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売店に行く前に夕食のバイキングでお腹いっぱいになり、温泉で体の芯から温まったおかげか、体はぐったりと疲れていた。
部屋に戻ると、将暉さんと瑞希くんは談笑しながらテレビを見ている。
俺たちに気づくと、時刻がもう11時を回っていたこともあり、明日も早いしそろそろ寝るかということになった。
今回の部屋には、セミダブルより少し広めのベッドが二台用意されていた。
将暉さんと瑞希くんは付き合っているから、当然のように一台のベッドに二人で向かい、寄り添うように座った。
そして、残る一台のベッドと、その隣に立つ仁さんと俺。
嫌な予感がして、俺は思わず瑞希くんに尋ねた。
「ん?ちょ、ちょっと待ってください、まさか、俺とに仁さんも…?」
瑞希くんは、まるで俺の反応を予測していたかのように、にやりと笑った。
「そのまさかだけど?嫌ならソファで寝れば?」
相変わらず挑発的な言い方だ。
俺は焦って仁さんの方を見る。
仁さんも俺の様子に気づいて、静かに口を開いた。
「楓くんが嫌なら俺ソファで寝るけど」
仁さんのその言葉に、俺はさらに慌てた。
仁さんに気を遣わせてしまうのは申し訳ない。
それに、嫌なわけじゃない。
むしろ、少し、嬉しいような
落ち着かないような複雑な気持ちが湧き上がる。
「いや、嫌とかじゃなくて……!大丈夫です!寝ま
しょ」
俺は半ば勢いでそう言って、布団へと滑り込んだ。
仁さんも、俺の言葉に小さく頷いて、隣に横になり、こうしてそれぞれのベッドに分かれて寝ることになった。
将暉さんと瑞希くんの方からは、楽しそうなひそひそ話が聞こえてくる。
俺は仰向けになり、天井を見つめる。
隣に仁さんがいる、というだけで、なぜか妙に緊張してしまい
心臓がトクン、トクン、といつもより速く脈打つのを感じた。
仁さんは、俺に背中を向けて横になっている。
その広い背中が、間近にある。
思わず、そっと手を伸ばしそうになって、慌てて引っ込めた。
何を考えているんだ、俺は。
目だけを瞑って、がんばって寝ようと試みるけれど数分しても、意識が冴えてしまってなかなか寝付けない。
旅館の部屋は静かで、隣のベッドから聞こえる将暉さんと瑞希くんの穏やかな寝息だけが、その静寂を破っていた。
そんな俺もいつの間にか、その静けさの中で瞼が重くなっていくのを感じて睡魔に身を委ねた。
ふと目が覚めると、部屋は相変わらず静まり返っていた。
カーテンの隙間から、まだ完全に暗い夜空が見え
る。
スマホの時計を見ると、深夜1時半。
まだこんな時間なのか、と少しがっかりした。
そして、ふと隣に目をやるとそこには仁さんの姿がなかった。
(あれ、どこに行ったんだろう…?)
トイレかな?とも思ったが、それにしては、すぐに戻ってくるはずだ。
俺は冴えた頭でベッドから降り、そっと部屋を見渡した。
将暉さんと瑞希くんはぐっすりと、向かい合う形で眠っている。
さらに周囲を見渡すと、板の間のガラス戸の向こうに仁さんの後ろ姿が見えた。
どうやらベランダのような場所に出ているらしい。
珍しく、タバコを吸っている様子でもない。
ただ、夜の闇を見つめて黄昏ているように見えた。
仁さん、一人で何してるんだろう?
