コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「それでは、まず、キャラクターの名前や性別。年齢や身長、体重。性格や口癖なんかを、まずは文字で書き出してみましょう」
ライトノベルの表紙やスマホゲームキャラデザインを担当しているイラストレーター講師がマイクを使って言う。
学生たちは言われた通りに紙にキャラのイメージを言葉にしていく。
〇名前 久我輝希
〇性別 男
〇年齢 25歳
〇身長 177㎝
〇体重 63㎏
〇性格 温厚。頭がいい。
〇口癖 ……………
そこまで書いてから紫音は顔を上げた。
(……お兄ちゃんの口癖ってなんだっけ……?)
「設定を詳細に考えることにより、実際に絵にするときはとてもスムーズにできますよ。
さて、できましたか?じゃあ、ここでいよいよキャラを……と言いたいところですが、今回は家族構成も考えてみましょうか。いわゆるバックボーンですね」
講師は歌うような軽やかさで続けた。
「なぜこの人物はこの目つきをしているのか。なぜこの人物はこの髪型を選んだのか。母は?父は?兄弟は?家は裕福なのか貧乏なのか。平和に育ったのか、戦場で育ったのか。できるだけ詳しく書いてみてください」
「…………」
紫音はホワイトボードを眺めて考えてから、構成表にシャーペンを走らせ始めた。
「―――あら」
生徒たちの間を回ってきた講師が足を止める。
「……これ、とっても面白いわね?みんなに発表しても?」
講師自身もどこかおとぎ話からやってきたような、美しい顔をしている。
紫音は面食らって思わず頷いた。
「はい!市川さんの構成表がとても面白いので発表しまーす」
皆が顔を上げる。
「久我輝希、25歳。美しい母と、年老いた父の間で産まれる。母に溺愛を受け、少し疎ましく感じている。本人はというと4つ下の妹が可愛くてしょうがない」
読み上げられる内容に、顔が熱くなっていく。
「自分はどうして彼女の兄なんだろう。悩む日々が彼を変えた。両親を怨み、運命を呪った彼はやがて―――」
講師がうっとりと天井を仰ぐ。
「両親を殺し、妹を連れて逃げ去るのだった……」
きりきりとうなじあたりに寒気が走る。
皆の視線が痛い。
「ーーとっても素敵です。皆さん、拍手」
講師の言葉に皆が冷ややかな拍手を送る。
紫音はただ返してもらった構成表を見下ろしながら、背中を丸めて小さくなった。
◇◇◇◇
「ちょっとー、ドン引きなんですけどー」
講義が終わるなり、同じくキャラデザインコースの女友達、真帆が紫音の構成表を取り上げた。
「これって、まるきりお兄さんのことでしょー?」
「……返して!」
紫音は睨みながらその紙を取り上げると、くしゃくしゃと丸めた。
「あーあ。丸めなくていいのに」
「真帆には一生わかんない悩みだよ」
紫音が机に突っ伏す。
「おいおいー。私にもお兄ちゃんいるんですけど?失礼にもほどがあんだけどー」
紫音は机に突っ伏したまま鼻を鳴らした。
真帆の兄なら見たことがある。
たしか林檎農園を手伝っているとかで、会うたびに作業服を着ている。
太陽に焼けたチリチリの金髪。黒い肌に不自然に白い歯。
(私のお兄ちゃんと全然違う……)
「ねえ、世間ではそういうのなんて言うか、知ってる?」
真帆が顔を寄せてくる。
そう言った瞬間、教室には次の授業を受けるための生徒たちが入ってきた。
教壇の前。
真ん中の一番前の席に、5人の男たちが笑いながら座った。
「あんな人たちキャラデザコースにいたっけ」
真帆に口を寄せると、彼女はため息混じりに言った。
「違う違う。“4年生”の皆様よ。自分のコースじゃない授業を単位目的で冷やかし半分に受けに来てんの」
「4年生?この学校3年まででしょ」
紫音が首を傾げると、
「本当はね。だからあの人たちは全員留年生」
「留年……」
紫音は初めて見る派手な軍団を見つめた。
「自分のやりたいことを模索してるっていうと聞こえはいいけどさ、ようはあの5人全員がボンボンだわけよ」
真帆は肩を竦めながら言った。
「一流のスーツメーカーの次期社長って息子もいれば、あの若さですでに土地の地主でマンションやアパートを経営してる奴だっている。高級クラブのママに月に500万もお小遣い貰っているヒモ男さえいる。ホントいいご身分よねー」
そう言いながら真帆は机に頬杖をついた。
「金のことを気にせずに芸術を趣味で出来るって考えてみればめちゃくちゃ幸せなことよね。羨ましい」
少ししんみりしていう真帆の言葉を受け流しながら、紫音はただ彼らを見つめていた。
1年生のようにおどおどはしていない。
紫音たち2年生のように「自分は本当にここでいいのか」という迷いもない。
3年生たちのように就職先を求めて殺伐とした空気もない。
