「じゃあ、待ってるから」
私は侑との会話を終えて、蒼のスマホから自分のスマホに持ち替えた。
「これから侑と話すから、明日にでも連絡する」
相手は真。
『ホント、悪い』と真はため息交じりに言った。
「こうなったら話さなきゃいけないから、いいよ」
『築島課長と一緒にいるのか?』
「うん? 一緒にいるけど……」と言いながら、私は蒼を見た。
蒼は冷蔵庫からビールを出して、栓を開けていた。私の様子で、電話の後でさっきの続きが出来る状況ではないことはわかっているようだ。
『築島課長に話せよ。お前が築島課長を巻き込みたくないのはわかるけど、後で分かった時にしこりが残るぞ』
「うん……」
『それに、あいつはそんなにヤワじゃないと思うぞ』
「わかってる」
スマホの〈終了〉ボタンを押して、私は大きくため息をついた。
数分前まで蒼と抱き合っていたのに……。
私の電話が終わるのを待ってリビングに入ってきた蒼に、彼のスマホを返す。
「ごめんね、蒼。これから侑が来ることになって――」
蒼はスマホを受け取って、ビールの缶をテーブルに置いた。
「ん。じゃあ、俺は帰るよ」
蒼に背中を向けられて、思わず彼のシャツを掴んだ。
「蒼にも聞いてほしい」
「仕事の話だろ?」と聞いた蒼は驚いていた。
「蒼にも関係があることだから」
「わかった」
私と蒼はテーブルを挟んで向かい合った。蒼に抱き締められた時の感触を思い出して、今の距離に寂しさを感じた。
「清水の件か?」と蒼が切り出した。
私は大きく息を吸って、気持ちを切り替えた。
ここからは仕事だ!
「うん。昼間の川原との会話で分かったと思うけど、清水のPCにあった写真に写ってた男はほとんどが清水の同期で、顔がはっきりわかっている人間は監査で取り調べが始まってる。その取り調べの中で川原の名前も挙がったし、川原が私と真について調べてるようだったから、私が揺さぶりをかけたの。あの会話で川原が清水の共犯で、自分の証拠だけを上手く消してたことははっきりしたんだけど、川原の身辺を調査して不透明な金が動いてることがわかって、その金の流れも調査することになったの」
「それは侑も知ってることか?」
「え?」
「いや、侑にも黙って藤川課長と何かしてただろう?」
蒼が、私と真が侑に隠れて仕事をしていたことを知っていたことに驚いた。
「ああ……、うん。ここまでは侑も関わってた。で、ここからが侑も知らないことだから、詳しくは侑が来てから話すけど、その前に蒼に知っておいて欲しいことがあるの」
蒼は大事なことを聞き洩らすまいと、黙って聞いた。
「清水が同期たちを使って女を脅すネタを作っていたのは、金だけでなく仕事を取るためでもあったの。入札事業の情報を得たり、その担当者を丸め込むための工作として、女たちを使っていたらしくて、性接待をさせていた疑いもある」
「とことん下衆野郎だな」
「同感ね。ただ、ここまでわかって、一つ疑問が生まれた」
「清水レベルで手に負えることじゃない……」
私の言おうとしたことを、蒼が言った。私は頷く。
「では、清水のしたことで利益を得るのは誰か――。昼間の川原への揺さぶりは、それを知るためでもあったの」
「なるほどな……」
「侑には、私が接触した以降の川原がどう動くかを見張らせてたの。焦った川原が連絡を取る相手が黒幕だろうから」
「見当はついてたのか?」
「うん。でも、実際に川原が連絡を取った人間は別にいた」
「それで、さっきの電話か?」
「うん……」と言って、私は言葉を止めた。
これを言ってしまったら、蒼は私をどう思うだろう。
私たちは、どうなってしまうだろう……。
『あいつはそんなにヤワじゃないと思うぞ』
電話での真の言葉を思い出す。
信じよう、蒼を――。
「私たちが黒幕だと睨んでいたのは築島充副社長なの」
「兄さん――?」
蒼の表情が強張った。
築島充は蒼の兄で、二男。今はT&Nグループのひとつ、T&N観光の副社長をしている。伯父である社長の引退が近く、年内に社長に就任することになっている。
「うん。そして、実際に川原が今日の夜会っていたのは、築島和泉社長だった」
「嘘だろ……」
築島和泉は長男で、T&Nフィナンシャルの社長だ。
「ちょっと待て。和泉と充がつるんでるなんてあり得ない」
蒼が動揺を隠して、言った。
「和泉社長と充副社長の仲が良くないのはわかってる。だから、私も川原が接触したのが和泉社長だと聞いて、驚いた」
「そもそも、川原と充兄さんが繋がってると疑った根拠は?」
「新条百合」
「しんじょうゆり?」
蒼が彼女の存在を知っているのかはわからなかったが、どうやら初めて聞く名前のようだった。
「情報システム部部長で私の上司」
「その女が情報源?」
「そう。私に築島充副社長を調べるように指示してきたの」
