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柘榴とAI

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ふわもちお餅
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羽海汐遠
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【あと5日】 文化抹殺計画
登場人物
水城レン
二十六歳。細身で、耳の近くまで伸びた少し癖のある茶色の髪と、濃い茶色の瞳を持つ。紫色のシャツに灰色のパンツ、歩きやすい靴を合わせている。失われた文化を調べるにつれて表情が豊かになり、以前なら気にも留めなかった服、音、遊び、景色へ目を向けるようになっている。
秋庭教授
六十二歳。短く整えた灰色の髪に、細い樹脂縁の眼鏡を掛けている。背は低め。深い緑の上着と茶色のシャツ、灰色のパンツを着ている。文化学研究室を長年維持してきた人物で、研究資金の多くは裕福な親から受け取った資産によって賄っている。
戸倉
七十代後半ほどの老人。短い灰色の髪と深いしわのある顔を持つ。茶色の長い上着と灰色のパンツを着ている。十二冊の極秘資料を研究室へ託した人物。文化抹殺計画について深い事情を知っている。
瀬名トウジ
極秘資料の映像に登場する当時の文化抹殺計画担当者。四十代ほど。短い茶色の髪を横へ流し、細い眼鏡を掛けている。灰色の上着とベージュのシャツを着ている。文化を禁止するのではなく、人々の価値判断そのものを変える手法を記録していた。
◆
午前六時三十四分。
水城レンは端末の振動で目を覚ました。
目覚ましではなかった。
緊急通知。
枕元から端末を取る。
画面いっぱいに速報が表示されている。
各地で原因不明の地殻変動。
昨夜から観測地点が増加。
複数の沿岸地域で通常とは異なる潮位。
一部地域で地下水の急激な変化。
道路の一部で細い亀裂。
鉄道数路線で安全確認。
レンは身体を起こした。
昨日までなら、
被害なし。
関連性不明。
直ちに危険なし。
そうした言葉が必ず大きく表示されていた。
今日は違う。
専門機関は観測体制を最高水準へ引き上げた。
ただし、大規模地震との関連は現時点では判断できない。
レンは日付を見る。
五日。
「……あと五日」
昨日、旧旅行生活資料館で読んだ記録。
地下水。
潮位。
微小地殻変形。
全部ニュースと一致した。
偶然ではない。
そう考える方が難しくなっている。
レンは寝台から立った。
床へ足を置く。
一瞬、止まる。
揺れていない。
それを確認してから歩き出した。
収納棚。
紫色のシャツ。
今日は別の服にしようかと思った。
だが手は紫へ伸びた。
気に入っている。
たった数日前まで、服を好きだと思う感覚さえ理解していなかった。
着替える。
鏡。
自分を見る。
口元を少し上げる。
笑顔。
昨日までなら、笑顔について考えることもなかった。
鞄を持つ。
玄関を出る。
外はいつも通りだった。
人が歩く。
配送車両が動く。
店舗が開く。
列車が走る。
ただし、いつもより端末を見ながら歩く人が多い。
ニュース。
地殻変動。
原因不明。
レンもその一人だった。
駅へ向かう。
昨日、教授と遠回りした川沿いの道が見えた。
今日は最短経路を選んだ。
時間が惜しい。
あと五日。
その言葉が歩く速度を速くする。
駅。
列車。
車内の壁面画面でもニュース。
専門家が地図を示している。
観測地点が点で表示される。
昨日より多い。
レンは座席へ座った。
向かいにいる男性もニュースを見ている。
隣の女性も。
だが誰も大きな声を出さない。
不安そうな顔さえ、ほとんど見せない。
感情を抑える社会。
昨日まで研究対象だったものが、今日は目の前にある。
本当は怖い人もいるはずだ。
レン自身がそうだから。
それでも車内は静かだった。
午前七時五十九分。
文化学研究室。
扉を開ける。
