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それから数日たったある日。
仕事を終えて家に帰ると、台所のテーブルの上にスポーツジムの案内があった。
(なんだこれ)
手に取ってパラパラ眺めていると、母親が「おかえりー」と台所に入ってきた。
「なにこれ、どうしたの?」
「あっ、お母さん今日入会してきたのよ。
入ろうかずっと迷ってたんだけど、今日まで入会金0円だったから、思い切ってね」
「へー。体のためにはいいんじゃない?」
母親はずっと運動不足を気にしていたし、やる気のある時にやっといたほうがいい気がした。
「そうよね!あんたがそう言ってくれるとお父さんにも言いやすいわー。
お父さん絶対続かないからやめろって言ってたのよ。
あっ、ここ、あんたの同級生の家がやってるジムなのよ」
「え? 俺の同級生の家がやってるジム?」
なんのことだと首をひねった時、母親が「ほらぁ」と思い出してといったふうに言った。
「原田さんよ。あんた中学一緒だったじゃない」
「あっ……。へー……。
あいつんち、ジムもやってたんだ」
一瞬びっくりしたけど、そういえば原田の家は、このあたりじゃ有名な資産家だった。
家が代々地主で、フランチャイズで飲食店やコンビニをやってるのは知ってたけど、スポーツジムやスポーツ教室もやってるのは今母親から聞いて知った。
「まぁ……ジムは三日坊主にならないようにすればいいんじゃない?親父の手前」
「わかってるわよ。二か月は頑張るから! じゃあおやすみ」
「あぁ、おやすみ」
二か月かよ、と思いつつ、母親がいなくなると、俺は持っていたジムの案内をテーブルに置いた。
家から自転車で10分ほどのところにある、大きなスポーツジム。
「あいつ、そういや金持ちだったな……」
あいつの家がいろんな店をやってるのは、中学でもわりと有名だった。
だけど原田が金持ちぶらなかったから、俺にはそういうイメージがあんまりなかった。
(あいつ、今仕事は家業とは別みたいだったよな)
それも親にぶら下がらないつもりで選んだのかと思えば、考えれば考えるほど、男としてあいつに負けてる気がしてくる。
俺はため息をひとつついて、若菜にメッセージを送った。
――――――――――
誕生日、なに食べたいか決まった?
――――――――――
若菜に誕生日なにか食いに行こうと言ってから、あいつとは会ってもいないし、連絡もしていない。
忙しいのか水曜日にもランチにこなかったから、様子が気にはなっていた。
すこしして若菜から返事があった。
――――――――――
まだ決められてなくて。
なにがいいかな? 湊が決めてー
――――――――――
えっ、俺?
――――――――――
なんで俺が決めるんだよ、と思いつつ、食べ物のことなら俺に任せたら失敗しないと思っていそうな気もする。
――――――――――
食べたいもの言えよ
――――――――――
私の好きなものがいい
――――――――――
あのなー。
お前好き嫌い多いんだし、それじゃファミレスか居酒屋で好きなもの頼むしかねーだろ
――――――――――
あきれつつメッセージを送ると、液晶画面がふっとかわる。電話だ。
「もしもし?」
「……ファミレスか居酒屋って、それなんか違うじゃない!」
耳に当ててすぐ聞こえてきた声で、頭の中にはむくれている若菜が浮かび上がった。
「もっとこう、素敵な場所ないの?」
「素敵な場所ってフレンチとか言ってんの?
お前格式高い系の料理、そんな好きじゃねーだろ」
「そ、そうだけど……」
一度共通の友達の結婚式に出席した時、若菜はほとんど食事に手をつけず、一緒のテーブルだった俺は見ていられなかった。
女ならたしかに「誕生日ならいい店連れていけ」とか思いそうだけど、若菜が楽しめないんじゃ、あんまり意味もない。
俺の思っていることがわかったのか、若菜は途端にしおらしくなった。
「……じゃあやっぱいい。湊にまかせる」
「オッケー。考えとくけど、お前あとで文句言うなよ」
「言わないよ。ほんとは湊が祝ってくれるだけで満足だし」
ぼそっとひとり言のように言った若菜に、俺は一瞬言葉に詰まる。
その間を消すように、わざと軽い調子で言った。
「最初っからそう言え、バーカ。
じゃあその日は残業せずに定時であがれよ」
「わかった、18時に終わるから、終わったら連絡するね」
「じゃー当日な」
「うん」
電話を切ると、途端に台所がしんとして、自分が変な動悸に包まれているのがわかった。
わかってる。
どれだけ軽く言おうが、気にしていない素振りをしようが、俺たちにはやっぱりその日は特別で、意識せずにはいられない日。
「あー……。
若菜の好きなもの、どうするかな……」
やっぱりあいつが喜ぶ誕生日にしたい。
と思うと、あいつが好きじゃない食材が頭にどんどん浮かんできて、除外しようと思えば結構悩む。
「もう俺が作ったほうがいいんじゃ……」
ぼそっとつぶやいて、「あ」と思う。
マジでそれだ。
それが一番早いし、なにより俺自身、あいつになにかして喜んでもらいたい。
そうと決まればあとは早かった。
仕事休んで店のキッチンに立つわけにはいかないし、うちのキッチンでも若菜の家のキッチンを借りても、お互いの親におかしな目で見られる。
俺は近場のコテージを予約した。
一瞬、「あいつどう思うかな」と思ったけど、それでもいいと思った。
俺の中でもある程度覚悟は決まってる。
原田の出現は俺の長年のスタンスを崩す、いい機会かもしれなかった。