テラーノベル
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夜の港は、妙に静かだった。
風は止み、海面は鏡のように揺れている。
停泊していた戦艦の黒い影が、水面に重く沈んでいた。
次の瞬間——
閃光。
遅れて、爆音が夜を引き裂いた。
炎が噴き上がり、艦体が内側から裂ける。
衝撃で波が立ち、港の小舟が一斉に跳ねた。
悲鳴。怒号。
誰かが名を叫び、誰かが海に飛び込む。
だが、それらすべてを飲み込むように、
炎は静かに燃え広がっていった。
――それが、すべての始まりだった。
あの爆発を、誰もが“敵の仕業”だと信じた。
いや、そう信じるように
あまりにも都合よく出来すぎていた。
翌日、アメリアの議会は騒然としていた。
「スパルーニャの卑劣な攻撃であります」
壇上でそう報告したのは、
秘密部隊を率いる男――ダレス。
「我が国の戦艦メイン号は、敵の破壊工作によって沈没しました」
ざわめきは怒号へと変わる。
報復を求める声。開戦を叫ぶ声。
そのすべてを、ダレスは静かに見渡していた。
その頃、海の向こう――
スパルーニャの部族会議に、一報が届く。
「……メイン号爆発。犯行は我らと断定された、と」
報告を受けた議長サクラは、眉をひそめた。
「馬鹿な……」
だが、その言葉はすぐに飲み込まれる。
「……女王陛下に報告を」
王宮の広間は、冷え切っていた。
「――つまり、我らが攻撃したと?」
玉座の上で、レイナ女王は静かに問うた。
「はい。アメリアはそう断定しております」
一拍。
「……艦を出せ」
ざわめきが走る。
「戦艦ナイチンゲールを出す。私が行く」
サクラが一歩踏み出す。
「お待ちください、陛下。これは——」
「罠か?」
レイナは遮るように言った。
「分かっている」
その瞳には、怒りが宿っていた。
「それでも、黙っていろと?」
誰も答えられない。
沈黙が、広間を支配する。
やがて、レイナはゆっくりと息を吐いた。
「アメリアの真の目的はケルパ王国だ」
その一言で、空気が変わる。
「間の悪いことにフローレンスの医師団のいる」
(あの男ならば……)
女王は脳裏に一人の男が浮かんだ
(貸しがあったかのう)
――この時、すでに戦いは始まっていた。
そして誰もまだ知らなかった。
この炎が、ひとつの王国を終わらせ、
新たな戦いを呼び込むことを。
白い石壁は陽に焼け、ところどころ剥がれている。
青や黄に塗られていたはずの外壁は色あせ、塩を吹いたように粉を噴いていた。
通りには人がいる。
だが、活気ではなく、滞りがあった。
笑い声は聞こえる。
しかし、それはどこか乾いている。
荷車が軋み、魚の匂いと汗の臭いが混じる。
海はすぐそこにあるというのに、風はぬるく、重かった。
サイラスは、その街にいた。
ケルパ王国。
エスパーニャ革命の余波を受け、旧スカーレット王国の支配から独立した島国である。
だが、独立は豊かさをもたらさなかった。
新たに王となったバティスタは、グラツィアのカイル政権が崩壊し、
援助が途絶えると、その穴を埋めるため民に重税を課した。
もともと貧しかった島国は、さらに貧困の底へと沈んでいった。
そして、その弱みに付け込んだのが――
新大陸の新興国家、アメリアであった。
アメリアは、カイル戦争後の混乱に揺れるエウロピア諸国を尻目に、
ケルパ王国へと食い込んでいった。
武器を売り、港を借り、砂糖を買い叩く。
その対価は、国の主権そのものだった。
治安は崩壊し、街は娼婦とアヘンにあふれていた。
「ひどい街ですね」
ユンナが、周囲を見渡しながら呟いた。
「……そうだな」
サイラスは短く答える。
「スカーレットが宗主国だったころとは違う。
貧しいなりに――秩序はあった」
しばし沈黙が落ちる。
「軍師様は戦えないんですから、そばから離れないでくださいよ」
ユンナは軽く肩をすくめた。
「頼むよ。頼りにしている」
サイラスは苦笑する。
そのとき――
「で、前に三人。後ろに二人ですが」
ユンナの声が低くなる。
「逃げられそう?」
「……無理っぽいです」
間を置かず返ってきた答え。
「そうか」
サイラスはわずかに息を吐いた。
「命までは取らないように頼む」
「はい」
ユンナは静かに頷いた。
その目から、先ほどまでの柔らかさは消えていた。
叩き伏せられ、地面に転がる五人。
呻き声だけが、路地に残った。
サイラスはそれを一瞥すると、静かに口を開く。
「ユンナ。今逃げた男を追って」
「はい」
少女は即座に駆け出した。
その背を見送りながら、サイラスは小さく息を吐く。
「……アメリアの手が、ずいぶん伸びてきているな」
瓦礫の向こう、荒れた街並みを見渡す。
かつての面影は、もうどこにもない。
「それにしても——」
ふと、言葉が途切れる。
脳裏に浮かんだのは、ひとりの男の顔だった。
砂埃の中でも、妙にまっすぐな目をしていた、あの男。
(エルネスト……)
あいつは、今どこにいる。
そして——
(お前、医者になるんじゃなかったのかよ)
(人を救う側にいるはずだっただろうに)
サイラスはわずかに口元を歪めた。
笑ったのか、呆れたのか、自分でも分からなかった。
話は一か月前——スパルーニャ王宮。
沈黙が張り詰めている。
その中央で、ひとりの女が顔を上げた。
「陛下——ケルパ王国へ、医療団の派遣をお許しください」
ざわめきが走る。
側近のひとりが即座に遮った。
「ならぬ。現在の情勢は、政府軍と革命軍が対峙している状態だ」
「知っています」
フローレンスは言い切った。
「だからこそ、です」
玉座の上で、レイナ女王は静かに見下ろしている。
「理由を述べよ」
「戦が起きれば、傷つくのは兵士だけではありません」
「民間人です。子どもです。何も持たない人たちです」
一歩、踏み出す。
「彼らは戦えません。逃げることもできません」
「だから、あなたが行くと?」
声は冷たい。
「はい」
即答だった。
「誰かが行かなければならないなら、私が行きます」
一瞬、空気が止まる。
「……死ぬかもしれんぞ」
「それでもです」
フローレンスは一歩も引かない。
「助けられる命があるのに、何もしない理由にはなりません」
沈黙。
長い、長い沈黙。
やがて、レイナはゆっくりと口を開いた。
「——なぜ、そこまでして行く」
フローレンスは、ほんのわずか視線を落とし、そして顔を上げる。
「知っているからです」
「何もしなかった時、人がどう死んでいくのかを」
レイナの目が、わずかに細くなる。
「……よかろう」
その一言で、空気が変わった。
「妾に、必ず直接の手紙を書け」
「必要なものはすべて用意する」
「——これは命令である」
周囲が息を呑む。
「許可する。ただし——」
一拍。
「護衛をつける」
「護衛はエレンじゃ」
「えっ、わたし? 無理無理無理!」
エレンは思わず声を上げた。
だが——
「……なんじゃ?」
玉座の上から、静かな圧が落ちてくる。
「……仰せのままに」
エレンは一瞬で姿勢を正した。
逃げ場はなかった。
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竜崎
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