秋庭教授は端末を三台並べていた。
一台。
ニュース。
二台目。
地震観測情報。
三台目。
極秘資料から抜き出した日付一覧。
レンは鞄を置く。
「教授」
「ああ」
「増えました」
「見ている」
レンは教授の画面へ近づく。
昨日。
微小振動。
地下水。
潮位。
今日。
地殻変形。
道路亀裂。
観測地点拡大。
極秘資料の記述と照合されている。
一致。
一致。
一致。
レンは椅子へ座った。
机の上。
八冊目。
数字の「8」。
今日は文化の資料ではない。
表紙に、小さな文字がある。
文化抹殺計画。
レンはそれを見た。
これまでの資料とは違う。
祭り。
音楽。
遊び。
服。
笑顔。
旅行。
一つずつ文化の名前が書かれていた。
今日は計画。
「開けます?」
レンが聞く。
教授は頷く。
レンが手を伸ばした。
その瞬間。
研究室の扉が鳴った。
二人の動きが止まる。
レンが教授を見る。
教授も見る。
もう一度。
扉が鳴る。
レンは立った。
近づく。
開ける。
戸倉が立っていた。
短い灰色の髪。
深いしわ。
茶色の長い上着。
灰色のパンツ。
昨日とほとんど同じ姿。
「来た」
レンは思わず言った。
戸倉は研究室へ入る。
教授が椅子を出した。
だが戸倉は座らない。
机の八冊目を見る。
「今日まで来たか」
レンが扉を閉める。
「待ってました」
戸倉がレンを見る。
「私を?」
「はい」
レンは机へ戻る。
ニュースの画面を戸倉へ向ける。
「これ」
観測地点。
地殻変動。
潮位。
地下水。
「昨日の資料と一致しました」
「そうだ」
「今日の異変も資料にあるんですか」
「ある」
「じゃあ本当に」
言葉が止まる。
五日後。
巨大地震。
戸倉は静かに答える。
「来る」
レンは机へ手を置いた。
教授が聞く。
「なぜ分かる」
戸倉は八冊目を見る。
「今日は、その話の一部をするために来た」
レンは八冊目へ手を伸ばす。
開く。
最初の頁。
計画名称。
文化抹殺。
対象地域。
日本。
レンの目が止まる。
「日本?」
教授が隣から見る。
次。
実験区分。
大規模社会誘導実験。
目的。
文化が法的禁止を伴わず、社会的評価の操作のみで消失可能かを確認する。
レンは文章を二度読んだ。
「評価の操作」
戸倉が椅子へ座った。
「君たちは、この数日で何を調べた」
レンは戸倉を見る。
「祭り」
「他は」
「音楽。遊び。服。笑顔。旅行」
「それぞれ、どう消えた」
レンは答えようとする。
祭り。
最初は混雑。
騒音。
事故。
費用。
音楽。
音量。
感情への影響。
時間。
遊び。
生産性。
時間浪費。
服。
浪費。
環境負荷。
外見による格差。
笑顔。
感情的。
未熟。
旅行。
環境負荷。
移動時間。
非効率。
レンは止まった。
「似てる」
教授が資料を見たまま言う。
「ああ」
「全部」
レンが一冊目から七冊目を見る。
「最初は、本当にある問題から始まってる」
戸倉は頷いた。
「それが重要だった」
「どういうことです?」
「嘘だけでは長く続かない」
レンの眉が寄る。
戸倉は八冊目を指す。
「文化抹殺計画で最初に決められた原則だ」
レンが頁をめくる。
基本原則。
対象文化を直接禁止してはならない。
法律による全面禁止を行わない。
文化施設を強制閉鎖しない。
娯楽物を一斉没収しない。
文化を楽しむ人間を直接処罰しない。
レンは戸倉を見る。
「何も禁止してない」
「禁止すれば反発が生まれる」
戸倉が言う。
「守ろうとする者も現れる」
教授が続ける。
「だから自分たちから捨てさせた」
戸倉が教授を見る。
「そうだ」
レンは次を読む。
第一段階。
対象文化が持つ実在の問題を収集。
第二段階。
問題事例を集中的に提示。
第三段階。
文化全体と問題を結び付ける。
第四段階。
文化を利用する者の社会的評価を低下。
第五段階。
若年層に文化を選択しない価値観を定着。
第六段階。
継承停止を待つ。
レンの指が止まった。
「待つ?」
「消す必要はない」
戸倉が答える。
「次の世代がやらなければ、文化は自然に消える」
研究室が静かになった。
