そして叔母がやって来る土曜日になった。
昨日は『God』と朝一度メールをやり取りしただけでその後はしていなかった。来客の準備で綾子が忙しいと思い気を遣ってくれたのか? それとも『God』自身が忙しかったのか? お陰で綾子は来客の準備や買い物などを滞りなく終えた。
今朝は朝食を食べた後叔母のベッドを整えてから早速料理の下ごしらえをする。
叔母のたまきはイタリアンが好きなので夜は手作りピザにブロッコリーとエビとゆで卵のサラダ、それに鯛のカルパッチョを作る予定だ。だからピザ生地とゆで卵を先に作っておく。
その後綾子は歩いて旧軽銀座へ向かった。
綾子の住んでいる別荘は『水車の道』沿いにある。だから旧軽銀座までは歩いてすぐだ。
綾子は行きつけのパン屋へ入るとフランスパンと明日の朝食用のパンをいくつか買った。
パンの袋を抱えて歩きながら綾子は斜め掛けバッグからスマホを取り出す。『God』からのメールが来ていない事はわかっているのについ何度も見てしまう。
綾子はなんとなく手持無沙汰な気がした。これまでは日に何度もメールのやり取りをするのがあたり前だったのに昨日の朝を最後にやり取りをしていない。ひょっとして自分はメール依存症にでもなってしまったのだろうか? 綾子はそんな風に思う。
(ううん、違うわ。気にしなければどうって事ないのよ)
綾子は自分にそう言い聞かせるとスマホをバッグにしまった。
綾子が家に戻って一時間ほどすると車の音が聞こえた。たまきが到着したようだ。綾子が玄関を出るとちょうど車を停めたたまきが車から出てきたところだった。
たまきはサングラスを外しながら綾子に叫ぶ。
「久しぶりね、あらぁー随分元気そう! なんか日焼けして健康的になったんじゃない? 体重も戻った?」
「いらっしゃい。うん、体重はだいぶ戻ってきたよ」
「あらそう、それは良かった。お昼は綾子のリクエストの峠の釜めしを買って来たわよ」
「嬉しい! 凄く食べたかったんだ」
二人は玄関へ入ると家に上がった。たまきはそのまま洗面所へ行き手を洗ってからリビングへ来た。
綾子はキッチンでお茶を淹れる。
「部屋もなんだかすっきり片付いたわね。もしかして片付けてくれた?」
「うん、壊れた加湿器とかクリーニング店の曲がったハンガーとかいらない物はだいぶ処分したよ。まだまだいっぱいあるけれど叔母さんに聞かないと勝手に捨てられないから後で見て。あっちの部屋に積んであるから」
「わかったわ。助かるー、庭もきちんと手入れしてくれたんだねー」
「夏は雑草が凄くて大変だったんだから」
「ハハッ、それですっかり日焼けしたんだね。でもさ、ほんと見違えるように元気になったわ。いやー安心したわー」
たまきは大声で言いながら一瞬綾子から顔をそむけるとさりげなく目尻の涙を拭った。
「叔母さん、今まで心配かけてごめんね。でももう大丈夫だから」
「うん、やっぱここに来て良かったんだね。で? 今は安定剤とか睡眠薬は?」
「もうずっと飲んでないよ。働き始めたら疲れちゃって自然に眠れるようになった」
「そう? それは良かった。やっぱさー顔つきが違うもん。前に会った時は不自然な笑顔だったけど今は自然に笑えてるじゃない? いやーほんと良かった叔母さん安心したわー」
「心配かけたお詫びに今夜は私が手料理をご馳走するからね」
「本当? 無理しなくていいよ、今夜は外で食べてもいいんだから」
「いいよ、運転で疲れてるでしょう? レストランは今度また長く滞在する時に連れて行ってよ」
「わかった。あ、そうだ、ケーキ買ってきたんだ」
たまきは袋からケーキの箱を出した。
「ありがとう。食後のデザートだね」
綾子はケーキを冷蔵庫へ持って行った。
たまきは元気そうな姪の後ろ姿を感慨深げに見つめた後視線をリビングテーブルに移す。そしてそこにある本に気付いた。
たまきはその本を手に取ると言った。
「これ、今やってるドラマの人のだよね?」
「そうだよ。あのドラマの原作者」
「『依子さんのディープな恋』、あれ面白くてあたしも毎回録画して観てるよ」
「おばさんも?」
「うん。だって会社の若い子達の間で凄い人気だもん」
「そうなんだ。実はね、私メール友達が出来てね…その人が……」
綾子はソファーへ戻りたまきの向かいに座ると『God』の事を話し始めた。
昔から綾子はたまきには何でも話していた。綾子とたまきは叔母と姪というよりもどちらかというと友達に近いような感覚なので何でも話しやすい。
