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以前、仁の背中の龍のタトゥーを見た時
その迫力に驚いたけど
同時にどこか芸術的で美しいと感じたことを思い出す。
「じゃ、俺は部屋で済ますから」
仁はそう言って、俺たちを送り出してくれた。
一緒に入れないのはやっぱり残念だけど、仕方ない。
大浴場に着き、浴衣を脱いで湯船に浸かると
程よい湯加減に一日の疲れが溶けていくようだった。
「にしても、仁さんと一緒に入れないのはやっぱ少し残念です…」
俺がポツリ呟くと、瑞希くんが反応した。
「でも話によりゃ、刺青入ってても入れる温泉とかあるんでしょ?」
「まあ、あるにはあるけど…俺がそんなことしてもじんは嫌がるだろうね」
将暉さんの言葉に、俺は「嫌がる…?」と首を傾げた。
「え、せっかく入れんのになんで?」
瑞希くんも納得いかない様子だ。
俺もそう思う。
不思議に思っていると、将暉さんは苦笑いを浮かべて、重そうに口を開いた。
「じんって元々こっち側の人間ではないし、足洗ってこっちの世界で生きてるわけでさ、それでも背中の刺青だけは一生涯背負って生きてくもんじゃん?」
「だから、自分の過去のことで他人に気遣わせるのをすげー毛嫌いするタイプなんだよ、じんは」
将暉さんの説明に、俺は「……過去の、こと…」と呟いた。
それ以外の言葉が出てこなかった。
仁さんの過去について詳しくは知らないけど
将暉さんの言葉から、それが仁さんにとって大事なことなんだと伝わってきた。
「ふーん…そういうもん?」
瑞希くんは納得したような、しないような顔で湯船に浸かっている。
「ていうかそうだ!あんた、前に背中かっこいいとか言ってたよね?刺青見てビビんなかったわけ?」
瑞希くんが話を振ってきたので、俺は少し考える。
「え?あ、あぁ……びっくりはしたけど、あの龍の刺青、綺麗ですねって本人の目の前で言っちゃったし…不思議と怖くはなかったんだよね」
正直に答えると、瑞希くんは目を丸くした。
「まじで言ってんの?普通はビビるでしょ」
将暉さんも苦笑いしている。
「楓ちゃんにそんな反応されたなら、あいつもホッとしたろうね、普通は腰抜かしてもおかしくないんだから」
まあ、普通は驚くし、度肝を抜かれるだろう。
実際、驚きはした。
でも、俺にとって仁さんは怖い人じゃなかった。
「仁さんには何度か助けられてたし…信頼してるんです」
「それに、過去がどうだろうと仁さんは仁さんですし…先入観だけで怖いって思いたくなかったのかもしれないです、ははっ」
笑って答えると、将暉さんが小さく息を漏らした。
「…こりゃ、好きになるか」
湯気の中で聞こえた将暉さんの独り言、意味はよく分からなかった。
「何がですか?」と聞き返すと
将暉さんは少し慌てたように笑って
「んーん、こっちの話」と誤魔化した。
そうして俺たち3人は、湯冷めしないように早々に部屋へと戻った。
大浴場から部屋に戻ると、仁さんがスマホをいじりながらソファに座っていた。
俺たちが戻ってきたことに気づくと
「あ、おかえり」と顔を上げてくれる。
湯上がりでほんのり赤くなった俺たちの顔を見て、仁さんは少し笑った。
「気持ちよかった?」
「はい、最高でした!」
元気よく答える
将暉さんも仁さんの隣に座り、楽しそうに今日の出来事を話している。
俺も湯船での会話を思い出しながら、仁さんを見つめた。
少し落ち着いたところで、将暉さんが
「せっかくだし、売店でも見に行く?」と提案した。
すると、瑞希くんが素早く反応した。
「あ、俺と将暉は明日見るし、二人で見てきたら?
ね、将暉?」
瑞希くんは将暉さんの腕を掴んで見上げ、将暉さんも「うん、そうだね」と瑞希くんの頭をポンポンと撫でた。
なんだか二人で顔を見合わせてニヤニヤしているような……?
