて、甘い香りをわたしたちを包んだ。

「亜海」

「はい?」

振り向いた瞬間、キスを落とされた。

花の香りに負けない、あまい口づけを。

「…愛してるよ」

「…もうリハーサルですか?」

「そゆこと。もうちょっと見てみようか」

おいで。

と差し出された手に、わたしはそっと手を重ねた。

その瞬間、左指がまばゆく光った。

それは彼が与えてくれた永遠の愛の証だった。

決して消えない雪の結晶は、春の温かい光を浴びていつまでもやさしく輝いていた。




君に恋の残業を命ずる

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