彼らにあるのはただ、自由だ。
そう。底知れない自由。
それだけ。
とその時、紫音の視線を感じたのか、中央にいた男が振り返った。
長くパーマを当てた紫色の髪の毛をハーフアップにしてお団子にしている。
目がくりっと大きい。
美術系の学校には、美への意識が高い人間が多い。
男子の場合、それは往々にしてヘアスタイルを追い求め、メイクの練習と収集を経て、ファッションに落ち着く。
そうなるともう男も女も関係ない。
重要なのは、美しいか否か、だ。
たっぷり10秒ほどは見つめ合っていただろうか。
自分よりも数段美しい男に見つめられて、恥ずかしくなった紫音の方から目を逸らすと、男は輪の中心にいながらにしてこちらを指さして笑った。
他の男たちも楽しそうに振り返る。
「…………」
そりゃあ見惚れたのは紫音だが、なんで初対面の男たちに笑われなければいけないのだろう。
「何あれ。感じ悪っ」
真帆が立ち上がる。
「相手にしない方がいいよ」
そう言いながら真帆が紫音の手首を引っ張ってくれる。
結局どうして笑われたのかわからないまま、紫音は教室を出た。
◆◆◆◆
「あれ、また会った」
エレベーターから降り、家に近づいたところでお隣さんの城咲は振り返った。
「――何をしてるんですか?」
部屋に入ろうともせず、うろうろしている城咲に警戒心を隠さずに聞くと、
「これです」
「……表札?」
「正解」
城咲は彼の顔程の大きさもあるそれを、紫音に見せてくれた。
白で薄く染めたテラコッタタイルに、金色の文字で「Shirosaki」と字が掘ってある。
「素敵……」
思わず褒めると、
「ええ!ホントですか?美術系の学生さんに褒めもらえるとは思わなかったです」
城咲はニッコリ笑った。
「うそ、これ自分で作ったんですか?」
驚いて聞くと、
「まあね。ほら、僕の職場ホームセンターだから。エキスパートがたくさんいるんで」
城咲は柔和に微笑みながらそう言った。
「品揃えも豊富だから、紫音さんの学校の生徒さんだけじゃなくて、結構県外の画家さんも来ますよ。石粉粘土なんかの種類も豊富だしね」
「そう、なんだ」
初めて聞く言葉に面食らっていると、
「だから紫音さんもぜひ、今度遊びに来てください」
城咲が顔を寄せてきた。
不思議だ。
母が呼ぶときにはいい名前だなんて思ったことないのに、彼が少しハスキーな低い声で呼ぶと、とてもいい名前に聞こえる。
「………っ!」
見惚れていた自分を誤魔化すように表札に視線を戻した。
「でもこの文字の上を駆けまわってるようなネコちゃんとか、可愛すぎてちょっと男のひとり暮らしっぽくはないけど」
そう無理に笑うと、城咲は一瞬驚いたような顔をしてから、僅かに首を傾げた。
「男のひとり暮らし?紫音さんは一体誰の話をしてるんですか?」
◇◇◇◇
「へえ!」
夕餉の食卓。
3人の前でその事実を口にすると、一番初めに反応したのは意外にも感情温度の低い次男だった。
「じゃあ、嫁さんと子供も直に引っ越してくるってこと?」
「違うってば!話ちゃんと聞いてた?婚約中なの。結婚したら一緒に住むんだって。子供ができることを想定して、このマンション買ったんだって!」
ついスプーンの先端を向けながら話すと、
「行儀悪いわよ、紫音」
と話自体には全くの興味がないらしい母親が目を伏せたまま言った。
「婚約してんならもう一緒に住んじゃえばいいのに」
弟はハハッと笑った。
「遠距離なんだって。9月で彼女さんの退職が決まってるから、そうしたらこっちに出てくるんだってー」
「ほー」
弟の凌空はライスとカレーを交互に掬い、スプーンの上でミニカレーを作りながら言った。
「新婚さん、ね」
そう言いながらゲスな視線を送ってくる。
「子作りの音、聞こえてこないといいね」
「凌空」
いつもはめったに弟に注意をしない母が睨む。
「きもっ!エロガキ!」
言ってやると、
「黙れよ、処女」
凌空が口の端で笑う。
本当に可愛くない。
可愛くないが―――。
紫音は凌空の綺麗な目を睨んだ。
この目がある限り、顔は悪いわけでもない。
卑屈な態度とクールな印象は、もしかしたら同級生にはそれなりにモテてさえいるかもしれない。
だから言えない。言い切れない。
(――「黙れよ、童貞」)
「どっちにしろ、大丈夫でしょ」
最後の一口をスプーンに掬いながら母が言う。
「このマンションの壁は厚いから」
「――――」
父親がピクリと反応する。
「――――」
ニヤニヤしていた凌空も一瞬で真顔に戻る。
リビングは家の中央にある。
その東側に夫婦の主寝室。
西側の南北に子供部屋があり、南が輝馬と凌空の部屋。北側が紫音の部屋だ。
そしてその間に、窓のない大きめの収納庫がある。
「…………」
紫音はゆっくりと振り返った。
そのドアが開いているのを、最近は見ていない。