テラーノベル
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とある高校の職員室のベランダで、一人の教師が黄昏ていた。
前髪を整髪料で固めてオールバックにし、太い縁のメガネをかけたその男は、気怠そうにため息を吐き出しながら、日頃の不満も一緒に吐き出しているようだった。
32歳、槻山湊音。
高校教師で、国語を担当している。肌はカサつき、年齢の割には老けて見える風貌だった。
そこに上司の大島がやってきた。彼は湊音の横に来てはぁーとこれまた大きなため息。
「槻山先生、覇気がないなぁ」
「そうですかね」
「離婚して独身生活、満喫してんだろ?」
「全然」
「実家戻ったんだろ? 楽だろうに」
「まぁ、何もしなくてもいいのは助かりますけど」
「贅沢だな」
「結婚しててもしてなくても、変わりないですよ」
「そんな考えだから奥さんに愛想尽かされるんだろ」
「ですかねぇ」
湊音はつい先日、離婚したばかりだった。学生結婚から10年目を前に別れたのだ。
子供はいなかった。というより、できなかった。
「そんな槻山先生にお願いがある」
「嫌です。大島先生のお願い事は、ろくなことがない」
「そうか?」
大島は大笑いする。彼は湊音の恩師でもあり、いまだに親しげに接してくる。昔からこうしてよく喋る同士でもある。勉強のことから人間関係、今では仕事や私生活のことも。
「まず一つ目、剣道部の副顧問にならないか」
「……断ります」
「独身になって身軽になったんだからどうだ? 性欲をスポーツで発散!」
「……ここ数年、夫婦間で一切なかったしそういう気持ちにもならない、疲れて」
湊音は鼻で笑った。大島から剣道部への勧誘を受けたのはこれが初めてではない。在学中から何百回と言われ続けてきたが、今でも乗り気にはなれなかった。運動なんぞなかなかせずセンスがないのだ。
「二つ目」
「一つ目ですら同意してないんですが……」
大島は湊音に一枚のチラシを渡した。
「婚活パーティー、行こう。いや、ついてきてくれ」
そう言って懇願する大島もまた独身だった。40歳を過ぎてなお結婚には縁がない。
「美味しいご飯が食べられて、お酒も飲み放題。そのついでに女性と出会えるなんて最高じゃないか。な、なぁ!」
「う、うーん……」
「今やマッチングアプリや結婚相談所が主流の令和のこの時代、十数年前に流行った婚活パーティーだぞ」
「……時代は繰り返すか、10年前にも婚活パーティー行ってしくじってませんでした?」
「うっ……、その時代はまだ俺を求めていなかったんだ」
その言葉に湊音は眉をしかめる。
結局、湊音は剣道部の副顧問になり、さらに週末の婚活パーティーにあくまで大島の付き添いという形で参加することになった。
婚活パーティーの会場はお洒落な喫茶店。道中、大島がぼやく。
「男性の方が値段設定が高い……まぁ、仕方ないか」
「どこもそういう感じなんですか? 」
「そうだな……まだ今回は安い方だが」
しょうがないとか言いつつもやはりなんだから許せなくて苛立つ大島を軽くなだめる湊音。正直自分もそう思うのだが。
「てかさ、乗り気じゃないとか言ってたくせに、なんだそのカッコつけ具合はよ」
「前髪を下ろしただけだ」
「それが普段と違うから言ってんだよ!」
湊音はただ前髪を整え、無難なビジネスカジュアルの服装を選んだだけだったが、大島の指摘に鬱陶しさを感じる。
喫茶店に入ると、すでに参加者たちが集まっていた。打ち解けたグループもあれば、ぎこちなく話す者たち、友人同士で固まっている女子もいる。
主催者によれば、男女各15人ずつ、計30人。女性は25歳から35歳、男性は25歳から40歳という制限付きだ。大島は40歳ギリギリでセーフ。女性が年齢低めというのもなんだろうなぁと思いつつ。
受付を済ませると、それぞれ別々の席へと案内される。湊音は戸惑い、大島に目を向けるが、親指を立てて笑顔を送られただけだった。
『はめられた……』
その瞬間、湊音は気づいた。大島は自分だけではなく、湊音をも婚活させる気で連れてきたのだということに。
湊音の隣には、テンパの髪型に濃い顔立ちの男性が座っていた。目の前には3人の女性たち。軽く頭を下げながら「お願いします」と挨拶する。
『なんだ、この無理してる化粧……』
女性の表情を見て、湊音は内心で呟いた。
実のところ、湊音はどうしていいのか全くわからなかった。彼にとって女性との交際経験は前妻だけ。しかも、前妻からの猛アタックで付き合い、成り行きで結婚に至ったという過去がある。自分から好きになって告白するなど、未知の領域だったのだ。
「君、こういうの初めてでしょ?」
隣の男性がニコッと笑いながら声をかけてきた。湊音は一瞬戸惑いつつ答える。
「ええ、まぁ、付き添いで……」
「そうなんだ! あ、僕は室田尊。名刺どうぞ」
名刺を受け取ると、有名文具メーカーの営業企画職と書いてある。
「うちの学校でも、このメーカー使ってますよ。僕は槻山と言います。高校教師です」
「え、高校教師? すごいね! で、今日はどんな子が好み? 早く行動しないと! あのね、僕は2年くらい結婚相談所に登録してたけどーうまくいかなくてねー」
初対面のテンションに加え、いきなりのタメ口に湊音は辟易する。
『この人無理だわ……』
時間が経つにつれ、場の雰囲気は少しずつ盛り上がってきた。女性たちも色とりどりの服装で会場を彩っているが、湊音には特に惹かれる人はいない。
ふと大島の方を見ると、彼は近くの男女を巻き込んで既に盛り上がっていた。
『早く帰りたい……』
湊音がそんなことを考えていると、一人の男性が会場の奥に現れた。
背が高く、姿勢も良い、少し長めの髪をきちんと整えたスタイリッシュな雰囲気。ピアスが多めだがそれは影響しない。
彼が席に座ると、その周囲の女性たちの視線が明らかに変わった。
湊音もその仕草に一瞬見入ってしまったが、慌てて目を逸らす。
『ああいう男がモテるんだろうな……』
嘆息するも、どこか釘付けになった自分に戸惑いを覚えた。
「皆さんお揃いのようですので、これから婚活パーティーを始めます!」
司会の女性が高らかに宣言し、会場が一段と活気づく中、湊音は深い溜め息をついた。
『やれやれ、先が思いやられるな……』
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