綾子の話を聞いたたまきは驚きの声を上げる。
「えーー? 何それ凄いじゃん」
「うん、自分でもびっくり。まさか神楽坂仁の編集の人とメル友になるなんて思ってもいなかったから」
「でもさぁ、そういうのっていくらでも嘘つけるからね。実際そういうので騙された友人も昔いたしなぁ」
「騙された?」
「うん、30代の頃かなー? まだマッチングアプリがない時代よ。で、友達がメール友達作ったんだけど相手が会社を経営している社長だって言って凄く喜んでてさ。かなり浮かれていたんだけど会ってみたら社長でもなんでもなかったんだって。むしろお金のない人だったみたいで凄く激怒していてさー」
「へぇ、叔母さんの時代もそういうのあったんだ。あ、でもこの人は多分本物だよ」
そこで綾子は図書館に寄贈された本についてを話す。
「図書館司書の人が神楽坂仁からの寄贈だって言ってたなら本当だね。へー、じゃあ本物なのかなぁ?」
「うん。まあ編集の人かどうかはわからないけれど、とにかく神楽坂氏と接点がある人っていうのは多分本当なんだと思う」
「そうかもね。【月夜のおしゃべり】はあたしも知ってたんだよ。会社の若い子達の間で流行っていた時期があってね。その時は割とまともな出会いがあるって聞いたけれど今はどうなってるんだろうなー」
「会社で流行ってたのっていつくらい?」
「5~6年前かなぁ?」
「ふーん、そうなんだ」
そこでたまきが両手を頭の後ろに当てて言った。
「あたしもやってみようかなー」
「え? 叔母さんが?」
「うん、だって綾子が割とまともな人と出会ったんでしょう? だったらもっと凄い人いそうじゃない? あたしも老後が淋しいから今からパートナーでも探すかなぁ?」
「何言ってるの、おばさん結婚する気ないくせに」
綾子はクスクスと笑う。
「それに私はその人と会ったりする訳じゃないんだからね。ただのメールフレンド、メールだけのやり取りだよ」
「そこがなんかいいよねー、昭和とか平成初期っぽくてさ。ほら、今はやたらとマッチングアプリ? 結婚だか出会いを意識したやつばっかりじゃん。そういう昔の文通? ペンパル? 的な感じがグッとくるんだよ、特にあたし世代にはさぁ」
たまきが昔を懐かしむような顔で言った。
「あ、でもさぁ、もっとメールを重ねるうちにきっと会いましょうとか言って来るんじゃない?」
「それはないと思う。事あるごとに『会うつもりはない』って向こうから言ってくるし私がメールだけを希望なのも知ってるし」
「ふーんそうなんだ。がっついてなくて結構余裕のある男って感じだね。でもなんでそんな人がメル友を募集したんだろうね?」
「それは私も不思議」
「でもさ、綾子の方は気にならないの? どんな感じの人かなーとか声はどんな声かなーとか?」
「うーん、今はあんまり気にならないかな」
「あたしだったら凄く気になるだろうなぁ。まあ綾子が気にならないんならそれでいいんだろうけどね」
「だって私別に恋人探している訳じゃないし」
綾子がムキになって言う。
「そうだったね。綾子はもう誰とも付き合う気はないし結婚する気もないって言ってたもんね、理人の為に」
「うん。私が誰かと付き合ったり再婚したらあの子が悲しむわ」
「あたしはそうは思わないけれどなぁ。あたしが理人だったらお母さんには幸せになって欲しいって思うよきっと」
「…………」
「ごめんごめん悪かった。こんな話はまだする時期じゃないね。さあてと、じゃああたし先にシャワー浴びちゃおうかな。そうそう美味しいワインも持ってきたよ」
たまきは袋からワインや東京で買ってきたクッキーの缶をテーブルに並べる。綾子は大好きなクッキーの缶を見て途端に機嫌が直る。
「じゃあそろそろ宴の準備をしますか」
綾子はソファーから立ち上がると土産を手にしてキッチンへ戻った。
コメント
6件
ストーリー読んで 峠の釜めしを食べたくなり 主人にお願いしたのですが売り切れてました😭 軽井沢は遠いですが その他は近く臨場感溢れて 妄想が凄いです
Godさんとのメールのやり取りが毎日の日課になって、来ないと何となく落ち着かない綾子さん....✉️💕🤭 たまきさんのおっしゃる通り、理人くんはママが幸せで笑っていてほしいのだと思うので.... いつの日か 綾子さんが 自分の幸せに向かって歩んでくれることを願いたいと思います🍀✨
仁さんとのやり取りが既に生活の一部になりつつ有るのかな⁇私もたまきさんと同じ考え…綾子さんね幸せな姿,笑顔を理人ちゃんは望んでると思うな。