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夜はしょっちゅう佐倉に呼ばれていたが、ちゃんと朝には家に帰り、学校にも毎日行っていた。


佐倉に連れ去られ、次の日腫れあがった顔で登校したあの日以来、クラスメイトの凌空を見る目は微妙に変わったような気がするが、周りにいる友人たちからは「なんか丸くなった」と笑われた。

丸くなった?

確かにそうかもしれない。

少し前に感じていたあの燃え上がるような尖った衝動を覚えることはなくなったような気がする。

物理的に家で過ごす比率が少なくなったためか、それとも会話の比重が家族より佐倉との方が増えたからか。

どちらにしろ、どこか非現実の佐倉とあの部屋が、行き場のない自分の何かを中和してくれていることだけは確かだった。



凌空は窓枠に肘をつきながら教室を振り返った。


篠原翔葵は、まだ登校して来ない。


◆◆◆◆


クラスメイト達と軽くゲーセンに寄って帰ると、珍しく早く帰宅したらしい健彦とエレベーターで鉢合わせた。

「親父……」

話し掛けたわけではなく驚いて咄嗟に呟いただけなのが、

「おお、凌空か」

健彦は軽く返事をしながら、閉じかけたドアを開けてくれた。

「ドーモ」

佐倉の部屋に入り浸りすぎているからだろうか。

彼の独特な喋り方が移ってきた気がする。

しかし健彦がこんなに早いんじゃ、今日は佐倉の部屋には行けない。


改めて閉ボタンを押して文字盤を見上げている父親を後ろから盗み見る。

晴子の目論見がどうであれ、健彦が妻子ある身でありながら、若い女と関係を持ったのは事実。

そしてその末に前妻を自殺に追い込んだのもまた事実。

そんな最低な男でも、一応は市川家の大黒柱。稼ぎ頭であり父親だ。

少なくとも自分は紫音のようにこの男を100%蔑ろにはできない。

なぜなら―――。


************


『凌空……!!凌空……!!!』


記憶に残る若かりし頃の健彦の顔。

必死な形相で自分のことをのぞき込んでいた。


『おい!凌空!!俺のことが見えるか!?』


その目尻には涙が浮かんでいて、健彦が自分を思って泣いてくれていることだろうことだけはわかった。


『なんで……なんでこんなことに……!』


いつもはあまり感情を表に出したりしないのに、記憶の中の健彦は、取り乱していて、凌空を抱き上げると、どこかに向けて走り出した。


揺れる景色。

流れる天井。


どこへ連れていかれたかは覚えていない。

ただ健彦が助け出してくれたのだけは確かだった。


あの記憶は何なのだろう。

あのとき凌空に何があって、なぜ健彦は助けてくれたのだろう。


(――ま、ただの夢かもだけど)


凌空は無表情で文字盤を見上げている健彦から目を反らした。


◇◇◇◇


「そういえばさ」

いつも父がいる食卓ではほとんど口を開かない紫音が、珍しく喋り出した。

「お隣の城咲さん、独り暮らしじゃなかった。家族と一緒に住むために部屋を買ったんだって!結婚するのはこれからだけど」

城咲というのは隣に引っ越してきた若い男だった。

下校時、または佐倉の家に行くときにたまに見かけるが、いつも一人だったし、誰かが訪ねてきている様子もなかった。

「へえ!じゃあ、嫁さんと子供も直に引っ越してくるってこと?」」

「違うってば!話ちゃんと聞いてた?」

紫音が片眉を引き上げ、ますます不細工な顔をしながら言った。

「婚約中なの。結婚したら一緒に住むんだって。子供ができることを想定して、このマンションを買ったんだって」

なるほど。

だからこんなファミリー向けの間取りに一人で住んでいるのか。

数か月後には、おそらく城咲に見合った美人な妻が引っ越してきて、来年か再来年にはその二人から生まれた美しい子供が乗ったベビーカーを押していたりするのだろう。


「新婚さん、ね」

凌空はふっと笑った。

「子作りの音、聞こえてこないといいね」

「――凌空」

晴子の低い声がリビングより少しひくいダイニングの天井に反響する。

「……きもっ。エロガキ!」

紫音がこちらを睨みながらフンと鼻を鳴らす。

「黙れよ、処女」

ブスという事実ではなく処女という予想を口にしたのは凌空なりの優しさだったが、彼女は顔を真っ赤にしてこちらを睨んだ。

「どっちにしろ、大丈夫でしょ」

晴子がゆっくり言った。

「このマンションの壁は厚いから」

「――――」

健彦の動きが止まった。


凌空も健彦の雰囲気を察して箸を止めた。


そう。

このマンションの壁は厚い。


だから、閉じ込められてパニックになったときのあの女の悲鳴も聞こえなかったし、


思春期を迎えた輝馬に好き勝手犯されているときの喘ぎ声も漏れていかなかったし、


それに凌空があの部屋に入った時の懇願だって気づかれることはなかった。



『助けてください……!!痛い……!!もう、殴らないでぇえ!』



「――なんか味が薄かったわ」


晴子の声で凌空は我に返った。

「凌空、醤油とって」

晴子の手が凌空に伸びてくる。

「!!」

凌空は軽く椅子からずり落ちた。


「ちょっと、何してんのよ」

紫音がゲラゲラと笑う。


(うっせえ。ブス……!)

凌空はケツをずり上げながら、紫音を睨み上げた。


健彦そっくりな小さな目を。



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