レンは昨日まで見てきた数字を思い出す。
必要。
不要。
理解できる。
理解できない。
年々変わっていった調査結果。
あれは単なる社会変化ではなかった。
「調査してたんじゃない」
レンが言う。
戸倉が見る。
「何を」
「あの数字」
必要だと思う人。
不要だと思う人。
理解できる人。
理解できない人。
「文化が消えていくのを調査してたんじゃなくて」
レンは八冊目を見る。
「計画がどこまで進んだか確認してた」
戸倉は何も言わない。
それが答えだった。
教授が椅子へ深く座る。
「誰がやった」
戸倉の表情は変わらない。
「一つの団体だ」
「名前は」
「何度も変わった」
「現在もあるのか」
戸倉は少し間を置く。
「形を変えて残っている」
レンが身を乗り出す。
「何のために?」
「実験だ」
「何を知りたかったんです?」
戸倉はレンを見る。
「人間から文化を奪ったとき、社会はどうなるのか」
レンは言葉を失う。
「そんな理由?」
「研究対象としては、それだけだった」
「日本全部使って?」
「そうだ」
「何人いると思ってるんです」
声が大きくなる。
レン自身が気付いた。
以前なら抑えていた。
だが止めなかった。
「祭りも、音楽も、ゲームも、服も、旅行も」
机を指す。
「全部、人がやってたんですよ」
戸倉は黙って聞いている。
「実験だから消した?」
「そうだ」
「何で日本だったんです?」
戸倉の目が少し動いた。
「そこが、巨大地震とつながる」
レンと教授が同時に戸倉を見る。
戸倉は八冊目の中ほどを開いた。
一枚の地図。
日本列島。
その周囲に大量の観測線。
「計画が立てられた時代より前から、日本には巨大災害の予測が存在していた」
教授が地図へ顔を近づける。
「五日後の地震か」
「正確には、その予測の原型だ」
「そんな昔から?」
「発生日までは分かっていなかった。だが、いずれ日本が壊滅的な地震災害を受ける可能性が極めて高いとされた」
レンが地図を見る。
「それで?」
戸倉は次の頁。
文化資産消失予測。
人口移動。
都市崩壊。
文化施設喪失。
歴史地区消失。
資料損失。
「計画を作った者たちは考えた」
戸倉の指が頁をなぞる。
「どうせ失われる可能性が高いなら、その前に使える」
レンの顔が固まる。
「使える?」
「社会実験に」
レンが椅子を蹴るように立った。
「何ですか、それ」
教授がレンを見る。
だが止めない。
「なくなるなら実験していいって?」
戸倉は答えない。
「人も住んでる」
レンは窓を指す。
「今も」
街。
建物。
道路。
列車。
人。
「文化もあった」
机。
祭り。
音楽。
遊び。
服。
笑顔。
旅行。
「どうせ地震でなくなるから、その前に文化まで消してみようって?」
「計画を決定した者たちは、そう考えた」
レンは両手を机へ置いた。
怒っている。
はっきり分かる。
昨日まで研究した感情表現。
怒り。
社会では未熟とされる。
今は抑える気にならなかった。
「最低だ」
戸倉がレンを見る。
「その感情も」
レンの眉が動く。
「何です?」
「計画が成功した社会では、表へ出しにくくなったものだ」
レンは黙った。
怒りまで。
文化ではない。
だが文化と一緒に弱くなった。
教授が八冊目を読む。
「日本文化そのものを対象にしたのではないのか」
「違う」
戸倉が答える。
「日本に存在していた文化全般だ」
「伝統文化だけではない」
「祭り。音楽。娯楽。ゲーム。服飾。旅行。食文化。創作。収集。装飾。祝い。競技。映像。物語」
レンが反応する。
「物語?」
「対象だった」
「小説も?」
「当然だ」
レンは八冊目を見る。
「全部?」
「すべてではない」
戸倉が言う。
「社会機能に不可欠と判断されたものは残された」
「例えば?」
「教育」
「それは文化じゃなくなった?」
「知識伝達機能だけが残った」
「食事」
「栄養摂取」
「服」
「身体保護」
「移動」
「業務と生活」
「建物」
「居住と仕事」
「会話」
「情報交換」
レンは理解する。
残ったもの。
全部、機能だけ。
服は残った。
でもファッションは消えた。
