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四時間目の終わりを告げるチャイムの音で目が覚めた桜庭は、まだ眠ったままの楓を起こさぬよう、そっと気遣いながらベッドから出て、上靴を履き、立ち上がった。 学ランの上を脱ぐ事なく眠ってしまったせいで暑くて、寝汗をかいた気がする。制服のシワも気になったし、帰ったらどうにかしないとな、と桜庭は思った。
白いカーテンを捲り、保健室内を見渡す。
「あら、起きたのね」
養護教諭の橋下が、まだちょっと眠たそうな眼をした桜庭に話し掛けた。
「おはようございます。先生すみません、勝手に休んでしまって…… 」
「あぁ、いいのよ。担任の先生にはもう確認済みだし。具合の悪い子に、私が戻るまでいつまでも待ってろってのも酷だしね。居なかったこっちも悪いしさ。——ところで、今の体調はどう?」
「休む前よりはずっといいです」
「そう、良かった。午後からの授業は出られそうかしら」
「いけると思います」
桜庭が頷き、楓の事は気になりつつも、「んじゃ戻りますね」と早々に退室しようとする。すると橋下が桜庭の背に向かい声を掛けた。
「あ、そうだ。ねぇねぇ。桜庭君、何で隣の空いてるベッドで寝なかったの?男二人で寝ていたら、流石に狭かったでしょう」
「それは——」
問いに対し、桜庭が言葉を詰まらせた。『無意識に甘えてきたアイツを放置出来なかった』なんて正直に言うのも恥ずかしいし、そこまでしなければいけない意味も感じられない。
「…… 友達が」
「楓君が?」
「盗撮、されそうだったんで。俺が目立つ位置で寝ていれば、楓のこと守れるかなって」
桜庭は、盗撮魔になりかけていた二人の行動を理由にし、事実を少し伏せた。盗撮の件は報告するべき事だったろうし丁度良いだろう、と。
「うわぁ、そっかー。何だかごめんね?先生が居なかったばかりに、気を遣わせちゃって。盗撮の件は他の先生達とも話し合っておくわ。…… 実は、最近結構多いのよねぇ、その手の話。今って軽い気持ちで勝手にこっそり写真撮っちゃったりするから、迷惑してる子も沢山いるみたい」
「マジっすか…… 」
「桜庭君も気を付けてね?君、可愛いから」
「……は?かわぃ……って、んな事初めて言われましたよ」
キョトン顔で桜庭が答えると、橋下が少し驚いた顔をした。
「あらーそうなの?ごめんね、変な事言っちゃって。…… もしかしてこれってセクハラになる?」
ははは、と橋下が誤魔化すように笑う。すると、声が煩かったのか、白いカーテンの奥から、目を覚ましたばかりでまだ少し眠そうな顔をした楓も出て来た。
「あら、楓君も起きたのね。もう頭痛は大丈夫?」
「あ、はい。おかげさまで薬も効いてきました」
眠る前に、楓は常に持ち歩いている頭痛薬を飲んでから寝ていた。薬が効き、寝不足のせいでおきていた頭痛も消え、しっかり眠れたおかげで朝よりも随分体調がいい。この感じだと午後からは何とか楓も授業に参加出来そうだ。
「どう?君も授業に戻れる?それとも早退して帰るかい?」
「授業に出ます」
「そっか、了解。二人とも気を付けて教室に戻るのよ」
「…… 二人?」
橋下の言葉を聞き、楓はやっと、室内に自分と先生の二人きりでは無い事に気が付き、周囲を見渡し——驚いた。
「み、充?どうしたんだ?具合でも悪いのか?」
楓のギョッとした顔を見て、橋下は『あら?添い寝してもらってたのに、気が付いていなかったのかしら』と思ったが、口には出さなかった。
「いいや、大丈夫。体調平気なら一緒に戻ろうぜ」
「…… そ、そうだな」
(具合は悪くないって事は、充は俺を迎えにでも来てくれたんだろうか?)
