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──そのとき、周囲の温度が急激に下がった気がした。
残った魔神族の中で最も巨大な個体が、わずかに首を傾げた。
無機質で、どこまでも冷たい視線が私を貫く。
『ほう……』
──空気が、変わった。
ズゥゥン……ッ!!
空気そのものが押し潰されるような、異常な重圧。
地が震え、天井に浮かぶ巨大な封印陣が……
嫌な音を立てて、ひび割れ始めた。
バリッ……バリバリバリバリッ!!!
「なっ……」
私は息を呑み、硬直した。
「……まさか……!」
私の傍らで、辰夫が戦慄の声を漏らす。
天井の封印陣──
その亀裂から、黒紫の魔力の奔流が逆流するように噴き上がった。
『もういい。我らの目的は”解放”だ』
魔神族の一体が、微かな苛立ちを含んだ声で吐き捨てる。
『──とっとと始末する』
そして、虫けらを見るような冷たい目で私を見た。
『殺す』
次の瞬間──動きが見えなかった。
振り抜かれる影。
閃く、漆黒の斬撃。
私は反射的に両腕をクロスして受け止めたが──
「ぐッ……あああああッッ!!!」
重すぎる。
鋭すぎる。
痛すぎる。
全身の神経が焼き切れるように痺れる。
私は為す術もなく吹き飛ばされ、石床を無様に転がった。
激痛に顔を歪める。……右腕が、完全に折れていた。
「サ……ク……ラ……殿……ッ!!」
辰夫が血相を変えて叫ぶ。
だが次の瞬間、無慈悲な斬撃が彼の巨大な翼を紙のように引き裂いた。
「ぐぁッ……!!!」
辰夫の巨体が鮮血を散らし、崩れ落ちる。
圧倒的な反応速度。
もはや抵抗すら許されない。
戦場の空気が、完全に絶望へと変わっていた。
それでも私は立ち上がった。
よろけながら、折れた腕を庇いながら。
(痛い。まあ折れてるから当然よね)
頭の中が、うるさい。
生きること。やり返すこと。絶望感と怒り。みんなのこと。
「あやまったら……許してくれるんですかね」
声が、思ったより静かに出た。
「そしたら、あやまりやすよ?……プライドとか、全然こだわりないんで」
(あとで倍返しするし)
「……どうなんですか?」
(ダメなら噛み付くだけ)
その時だった。
真上から、世界が割れるような音がした。
──バリィィン──!!
巨大な魔方陣が完全に砕け散った。
天井が低く唸りを上げ、崩壊の予兆が空間を満たす。
天井の”蓋”が消滅した、その瞬間だった。
ズゴォォォォンッ!!と、凄まじい地鳴りと共に足元の石床が崩落を始める。
地底深くから、おぞましい魔力の塊が天に向かって噴き上がった。
#主人公最強
しめさば
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閉じ込められていた魔力が溢れたのだ。
そして、後に残されたのは──
空間そのものが歪み、足元に口を開けた、底の見えない”奈落”。
「……ちょっと待って、これ……」
その奈落のさらに奥に──“何か”がいる気がした。
『──とっとと死ね』
絶望は終わらない。
魔神族の凶刃が、容赦なく私へと振り下ろされる。
(ダメだ、躱せない──!)
「── 生きろッ!!」
辰夫の、悲痛な叫び声が鼓膜を打った。
次の瞬間──引き裂かれた体から血飛沫を上げながら、辰夫の巨体が私と魔神の間に割り込んだ。
ズガァァァァァァンッッ!!!!