音は残った。
でも音楽は消えた。
移動は残った。
でも旅行は消えた。
食事は残った。
でも楽しむ文化は弱くなった。
人は集まる。
でも祭りはない。
表情は動く。
でも大きく笑わない。
「文化から」
レンがゆっくり言う。
「必要な部分だけ残した?」
戸倉が頷く。
「そうだ」
教授が言う。
「そして必要ではない部分を、無駄と呼んだ」
戸倉は教授を見る。
「その言葉は非常に効果的だった」
レンは顔を上げる。
「無駄」
自分たち。
文化学研究室。
社会から役に立たないと見なされている。
無駄研究。
教授の親からの資金がなければ維持できなかった。
「俺たちの研究室も」
レンが言う。
「その続き?」
「そう考えていい」
戸倉が答える。
「文化を研究する行為そのものも、社会的価値を失った」
教授は笑わなかった。
机を見る。
長年。
誰にも必要とされない研究。
役に立たない。
予算を出す価値がない。
学生も来ない。
研究者も減った。
それさえ自然発生ではなかった。
「私は」
教授が静かに言う。
「ずっと、文化が消えた後を研究していたつもりだった」
戸倉が教授を見る。
「実際には」
教授は八冊目を指す。
「実験の結果を研究していたのか」
「そうだ」
教授は眼鏡を外した。
机へ置く。
長く息を吐く。
レンは教授を見た。
怒っているようにも見える。
悲しんでいるようにも。
どちらなのか分からない。
たぶん両方。
午前十時四十八分。
八冊目の映像資料。
古い記録映像を再生する。
画質は悪い。
会議室。
長い机。
複数の人物。
中央。
短い茶色の髪を横へ流した男。
細い眼鏡。
灰色の上着。
ベージュのシャツ。
記録には、
瀬名トウジ。
計画担当者。
映像の中の瀬名が資料を示す。
音声が流れる。
「文化を禁止してはいけない」
レンが画面を見る。
瀬名は淡々と続ける。
「禁止されたものには価値が生まれる。守ろうとする人間が現れる。反発も記録も残る」
画面が切り替わる。
祭りの映像。
「重要なのは、対象者自身が必要ないと判断することである」
次。
ゲーム。
「遊ぶことを禁止しない」
次。
服飾。
「装飾を禁止しない」
次。
音楽。
「演奏を禁止しない」
次。
旅行。
「移動を禁止しない」
瀬名は続ける。
「ただし、選択したときに生じる社会的評価を変える」
レンの背中が冷える。
映像。
テレビ番組。
昔のニュース。
教育資料。
新聞。
公共広告。
当時は生成AIなど存在していない。
人間が作った映像。
人間が書いた記事。
人間が編集した教材。
繰り返される言葉。
効率。
合理性。
成熟。
責任。
環境。
時間。
生産性。
「最初から嘘を提示してはならない」
瀬名が説明する。
「事実の中から、計画に適した事実を選択する」
レンが呟く。
「選ぶ」
祭りで起きた事故。
何度も報道。
音楽による騒音問題。
何度も報道。
ゲームへの過度な没頭。
何度も報道。
服の大量廃棄。
何度も報道。
観光地の混雑。
何度も報道。
「問題そのものは本物」
教授が言う。
「だから反論しにくい」
戸倉が頷く。
「そこが計画の中心だった」
映像の瀬名。
「対象文化の肯定的側面を削除する必要はない」
レンが画面を見る。
「削除しない?」
「単に扱う頻度を下げればいい」
映像が切り替わる。
祭り。
事故。
騒音。
費用。
だが、
楽しい。
人と会える。
思い出。
地域のつながり。
そうした話は少ない。
ゲーム。
依存。
時間浪費。
費用。
だが、
面白い。
友人と遊ぶ。
達成感。
物語。
そうした話は減る。
服。
廃棄。
格差。
浪費。
だが、
好き。
似合う。
自分で選ぶ。
そうした言葉が減る。
旅行。
環境負荷。
費用。
混雑。
だが、
景色。
食事。
記憶。
体験。
扱われなくなる。
レンは画面から目を離せない。
「悪い部分だけを見せた」
教授が言う。
「違う」
戸倉が訂正する。
「悪い部分だけではない」
「では?」
「問題として見せられる部分を増やし、それ以外を減らした」
レンが振り返る。
