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私に待てと促すように、インターホンが鳴った。私はモニターで侑の姿を確認し、玄関の鍵を開けた。

「お疲れ様」

「遅くに悪い」

電話の時とは違い、侑は落ち着きを取り戻していた。

「食事は?」

「食った」

侑をリビングに招き入れ、私はキッチンに立った。お湯を沸かしながら、軽くつまめるものがなかったか、棚の中を覗く。

「よう」と蒼が侑に声をかけた。

「悪かったな、邪魔して」と侑が答える。

「ホントだよ」と蒼がわざと拗ねた顔をして見せた。

思えば、蒼と侑が一緒にいるのを初めて見た。二人が親友であることは情報としては知っていたし、蒼と侑からそれぞれの話は聞いていたけれど、二人が一緒にいる時の空気みたいなものは想像するだけだった。

会社では冷静で表情を崩さない蒼が、侑の前では子供のように見える。

私はコーヒーとナッツやクッキーを運んだ。

「さて、順を追って話しましょうか」

私は気持ちを仕事モードに切り替えて、言った。蒼と侑の表情が変わる。

「まず、二週間前に私たちが清水のPCから証拠を入手した後、真と蒼は経理課のデータの精査を始めた。情報システム部は清水のPCを押収して、証拠固めと共犯者、被害者の特定を始めた。侑は一足先に顔認証の結果と、それに繋がる社内トラブルや取引関係と照合した」

蒼と侑が頷く。

「一週間前、社内の検索システムで川原が私と真について調べていたとわかる。私は侑に、百合さんに報告して『この件をしばらく私に預けて欲しい』と伝言を頼んだ。その時の百合さんの様子は?」

「『わかった』とだけ」と侑が言った。

「翌日の日曜日、侑は百合さんと会った?」

「いや?」

「私は、日曜の夜に百合さんから電話があって、川原と築島充の関係を調べるように指示されたの」と、侑の知らない事実を話した。

「百合から咲に直接?」

「そう。いつもは侑に連絡を頼むのに、直接私に指示してきたから、私はひとまず侑に黙って動いたの。で、私が調査した結果、川原と充は大学時代のサークルの交流会で知り合っていた。川原の入社も、充の口利きがあったみたい。入社当時から川原は同期をはじめ社内で交友関係を広げて、今では川原に頭の上がらない社員がかなりの数いるようなの」

「弱みでも握ってんのか?」と、蒼が聞いた。

「金銭問題や女性トラブルを内々で処理して恩を売ってるみたい」

「清水のしていたことは川原の差し金か?」

今度は侑が聞いた。私は頷いた。

「清水は大学時代から女性トラブルが絶えなかったようなの。ざっと調べた過去と、PCの写真を見ただけでも、性癖なんてレベルじゃない。入社後、清水のトラブルを数件処理したことで、川原が清水の病気を利用し始めたんだと思う。清水の写真が撮られた日時と顔認証からも、清水のターゲットには共通点が多いとわかってるし」

「共通点?」

「ああ」と、侑が蒼の問いに答えた。

「写真の日時と場所は観光事業に関するイベントと合致していたし、写っていた人物はそのイベントに参加していたT&Nのライバル社の担当者だったり、主催側の責任者だった。写真で脅せば、ライバル社を排除してうちの入札を確かなものに出来る。入札額を水増しして、キックバックを手に出来る」

「観光事業……。それで充兄さんか――」

蒼が呟いた。

「ちょっと待て。そもそも新条百合はどうして、川原と充兄さんの関係を知ったんだ?」

「それなんだけど……」と言いながら、私はコーヒーに口をつけた。

「これは二日前にわかったことなんだけど、どうやら日曜の昼間に百合さんと築島和泉が会っていたらしいの」

侑の表情が強張るのが見て取れた。どんな事情があるにせよ、恋人が元彼に会っていたと聞けばいい気はしないだろう。

「そして、今日私に脅された川原が会いに行ったのが、築島和泉だった。……と、ここまでが事実」

蒼は考え込んでいた。これまでの話を整理して、自分なりに状況を推測しているのだろう。

私は時計に目を向けた。もうすぐ日付が変わる。蒼が来てから三時間半、侑が来てから一時間ほどが過ぎていた。私は話を続けた。

「ここからは私の推測だけど……。百合さん自身が充をマークしていたとは考えられないから、充と川原の関係は和泉からの情報で間違いないと思う。ここで疑問が生まれる。和泉はなぜ百合さん自身に調査を依頼しなかったのか。そして、なぜ調査中の川原と接触したのか」