魔神の斬撃と、辰夫の渾身の防御が激突する。
その規格外の衝突が生み出したのは、爆発的な衝撃波だった。
「えっ──」
ただでさえ満身創痍でボロボロだった私の体は、紙切れのようにふわりと宙に浮いた。
辰夫の決死の盾。
それは確かに、私を魔神族の凶刃から守り抜いた。
だが、防いだ衝撃の強烈な”反動”が、私を真後ろへと吹き飛ばしたのだ。
そこは、先ほど口を開けたばかりの、底なしの奈落。
凄まじい風圧と共に、私は暗黒の奈落へと突き落とされていた。
視界がぶれ、空中に放り出される。
ふわり、と──世界が静止した。
時間が、止まったように感じた。
「え……?」
気がつくと──私は、空を落ちていた。
縫い目のように裂けた天井。崩れ落ちる岩壁。
そこから差し込む、たったひとすじの光。
その光の枠の中に──私は、ただ一人で飲み込まれていった。
「あ……ああああああああッ!!」
──落ちる。
風が容赦なく顔を叩き、髪が逆巻くように舞い上がる。
──辰夫が。
最後の力で、私を守ってくれたんだ。
「辰夫ッ! 辰夫ッ!!」
落下の勢いが強すぎて、思うように体が動かせない。
視界の上、遠ざかっていく裂け目の先に、小さく、小さくなっていく辰夫の影が見えた。
「おい! 辰夫! 主人の私と一緒に……来なさいよ……!」
──でも、必死の叫びは風にさらわれて、何も届かない。
「……来いよ……そばにいてよ……辰夫……っ……」
空気が薄くなっていく。息が苦しい。
落下速度は増すばかりで──体が、どんどん軽くなる。
いや、軽くなっているわけじゃない。
ただ、重力に任せて落ちているだけ。
体の重さも、生きている実感も──すべてが薄れていく。
「……私……死ぬの……?」
ふと、そう思った瞬間──
背筋が、ぞわりと冷たくなった。
……怖い。
でも──死ぬのが怖いんじゃない。
小娘に、もう会えないのが、怖い。
辰夫を置いていくのが、怖い。
辰美にありがとうを言えないのが、怖い。
そして何より──
みんなに、「ただいま」って言えないまま終わるのが……怖かった。
涙が頬を伝って、無重力の風に吹き飛ばされる。
私はこの世界に来て初めて──心からの、孤独を感じた。
空気は薄れ、呼吸は浅く、落下の速度だけが確かに加速していく。
「小娘……カエ……デ、ツバキ……辰美……みんな……」
声がかすれていく。
もう、上の光は見えなかった。
頭上の裂け目は、針の穴のように小さくなり、やがて完全に消えた。
目を凝らしても、もう何も見えない。
真っ暗な奈落を、私は一人で落ちている。
壁も、足場も、何もない。
落下の衝撃で腕も足も感覚がなくなって、
ただ、冷たい風だけが顔を叩いていた。
時間の感覚が、崩れていく。
さっきまでの魔神族への叫び声も、
折れた腕の痛みも、どこか遠い世界の出来事みたいだった。
秒か、分か、もっと長いのか──わからない。
ただ、暗い。
そして、ひとり。
息を吐いても、音がしない。
心臓の鼓動だけが、妙にうるさく響いていた。
(……もう、いいかな)
頭の中に、そんな諦めの言葉が浮かんだ。
誰に届くわけでもない、心の中の独り言だった。
「がんばったよね」
「私、ちゃんと……やったよね」
暗闇の中で瞳を閉じた、その瞬間──
──ドン、と鈍い音がした。
遠く、遥か上の方で、空気が震えた。
すぐにはわからなかった。
でも、何かが起きている。空間がざわついていた。
ほんの少しだけ、光が差し込む。
見上げたその瞬間──
……聞こえた。
辰夫の、あの不器用で、力強い咆哮だった。
あれは──確かに、私を呼んでいた。
「……辰夫……」
声に出したつもりだったけど、渇いたのどから音は出なかった。
そのまま、私は深く、静かに、落ちていった。
辰夫の咆哮だけが、いつまでも耳の奥に残っていた。
──だけど、それも。
すぐに、絶対的な闇に飲まれていった。
(小娘……ごめんね……)
──言えなかったな………“ただいま” って。
………
……
…
「魔神族!!テメーらまとめて覚えてろよぉおおおおお!!」
「辰夫ぉお!!テメーもあとでぶっ飛ばすからなぁあああ!!」
「私はしつけーかんなぁあああああ!!」
………
……
…
「……辰夫……応えろよ……」
(つづく)