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第10話:楓の名刺
「天野ミオさん、ですね?」
放課後の下駄箱前。
校内の喧騒が少し落ち着き始めた時間、スーツ姿の女性がひとり、ミオの前に立っていた。
木元楓(きもと・かえで)。26歳。
肩までのストレートボブ、えんじ色のパンツスーツに社章付きの名札、マットな赤のリップ。
レンアイCARD株式会社・広報宣伝部の主任であり、テレビCMにも顔を出す“企業の顔”だった。
「……どうして、私に?」
ミオは制服の胸元を押さえながら尋ねた。
今日のミオは前髪を軽く留めていて、目がほんの少し見えるようになっていた。
「あなたの《再定義》ログ──すごく話題になっています。
“カードに頼ったわけではなく、カードを通じて本心を知った”って……感動しました」
楓はそう言いながら、手提げバッグから一枚の名刺を差し出す。
木元楓恋レア・感情広報企画チーム主任
“恋する一手、あなたに届けたい”
「公式モデルとして、“本当の気持ちを知った高校生”という切り口で、取材と番組出演をお願いしたくて」
その言葉に、ミオは凍りついた。
公式モデル──
つまり、自分の恋心が、カード使用が、社会に“恋愛成功物語”として拡散されるということ。
「……私、成功してません。失敗しました。声も出せなかったんです」
「でも、失敗も“恋の証”になるんです」
楓はまっすぐな目でそう言った。
「いま、社会は“成功ログ”ばかり求めてる。
でもね、本当に共感を生むのは、“傷ついた感情”や“揺れた瞬間”なんです。
それこそが、リアルな恋レア体験なんですよ」
その目は、真剣だった。でも、どこか計算された熱もあった。
ミオはそっと視線を外した。
すれ違う生徒たちは、誰もがスマホ片手に恋レアアプリをいじっていた。
を使う女子
《嫉妬距離》で駆け引きを始めるカップル
成功ログをその場でSNSに流す男子
“恋”が、“演出可能な感情”になった世界。
その中で、失敗さえも商品になるなら──
「……考えさせてください」
ミオは名刺を受け取り、深く頭を下げた。
木元楓はにっこりと笑って答える。
「もちろん。恋はいつだって、自由ですから」
そう言い残して去っていく背中は、背筋がまっすぐで、歩き方まで“演出”されているようだった。
ミオは名刺を見つめながら、心のどこかに、小さな違和感が残った。