「そうだな……。弟の不祥事を内密に処理したいのであれば、咲を使うことはあり得ない。百合が咲を使ったということは、俺に知れることも、百合と和泉の現在の関係を探られることも、和泉と川原が接触したことを知られることも想定しているはずだ」と侑が言った。

「俺と咲の関係を、新条百合は知ってるのか?」と、蒼が聞く。

「俺は言ってないぞ」と侑が言う。

「私も言ってないけど……。状況からすると知っている前提で考えた方が良さそうね」

私は、ため息をついた。

「百合さんが私と蒼の関係、蒼と侑の関係を知った上で私に充と川原を調べさせたんだとしたら、私たち三人が事実と情報を共有することが目的かな」

「いや……、回りくどくないか?」

蒼が苦笑いで言った。

「和泉兄さんが新条百合……さんに充と川原の関係を伝え、百合さんが咲に調査を指示し、咲と侑が調査結果を俺に知らせる……。つまり、和泉兄さんは俺に知らせたかったってことだろ? だったら、直接俺に言えばいい」

蒼の言っていることはもっともだ。けれど、身内の蒼には見えていないことがある。

「蒼はどうして庶務課に異動してきたの?」と私は一見、場違いな質問をした。

蒼と侑が不思議そうな顔をしている。

「なに……、急に」と蒼が口ごもった。

「単刀直入に聞くね。誰に言われて庶務課に異動してきたの?」

『誰に』と言われて、蒼の目つきが変わった。


やっぱり……。


「蒼、情報屋のこと誰に聞いた?」

蒼が口を開く前に、侑が聞いた。

「ある程度の噂にはなっていたから、お前が知っていてもさほど気にしなかったが、本社勤務でもない、まして京都にいたお前の耳に入るほどの噂じゃない。なら、誰がお前の耳に入れた?」

「和泉兄さん――」

「聞いたのはいつ?」

今度は私が聞く。

「正月」

「そういうことか……」

私の中で軽く絡み合って、解けそうで解けずにいた糸の端が見えてきた。

「では、正月まで話をさかのぼりましょうか」

私は自分の発した声の低さに、少し驚いた。冷静になろうとすればするほど、無表情で声が低くなると真に言われたことがある。

目の前にいるのは信頼している部下と恋人なのに、私には彼らの存在も情報のひとつでしかないように感じる。

「和泉が蒼に本社の情報屋について教えたのは、聞けば蒼が興味を持つとわかっていたからでしょう。時期を見ても、蒼が京都での仕事の終わりが見えてきて、グループの大規模な改革計画に伴って、本社への異動を考え始めている頃だから」

蒼は一瞬驚いた顔をして、チラリと侑を見た。グループの改革計画について、侑が私に話したのだと思っているようだ。

「和泉の思惑通り、蒼は情報屋に興味を持ち、噂にある程度の信ぴょう性があると判断し、退職する庶務課課長の後任として本社に移動できるように根回しをした。ちょうどその頃、私の元に清水の横領と不倫の情報が入った」

「じゃあ、今回のことはすべて和泉兄さんのシナリオ?」

「いや、和泉と百合のシナリオだろうな」

しばらくの沈黙の間、私たち三人は三様の考えを巡らせていた。

蒼は、兄が回りくどいことをして自分に何をさせたかったのかを、考えているのだろう。

侑は、百合さんと和泉の関係を邪推しているようだった。

私は、今現在までの顛末を整理していた。

百合さんの性格を考えると、恋人関係を解消してもビジネスパートナーとして和泉と繋がっていても不思議はない。百合さんが和泉に極秘戦略課の存在を明かしていたのなら、和泉が充の不正を暴くのに利用しようと考えるのは自然の流れだ。侑の言った通り、これは最初から和泉と百合さんのシナリオだろう。では、二人の目的は? 充の不正を蒼に知らせたいだけなら、こんなに回りくどいことをする必要はない。つまり、ただ知らせるだけでは意味がなく、さらに兄の不正を知った蒼がどう考えるか、どう行動するかを見極めたかったのではないか。そして、百合さんは侑の反応を楽しんでる。


ようするに、和泉は蒼が自分と充のどちらを取るか試していると……。


私はなぜか、無性に腹が立ってきた。

たくさんの女性が犠牲になっているのに、謎解きゲームのネタにされているのが気に入らない。

私と蒼が惹かれ合ったのすら和泉のシナリオ通りかと思うと、ムカついた。

「さて、どうしようか……」と私は呟いた。

女は秘密の香りで獣になる

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