気になって、俺はそっとガラス戸に近づいた。
ガララと、静かに扉を開けると
ひんやりとした夜の空気が、顔を撫でる。
「仁、さん…?」
俺がそっと声をかけると、仁さんはゆっくりと振り返った。
彼の表情は、暗がりの中ではっきりとは見えなかったけれど、驚いた様子はなかった。
「楓くん?…悪い、起こしちゃったか」
仁さんの声は、夜の静けさに吸い込まれるように穏やかだった。
「いえ、目冴えちゃって…仁さんは、あの…もしかして俺の寝相悪かったですか?」
つい、変な質問をしてしまった。
一緒に寝ていて、俺の寝相が悪くて出てきてしまったのだろうか、と不安になったのだ。
「いや、全然。ちょっと外の空気が吸いたかっただけだよ」
仁さんはそう言って、小さく笑った。
俺の心配が杞憂だったことにホッとしながら、仁さんの隣に近づいて立つ。
外から入ってくる冷たい風が、肌を撫でた。
「なにか、考え事でも…?」
俺が尋ねると、仁さんは再び夜の闇を見つめた。
その横顔には、昼間とは違う、どこか深い思索のようなものが宿っているように見えた。
「まあ、そんなとこ」
そう答えた仁さんの声には、どこか遠くを見つめるような響きがあった。
仁さんが何を考えているのか、俺には想像もつかない。
俺は仁さんについて何も知らない。
過去のこと、抱えているもの。
彼のことが気になって仕方がない。
しかし、知りたいと思う反面踏み込んでいいのか迷ってしまう。
『じんって元々こっち側の人間ではないし、足洗ってこっちの世界で生きてるわけでさ』
大浴場で将暉さんの言っていた言葉が自然と脳内で反される。
こっち側の人間じゃないなんて言われると、なおさら壁を感じてしまう。
それでも、黙ってとなりにいるのも気まずくて
「…じゃあ、俺はそろそろ」
と、言いかけて踵を返そうとしたとき
「楓くんにさ、ひとつ聞きたいんだけど」
仁さんが急にこちらを向いて話しかけてきた。
俺は驚いて、振り返りかけた足を止め、仁さんを見つめた。
仁さんの目は真剣で、いつもの優しい眼差しとは少し違った。
俺はどぎまぎしながら
「な、何ですか?」と、少し上擦った声で応えた。
仁さんは曇った表情で、ゆっくりと言った。
「もしもの話なんだけど。仮に友達がチューブでしか栄養を取れない寝たきりの状態だとしたら、楓くんならどうする?」
仁さんの問いに、俺は一瞬息を飲んだ。
それはあまりに唐突で、重い質問だった。
「え…」
頭の中で様々な考えが渦巻いた。
何故仁さんが突然こんなことを聞くのか、その意図が分からなかった。
でも、仁さんが真剣な眼差しで俺を見つめている。
その真剣さに応えなくてはと思った。
「それは……」
言葉が喉に詰まる。
友達がそんな状態になっていたら…
自分の知識や経験では到底答えられない難題だった。
「俺だったら、ですか…」
「そう、楓くんだったら生かすか解放するか」
仁さんの目は真剣で、どこか深いところを探ろうとしているように感じた。
俺は一生懸命考えて、慎重に答えた。
「…命をどう扱うかって、その人をどれだけ大切に思ってきたか、どれだけ向き合ってきたかに、かかっていると思うんです…」
「だから、生かしておくにしるチューブを外して解放してあげるにしる、その選択がその人のためになると信じられるか…後悔しない選択かだと思うので…どんな選択でも“愛してるからこうしだ”って、胸を張って言えるような、誠実な選択ができたらな……って」
それは浅はかかもしれないけど、正直な気持ちだった。
俺が言い終わると仁さんは少し驚いたように眉を上げ、その後にフッと微笑んだ。
「楓くんは優しいのな」
その言葉には、どこか満足気な響きが込められていた。
俺は少し照れくさくなって俯いた。
「そんなこと……」
仁さんは俺の頭をポンポンと軽く撫でた。
その仕草は温かく、優しくて
「……ありがとう」と言うだけで
「それはそうと…なんでそんなこと聞いたんですか?」
なんて聞いてみるが
仁さんは「いや、ただの興味本位」と答えるだけだった。
「それじゃ、そろそろベッド戻るっか」
仁さんは俺に背を向け、部屋の中へ戻っていく。
その後ろ姿には、少しだけ何かを消化したような、軽やかさが感じられた。
俺も仁さんの後に続いて部屋へ戻り、再び一緒のベッドに入る。
仁さんは少しの間、俺の顔をじっと見つめていたが
「おやすみ」と言って布団の中へ潜り込んだ。
俺はその言葉に安心し「おやすみなさい」と小さく返して目を閉じた。
隣で聞こえる仁さんの呼吸がだんだんと深くなるのを感じながら
仁さんのあの質問の意図が何だったのか
それはわからないままだったけど
俺の答えが仁さんの何かしらの助けになっていたのならいいな
そう思いながら
俺は再び深い眠りへと落ちていった。