『ほら寒いだろ? 身体を暖めないとな』
閻魔な男が固まってるオレ達を、強制的にある場所へと移動させる。
途端に襲い掛かる灼熱の熱気。
その発生源は赤く、妖しげに揺らめいていた。
これぞ焦熱。正に煉獄の業火だ。
その篝火の中心部に触れるでもすると、オレ達の身体はおろか、魂までも未来永劫焼き尽くされる事になるだろう。
「わぁ……暖かいね」
「うん……ママが傍にいるみたい」
それは離れてるからそう感じるだけだ。
もっと危機感を持て。自分を見失うな。
『ほぉぉ、こまかくてむぞかのぉ』
突然鳴り響く掠れたダミ声に、兄弟達はおろかオレまで緊張で身体を震わせてしまった。
思いっきり訛ってんじゃねぇぇ!
祖父とは聞いてはいたが、見ると本当に棺桶に片足突っ込んでそうなしわくちゃだ。
末期の酒なのか、ワンカップ片手に笑みを浮かべる翁は、まるで冥府の渡し守カロンを彷彿とさせていた。
怯える兄弟達を尻目に、カロンは更に調子にのってきた。
『酒が好きそうな顔じゃのう。ほれ呑むかぁ?』
酒呑童子も裸足で逃げ出しかねない程の、身体中に幾星霜こびりついた酒気を漂わせながら、手に持ったワンカップをオレ達に近付けてくるカロン。
息が詰まる。
「恐いよぉ!」
「いやぁぁぁ!」
兄弟達はカロンの包囲網に、既に阿鼻叫喚だ。
オレだからこそ冷静に事態を把握してはいるが、これはちとマズイ。
絶体絶命の大ピンチに追い込まれたって訳だ。
そんなオレ達を狡猾な看守のように、老害なカロンは更に囃し立てるのだ。
『おぉ喜んどる喜んどる』
黙れ呆け。勘違いも甚だしい。
焦熱地獄の次は叫喚地獄が待ち受けていたとは……。
「きゃあぁあぁぁぁ!!」
「うわぁぁん! ママぁっ!!」
オレ達の悪夢は終わらない。
正に奈落の一歩手前、その時だった。
『ちょっとじいちゃん! 変なの飲ませようとしないでよ!』
直前でカロンを止めてくれたのは。
助かった?
まるで地獄に垂れてきた蜘蛛の糸。オレは不覚ながら、この女が救いの女神に見えてしまったのだ。
だが心奪われたのはほんの一瞬。まだまだ予断は許さない。
ここは地獄。まだ天国ではないのだ。
獄卒にも気まぐれはあろう。
『怖がってるからあっちいって』
女神の鶴の一声で、カロンは物悲しそうに引っ込む。
同情はしないが、老人とは何時の時代も哀しい存在だ。
『は~いもう大丈夫よ、怖かったねぇ』
女の暖かい掌がオレ達を包み込む。
「暖かい……」
「ママみたいだ!」
単純な兄弟達はすっかり懐柔された感があるが、オレはそうはいかない。
これは孔明の罠だ。
『ミルク温めてきたよぉ』
感傷に浸る間も無く、ミーノスが白い容器に並々注がれたミルクを持って躍り出てきた。
カロンの出番はもはや皆無。視界にすら映らない。サヨナラだ。
『さあ沢山飲めよ』
オレ等の眼前に置かれる容器は、正に真珠の湖畔。オレはゴクリと固唾を呑み込んでいた。
しかしこれに薬を盛られている可能性は否めない。
「わぁ~美味しそう……」
兄弟達は目を輝かせる。現金な奴等だ。
「いただきま~す!」
「ママのおっぱいに似てる……かな?」
そう、先ずは毒味役が必要。科学は常に尊い犠牲の上で成り立ってきたのだ。
オレのアカシックレコード並みの情報量が網羅されている大脳は、瞬時に最善の回答を導き出す。
“安心安全を確認してから頂く”
やはりオレは頭が良い。
「美味しい!」
ふん、どうやら薬は盛られてはいないようだな。
兄弟達のがっつく姿を目の当たりにし、オレは危険が無い事を確信。
そうと分かれば、兄弟達ばかりに甘い汁を吸わせる訳にはいかない。
お前の物はオレの物。オレの物もオレの物だ。
「ちょっと! 割り込んで来ないでよ」
夢中になってた兄弟達の間に割り込み、顔を突っ込むオレに不満の声が上がるが構う事はない。
思う存分、最後の一滴まで頂く事にする。
口中に拡がるハーモニーはヨーモニー。
旨い……。牛のミルクがこうまで絶品だったとは。
温め具合も申し分無い。
ミーノスを褒めてやってもいい位だ。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!