「同じじゃないですか」
「重要な違いだ」
戸倉は画面を指す。
「嘘をついて文化を壊したのではない」
映像の中。
実際の事故。
実際の廃棄。
実際の混雑。
実際の問題。
「見せ方を変えた」
教授が呟く。
戸倉が頷く。
「同じ事実でも、何を中心に置くかで意味は変わる」
レンは数日間の資料を思い出す。
文化が悪いと言われ続けたわけではない。
危険。
無駄。
非効率。
未熟。
環境負荷。
問題。
一つずつなら、もっともらしい。
全部が積み重なる。
やがて、
なくても困らない。
さらに、
やらない方が良い。
最後には、
なぜ昔の人はそんなことをしていたのか。
理解できない。
そこまで変わった。
「これが」
レンは八冊目を見る。
「文化抹殺」
戸倉は答えた。
「そうだ」
午後零時十二分。
三人は研究室に残った。
昼食。
誰もほとんど話さない。
壁面画面ではニュース。
地面の微細な変形。
一部地域で避難所点検。
備蓄確認を推奨。
大規模な避難指示はなし。
レンは食事を口へ運ぶ。
味。
数日前なら気にしなかった。
今日は少し考える。
食べる。
必要。
味わう。
文化。
この食事も、機能だけ残った結果なのか。
レンは箸を止める。
「戸倉さん」
「何だ」
「食文化も消されたって言いましたよね」
「かなり縮小した」
「今の食事」
自分の容器を見る。
栄養。
価格。
保存性。
「これも?」
「そうだ」
レンは一口食べる。
まずくはない。
だが、
楽しい食事でもない。
「俺」
レンが笑う。
「知らないうちに実験結果の中で生きてたんだ」
教授も自分の食事を見る。
「私もだ」
戸倉は何も言わない。
その瞬間。
机が揺れた。
カタ。
容器が動く。
三人とも止まる。
揺れ。
昨日より長い。
五秒。
六秒。
天井設備が小さく鳴る。
止まる。
レンはすぐ端末を見る。
通知。
複数地域で小規模地震。
最大規模は依然として小さい。
被害確認中。
レンは戸倉を見る。
「これも?」
「記録通りだ」
「明日は?」
戸倉は答えない。
「明日は何が起きるんです?」
「九冊目を読め」
レンは立つ。
「またそれ?」
声が強くなる。
「五日しかないんですよ」
「だからだ」
「何がだからなんです?」
戸倉も立つ。
「全部を一度に知れば、君たちは文化の資料を読むのをやめる」
「当たり前でしょう」
「それでは困る」
「何で?」
戸倉は机に並ぶ資料を見る。
「最後まで知る必要があるからだ」
「地震より?」
「地震の後に必要になる」
レンは止まる。
「地震の後?」
戸倉はそれ以上言わない。
午後一時四十分。
八冊目。
実験評価。
文化活動参加率。
減少。
文化関連産業。
縮小。
娯楽時間。
減少。
旅行。
減少。
感情表現。
減少。
衣服選択幅。
減少。
文化研究。
減少。
最終評価。
対象社会は、文化を禁止されたという認識を持たず、自発的に文化活動を縮小。
実験成功。
レンはその二文字を見る。
成功。
「成功」
声に出す。
「これが?」
現在の街。
静か。
効率的。
大きな娯楽施設はほとんどない。
祭りもない。
音楽もない。
ゲームもない。
服を楽しむ人もほとんどいない。
旅行もない。
笑顔も少ない。
文化研究室は無駄扱い。
「成功した世界が」
レンは窓を見る。
「これ?」
戸倉は窓へ近づく。
「計画側から見れば」
レンも街を見る。
以前はただ退屈だと思っていた。
理由は分からなかった。
外へ出ても面白くない。
どこへ行っても似た建物。
似た店。
必要なものだけ。
効率よく生活できる。
不便ではない。
でも退屈。
「俺、ずっと」
レンが言う。
「この街嫌いだったんですよ」
教授が見る。
「知っている」
「何もないから」
「そう言っていたな」
「本当に何もなかったんだ」
正確には、
何も残さなかった。
文化を削った結果。
午後三時。
戸倉が帰る準備をする。
レンが呼び止める。
「一つだけ」
戸倉が振り返る。
「計画した人たちは」
レンは八冊目を持つ。
「文化が全部消えたあと、どうなると思ってたんです?」
戸倉はしばらく答えなかった。