「新条百合が充兄さんを疑った根拠は?」
「百合さんは……築島和泉社長の元恋人」
「和泉兄さんの――?」
「そして、百合さんの今の恋人は、侑」
「はっ……?」
さすがに驚きを隠せず、蒼は言葉を失った。
侑、蒼に百合さんのことを話してなかったのか……。
「侑に恋人がいることは聞いてなかった?」
「侑に女がいることは知ってたし、珍しく侑が入れ込んでることは聞いたけど……」
「百合さんが和泉社長の元恋人だってこと、侑は知ってるの。けど、今も繋がってるかもしれないってことは伝えてなかった」
「それで、あの侑の電話か――」
蒼はため息をつきながら頭を抱えた。
「和泉社長と百合さんが付き合ってたのは、和泉社長が専務だった時期で、その頃の百合さんはフィナンシャルの社内システムの立ち上げの責任者だったの」
「そのシステムの功績が認められて、兄さんは一気に社長に就任したんだ」
七年前、和泉は当時、ホールディングスの資金運用のための子会社だったフィナンシャルの社内システムを構築し、特許を取得、それを足掛かりに海外進出するほどに成長させた。
「そう。二人は和泉社長が社長に就任するまでの三年ほど付き合ってたの。その後、百合さんはホールディングスの情報システム部部長として異動してきた。その頃はまだ極秘戦略課は存在してなくて、私は情報システム部の一社員だった。意気投合した私と百合さんで極秘戦略課を立ち上げるために、顧客管理部の情報管理を担当していた侑をスカウトして、今の体制が出来たの」
「じゃあ、侑と新条百合の付き合いはそれから?」
「うん。三年にはなると思う」
「今回の件に蒼のお兄さんたちが関係しているかもしれないこと、ある程度の確証を得てから言うつもりだったんだけど……。これ以上事態が複雑になる前に決断してもらった方がいいと思って話した」
「決断?」と、蒼が聞き返す。
「うん。選択肢は三つ。一つ目はお兄さんたちがこれ以上窮地に立たないよう、私の情報で二人を止める。二つ目は真相を暴いて不正を正す。三つ目は聞かなかったことにして部外者を貫く」
「決断次第では……」
「そうだね。一つ目を選ぶなら、私たちは敵対することになる。二つ目を選ぶなら、あなたはお兄さんたちを裏切ることになる。三つ目を選ぶなら、この件に関してあなたには一切情報は伝えない」
蒼は真剣な顔で私の目を真っ直ぐに見ていた。
「どの決断にもリスが伴うわ。蒼がお兄さんたちを味方するとして、どちらに就く? 就く方を間違えたら事が露見した時、蒼はどちらかのお兄さんと一緒に破滅だわ。私と不正を追及してもどちらか、もしくは両方のお兄さんと決別することになる。しかも、事を終えた時はあなたがグループの後継者となる可能性が出る。知らぬ存ぜぬでいればお兄さんたちとの決別はなくても、無能扱いはされるでしょうね」
ここまで話して、私は呼吸を整えた。
私、最低だ――。
蒼を追い詰めているのは私なのに、蒼がどんな決断を下すのか、試してる。
『探り合いをしている時間がもったいない』と、蒼は私に真っ直ぐに気持ちを伝えてくれたのに、私は蒼の考えを探ってる。
清水の後ろに川原がいて、川原の後ろに蒼のお兄さんがいるかもしれないとわかった時から、考えていることがある。真にも侑にも伝えていないその考えを、蒼に打ち明けられるかを見極めていた。
蒼を巻き込みたくないのに、蒼に私の考えに気付いてほしいと思ってるなんて、勝手すぎる――。
「咲、俺に何をさせたい?」
「え?」
「お前はもっともらしく言ったけど、兄さんたちへの疑いは状況と憶測によるものだろう? それだけで俺に家族と訣別するような決断を迫るのか?」
私は言葉を詰まらせた。
「咲、お前が俺を巻き込みたくないと思っていることはわかってるよ。もう少し黙っていられたのにこのタイミングで明かしたのには理由があるんだろ?」
私は唇をキュッと結んだ。そうしていないと、泣いてしまいそうだった。
蒼が、私の考えに気が付いてくれたことが嬉しかった。
私が涙を我慢していることに気が付いたのか、蒼が私に歩み寄り、優しく抱きしめてくれた。
「言っただろ。お前とは探り合いしてる時間がもったいない」
私も蒼の背中に腕を回し、力を込めた。
「蒼、好き……」
無意識に、思ったことが言葉になった。
誰かに自分をわかってほしいなんて、思ったことがなかった。私は仕事が好きだ。でも、仕事のために自分が何を犠牲にしているか、仕事のせいで私の何かが歪んでいくこともわかっている。
「咲、俺にどうしてほしいか言えよ」
蒼を信じてみようか……。
「蒼、お兄さんたちに――」
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