添い寝をしてもらえていたのは夢だと、楓は思っていた。 保健室のベッドで添い寝など、夢以外有り得ない。桜庭と橋下がその件をあえて言わない限り、そう思っても仕方の無い事だろう。
楓が控えめに笑ったあと、白いカーテンをきちんと全て開けていく。ベッドの布団を簡単に整えると、楓は桜庭の元に向かった。
「お待たせ」
「おう。んじゃ、先生、失礼します」
桜庭が橋下に軽く頭を下げて礼を言う。楓もそれに続くと、二人揃って保健室を後にした。
「昼休みが終わる前に戻ろうぜ、昼メシ食う時間無くなったら、次死ねる」
「体育だったよな、午後って。確かに空腹のままじゃぁキツイな」
廊下を二人で歩き、足早になりながら教室を目指す。昼休みが始まっているので人通りが多く、周囲は食堂に向かう人や思い思いの場所でお弁当を食べようと、移動する者ばかりだ。
「もうホントに体調は大丈夫か?体育じゃキツイんじゃね?」
保健室で聞いた、『薬』だ『頭痛』だという言葉を思い出し、桜庭は楓の顔を覗き込んだ。顔色は悪そうでは無いが、楓はちょっと体調が悪くても無理をする所があるので桜庭は心配を隠せなかった。
「平気だよ、ありがとな」
(いい夢をみたしな、平気だ)
楓はそう思ったが口には出さなかった。その代わりに、桜庭に向かい微笑んでみせる。すると、桜庭が頰を染め、ちょっと照れ臭そうに顔を逸らした。
こういった桜庭の仕草を見る度に、楓は勘違いしそうになる。
『もしかしたら、多少なりとも俺を“恋愛的な意味合いで”、好きでいてくれているんじゃないだろうか』と。昨日あんな事をした後だというのに、こうやって迎えに来てくれたりしてくれるのも、もしかしたら——
「楓くーん、いたいた!ねぇ、もう体調は大丈夫?」
突然の呼びかけに、楓は思考の海から引き戻された。声のした方へ振り返り、「あぁ、うん」と短く答える。
「そっか!良かったー心配してたんだよ?学校来てすぐ居なくなるんだもん」
「…… ごめん」
クラスメイトの女子二人から気さくに声をかけられて、楓はちょっと困った。顔は知っているのに、相手の名前が思い出せない。
「あのね、今日の放課後さ、ちょっとだけ体育館の修繕があるらしくて急に部活休みになったんだぁ」
「そそ。んでね、クラスの人集めてカラオケに行こうって話になったんだけど、楓君も一緒に行かない?ほら、全然そういったイベント来ないじゃん?三年になって今更って感じだけど、親睦会って事でさー」
誘ってきた二人の顔がちょっと赤い。そんな様子を隣で見ていて、『コイツら全然俺に気が付いてねぇし!清一しか見てねぇし!』と桜庭は思い、イラっとした。
「ごめん、悪いけど用事あるから」
「えー。それって、別の日にずらせないの?」
断る楓に対し、誘ってきた子が食い下がる。どうしても来て欲しいみたいだが、そんな彼女を見る楓の目が冷たい。その事に気が付き、桜庭が「無理らしいぞ、家の用事だって今朝言ってたし。あ、でも俺だったら行けるけど!」と、挙手して提案してみた。
「…… 家の用事かぁ。んじゃ厳しいよね」
「そうだねぇ、残念」
お互いに顔を見合わせ、二人が頷いている。桜庭の言葉がスルーされそうで、慌てて彼は「あ、ねぇ話半分にしないでさ」と改めて声を掛けた。
「んー…… だって、桜庭来たらマイク離しそうにないじゃん?それにさ、桜庭って楓君居ないと来ないじゃん」
「ねー」と言い、彼女達が頷き合う。
クラスイベントだって話なのに、酷くないか?と桜庭が思う。そのうえ勝手な想像と思い込みで拒否されて、桜庭はイラっとするよりも、呆れてしまった。
「んな事しないって!コイツとセットじゃなくても、俺だって遊ぶし!」
勢いに任せて更に食い下がろうとした桜庭の肩を、「充、お前だって用事あるだろ?」と言いながら楓が不機嫌を前面に出した顔のまま掴んだ。
「ほらー、やっぱ無理じゃん」
勝ち誇った声で女子達が言う。桜庭は尚も『一人でも行く!』と騒ぐ真似はせず、楓に対し驚いた顔を向けた。こんなにも感情を露わにした彼に驚き、声が出なかったのだ。
そんな彼らを置いて「今度機会あったら、その時は絶対に来てね!」「次回は事前に言うから!」と言って、楓の返事を待つ事なく二人が去って行く。
「…… 行こうか、充」
プイッと顔を逸らし、楓が桜庭の腕を掴んでスタスタと教室へ向かい歩き出す。背中を見ているだけでも不機嫌だとわかる様子に桜庭は少し動揺し、ただただ黙って彼に着いて行く事しか出来なかった。