「え、でも…」
俺が戸惑っていると、瑞希くんは俺の背中をポンと叩いた。
「いいからいいから!二人で行ってきなって、俺たちもゆっくりしたいし」
半ば追い出されるような形で、俺は仁さんと一緒に部屋を出ることになった。
まさか仁さんと二人きりで売店に行くことになるとは思わなかった。
二人きり、という事実に、なぜだか少し緊張しながら、仁さんの後ろを歩いて売店へ向かう。
彼の背中が、いつもより少し大きく見える気がした。
ホテルの売店は、広々としていて明るかった。
箱根の名産品である寄木細工のお土産品や、地元の食材を使ったお菓子
温泉饅頭、可愛いアヒルのおもちゃといった温泉
グッズ
そしてちょっとした食料品などが所狭しと並んでいた。
色とりどりの商品を見ているだけでも楽しくて気分が上がる。
仁さんと並んで店内を歩いていると
ふと、俺が気になったコーナーに仁さんも足を止めた。
箱根の伝統工芸品である寄木細工のキーホルダーや小物が並んでいる棚だ。
繊細な木目の模様が組み合わさってできていて、見ているだけでも飽きない。
「これ、綺麗ですよね」
俺が手に取った小さな寄木細工の箱を、仁さんも覗き込むように見ていた。
二人で同じものを見ているという状況がなんだか心地よかった。
そのとき
「あれ?楓?」
不意に聞こえた声に、俺は思わず振り返った。
そこに立っていたのは、朔久だった。
「え、朔久!?」
その隣には、朔久の友人らしき男性もいる。
まさかこんな箱根の旅館の売店で、彼に会うなんて。
驚きと、少しの動揺で心臓が跳ねた。
朔久は以前、俺と仁さんが一緒にいるところに偶然居合わせてから仁さんのことも知っている。
俺が驚いて目を丸くすると、朔久はにこやかに笑って近づいてきた。
「まさかこんなとこで会うとはね。楓も旅行?」
「う、うん!仁さんたちと来てて…」
俺が答える間に、朔久の視線が俺から仁さんに向けられた。
仁さんも朔久を見ていて、その場の空気が一瞬でピリッと張り詰める。
朔久が俺の元カレであることは、仁さんたちも知っている。
そして、朔久が今俺に猛アタック中であることも。
仁さんは別に朔久のことどうも思ってないと思うけど、朔久は仁さんのことを敵視しているのは俺も薄々感じていた。
朔久の表情は笑顔のままだけど、その目の奥がギラついているのが分かった。
「あなたもいるんですね」
朔久はにこやかに言ったが、その声にはどこか棘があるように聞こえた。
仁さんも、表情は変えないものの、朔久から目を離さない。
仁さんの目には、ほんのわずかだけど、戒の色が宿っているように見えた。
「ああ、ども。奇遇ですね」
仁さんの返事は短く、冷たい気がした。
売店という賑やかな場所にもかかわらず
まるで二人の間に目に見えない火花が散っているような錯覚に陥った。
この居心地の悪さに、俺は思わず身を縮める。
どうにかしてこの空気を変えたい、と思った。
「えっと…朔久も、旅行で来てるの?」
俺が慌てて話題を変えると、朔久は俺に視線を戻し、笑顔で答えた。
「そう、友達とね。明後日までいる予定」
久は、俺の隣に立つ仁さんに探るような視線を向けていた。
互いに牽制し合っているのが、はっきりと伝わってくる。
「じゃ、俺はそろそろ部屋戻るから」
しかし朔久はそう言って、俺に軽く手を振ると、隣の友人を促してその場をすぐに離れていった。
朔久が完全に視界から消えるまで、仁さんはその背中を見送っていた。
その眼差しは、朔久の姿が消えてもなお、何かを追っているようだった。
俺は仁さんの顔を伺うように見上げた。
「あの、仁さん……?どうかしましたか?」
仁さんは俺の視線に気づくと、一瞬だけ考え込むような表情を見せたが
すぐにいつもの落ち着いた顔に戻った。
「いや、なんでもない」
仁さんはそう言って、俺の頭をぽん、と軽く撫でた。
その仕草は優しくて温かかったけれど、さっきまでの張り詰めた空気の名残がまだどこかに漂っている気がした。
「えっと……とりあえず、部屋戻ります?」
俺がそう言うと、仁さんは頷いた。
「そうだな」
俺たちは売店を出て、部屋へ戻った。