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放課後の教室。西日が斜めに差し込み、黒板の文字を淡く照らしていた。
机の上で、Sはカバンのチャックを閉めたまま動かない。手元のノートにはびっしりと文字が並んでいる。消しゴムのカスが散らかり、鉛筆の芯が何度も折れた跡があった。
「……頑張っても、誰も見てくれないんだよな」
小さく吐いた声は、誰に向けたわけでもなかった。
テストで上位に入っても、部活の大会で入賞しても、「すごいね」の一言で終わる。
嬉しいはずなのに、何も響かない。
褒められるたびに、少しずつ空っぽになっていく気がしていた。
「もう、意味あるのかな……」
独り言が教室の空気に溶ける。
そのとき、ドアの向こうから足音がした。
日下部が顔を出す。いつも通りの無造作な髪に、少し眠そうな目。
彼は一瞬Sを見て、何も言わずに隣の席に腰を下ろした。
「また残ってんのか。頑張りすぎ」
「……頑張るしかないし」
「そうやって、限界超えてんだろ」
Sは答えず、ノートを閉じた。
静かな沈黙が落ちる。時計の針の音だけが響く。
日下部は窓の外を見ながら、ゆっくりと口を開いた。
「頑張るのが“普通”になった瞬間ってさ、誰も見えなくなるよな」
「……うん」
「みんな、お前が頑張ってること知ってる。でも“あいつは大丈夫”って思って、安心するんだ。だから気づかなくなる」
Sは少しだけ顔を上げる。
その目の奥に、乾いた光が揺れていた。
「本当は、褒めてほしかったんじゃないか?」
「……そんなの、言えない」
「だよな。でも、そう思うことは悪くないよ」
日下部の声は、どこまでも穏やかだった。
慰めでも説教でもなく、ただ隣にある温度のような声。
「虚しいって感じるのは、ちゃんと頑張った証拠だよ。サボってる人間は、そんなふうに思わない」
日下部は机の上のノートを見た。
そこに詰まった努力の跡を、誰よりも丁寧に見つめるように。
「……お前の時間は、ちゃんと残ってる。誰も見てなくても」
「ほんとに、そう思う?」
「ああ。少なくとも、俺は見てる」
Sの目が、わずかに揺れた。
沈黙の中で、何かがほぐれていく。
「……ありがと」
「礼なんかいらねぇよ。たまには止まって休め。疲れるってことは、まだ心が生きてる証拠だから」
西日が沈みきるころ、Sは静かに立ち上がった。
教室のドアを開けるとき、わずかに笑った気がした。
その笑みを、日下部は見送った。
何も言わず、ただ、見ていた。