「効率的になる」
「それだけ?」
「争いが減る」
「他は?」
「浪費が減る」
「他」
戸倉はレンを見る。
「感情に左右されにくい社会になる」
レンは笑った。
楽しいからではない。
呆れた。
「それで?」
「実際、いくつかの指標は改善した」
「じゃあ成功じゃないですか」
戸倉は黙る。
「でも」
レンは机を指す。
「誰も笑わない。遊ばない。音楽も聞かない。旅行もしない。好きな服も分からない」
戸倉の顔は動かない。
「それも計画通りだった」
レンは言葉を失う。
戸倉が扉へ向かう。
「明日は九冊目だ」
扉が開く。
「戸倉さん」
老人が止まる。
「あなたはどっちなんです?」
「何が」
「計画した側?」
長い沈黙。
戸倉は振り返らない。
「明日の資料に、その答えへ近づく記録がある」
扉が閉じた。
午後五時十一分。
研究室。
レンと教授だけ。
演奏記録を再生する。
五分三十八秒。
音。
以前なら存在しなかったもの。
盤上遊戯を机へ置く。
紫色のシャツ。
昨日の旅行写真。
展望台。
二人の笑顔。
レンはそれらを見る。
「全部」
教授が言う。
レンが顔を上げる。
「何です?」
「君がこの数日で気に入ったもの」
教授が指す。
「全部、実験で消されたものだ」
レンは笑った。
「俺、実験に向いてなかったのかも」
「生まれる時代が違えばな」
レンは盤上遊戯の駒を並べる。
「教授」
「何だ」
「文化って」
考える。
「役に立つから残すものじゃないんですね」
教授が向かいへ座る。
「そうかもしれない」
「役に立たないから消していいものでもない」
「そうだな」
演奏記録が流れる。
レンは最初の駒を動かす。
外。
ニュース。
新たな微小地震。
観測地点増加。
沿岸監視強化。
一部地域で避難経路の確認開始。
あと五日。
数字は減る。
レンは盤を見る。
「一回だけですよ」
教授が駒を動かす。
「もちろん」
十分後。
レンが負ける。
「もう一回」
教授が笑う。
「研究か?」
レンも笑った。
「遊びです」
二回目。
音楽が終わる。
レンが再生する。
「また聞くのか」
「好きなので」
紫色の袖を直す。
「この服も好きです」
教授が自分の深い緑の上着を見る。
「私も、これは悪くない」
「好きって言えばいいのに」
「悪くない」
「頑固だな」
二人が笑う。
外ではまた、小さな揺れ。
机が微かに動く。
笑顔が消える。
レンは端末を見る。
速報。
また一件。
五日後。
日本は壊滅する。
その予測は、もう昔の資料だけの話ではない。
現実が少しずつ追いついている。
レンは八冊目を見る。
文化抹殺計画。
文化は奪われたのではなかった。
禁止もされなかった。
取り上げられもしなかった。
人々自身が、
いらない。
無駄。
必要ない。
そう思うように仕向けられた。
だから、
誰も奪われたことに気付かなかった。
レンは盤上遊戯の駒を一つ持ち上げる。
「教授」
「何だ」
「これ、無駄ですよね」
「そうだな」
「音楽も」
「ああ」
「旅行も」
「そうだ」
「好きな服選ぶのも」
「計画ではな」
レンは駒を置く。
「じゃあ」
少し笑う。
「無駄って、結構いいですね」
教授も笑った。
窓の外。
退屈な街が広がっている。
効率的。
合理的。
静か。
必要なものだけが残った街。
その地下で、
次の異変が始まっていた。
端末の表示。
あと5日。
文化を消した実験は、
成功した。
けれど。
その成功した社会で、
二人の研究者は今、
失われたものを一つずつ、
好きになり始めていた。
コメント
1件
みぅ🤍🥀です。 第9話、読み終えました……。 文化が「禁止」じゃなくて「評価の操作」で消されてたっていうの、怖すぎた……。怒りとか悲しみまで「未熟」ってレッテル貼られて、自分たちで捨ててくっていうのが本当にゾッとする。 でもレンくんが「無駄って結構いいですね」って笑ったところ、ちょっと泣きそうになったよ。あと5日しかないけど、好きなものを見つけた2人の時間が尊すぎる……。この先どうなっちゃうんだろう、続きがすごく気になる……!🌙