秋の夕方の日差しが庭を赤く染めていた
縁側にいる父の背中は庭の
赤に照らされて黒い影になった
父がコホンッとひとつ咳をした
私は父の大好きな玄米茶と
マメ大福を丸いお盆に乗せて
父の横に置いた
私と父はほとんど何も言わずそこに座っていた
「パパ・・・
この週末温泉旅行にでも行きましょうよ」
「何のために?」
父はぶしつけに言った
「この数か月パパは世捨て人のように
ずっと家に引きこもってたでしょう?
「そんな所へ行ってもちっとも嬉しくないよ
私がどうなろうとお前が心配することではない
死を待つだけの老人さ
私の一生は終わったんだよ」
私は怒って言った
「パパ!そんなこと言っちゃ嫌!
ダメよ!そんなに悲観的にならないで恐ろしい
出来事はお互いにすっきり忘れましょう
ね!温泉に行くって言って!
私!パパなしでは生きて行けないわ 」
父は私の手を押しのけて言った
「お前はまだ若い・・・・
お前の一生はこれからじゃないか
良い男性と巡り合い
家庭を営みなさい・・・・
過去を忘れてこれからの自分の人生を考えるんだよ」
「パパ!私の事もうどうでもいいの?
私を愛していないの?」
父はそんな質問をされるとは思っても
みなかったというように
しばらく私の顔をじっと見つめていたが
どこかぼんやりと遠くを見て言った
「私にはもう人を愛する能力は残ってないんだ
もう誰も愛することは出来ない・・・
心が死んでしまった所に愛はない・・・」
私は小さくなってしまった父の姿を
しばらく涙を流しながら見つめていた
父はあの女に全てを捧げていた
あの女は死をもって
パパの心を私から奪っていった・・・・
人はたやすく心が壊れてしまったと
揶揄する者もいるが・・・
しかし・・・本当に心が壊れてしまった
者にはもはや何ものにも愛を宿すことが
できないのだろうか
私は父の言葉を信じることが出来なかった
もう永久に父の心の中には
私の居場所はないのだろうか・・・
それはあまりにも寂しく
悲しいことだった
しかしそのうち父の傷が癒され、また父は
私にきっとあの優しい微笑みを向けてくれる
ああ・・・あの女が憎い
死をもって父の心を奪っていった女が・・・・
ハラハラと頬に涙が流れる
それでも私は父の傍にいたいと思った
:*゚..:。:.
.:*゚:.。
私の人生で最大の出来事は
18歳の時にママが死んだことだ
そして私がここへやって来て
住むことになった出来事の発端
ちょうど過去の中から何枚ものベールを
順 、順にはがしていくようなものだ
考えてみるとやはりこの話は
そもそもの始まりから話さないといけない
それにはママが亡くなった頃からが
一番いいだろう
――つまりあの頃・・・・
私達がまだ親に守られみんなまだ子供で
ピンクと黄色の24インチの自転車と
銀ブチの眼鏡とセーラー服と
大きな部屋ぐらいある玄関の
あの大きな日本家屋風の家に住んでいた頃の事
から話さなくてはなるまい
その家は、あのうら寂しい池と納屋と表の木の
玄関から母屋の玄関まで90メートルも
歩かないといけなかった中庭のついた
あの大きなお屋敷
典型的な日本家屋の奥には石で作った鳥居
桜の樹が三本、庭の灌木の茂みや陰気に
黒ずんだ常緑樹の椿などはママが愛していて
子どもたちが遊んだりかくれたり夢想したり
するには、もってこいのロマンチックな場所だった
私【早川スミレ18歳】と
7歳離れた弟の【雄二】は
よく庭の椿の陰で遊んだ
声を出すと響き渡る様な広いがらんとした家も
トイレが3つもあって、一番離れに増築された
トイレは夜行くときに少し怖かったけど
リビングを挟んでコノ字に曲がった一階建ての
大きなお屋敷は、とても住み心地が
良く気に入っていた
父があの邸宅を買ったのはそういう配慮が
あったのだろう、育ちざかりの子供が
二人もいる家族には最適だった
私と雄二の部屋そしてリビングを挟んで
客間と一番奥に父さんとママの部屋
そして市内へ通勤で通う父のために
徒歩でそう遠くない所に地下鉄の駅があり
市内へ20分で行ける地下鉄を父は利用していた
父は段ボール製造工場を市内に持ち
約50人の従業員を雇っていた
茶色い紙と紙の間にうねうねした紙を挟んで
ボンドでひっつけて段ボールを作り
その丈夫になった段ボールを様々な
形に抜いて、色んな段ボールの箱を出荷していた
年に一度、私と雄二は父の会社に行き
いくつかの倉庫と、段ボール工場を見学させられた
どこもみなボンドのへんな匂いのする
埃っぽい工場でやたらと階段が多く
父について回ると小さな足が痛かった
商売は繁盛していたと見え
父一人の稼ぎで大家族が安楽に暮すことができた
母は専業主婦、弟の雄二はサッカーチームに
入れて、私は学習塾とピアノ教室に通わされて
お誕生日にはディオールの鞄をプレゼントしてもらっていた
もっとも派手な暮しではないと思っていたが
同級生からしたら一年に1回
海外旅行に行けるなんて
スミレちゃん家はお金持ちだと
言われたことがあった
私は母が大好きで父においては
とても尊敬していたし愛していた
父は背が高く、きびしい感じの鋭い
黒い目をしていた
しかしその鋭い目が私を見るときは
優しくなるのが大好きだった
豊かな真っ黒の髪にはかなり白いものの
増えはじめた父の姿も大好きだった
母も大好きだったが
それは父に対するのとはちがった感情だった
父の方は崇拝していたと言うべきだろう
クラスの男子は父をこわがっていた
父の機嫌を損ねるのは恐ろしいことだった
もちろん私は父を怖いとは思ったことはなかったが
私が何かしでかして父に嫌われるのを恐れた
雄二より父のお気に入りになりたいと思っていた
父の弟の英彦おじさんも楽しくて大好きだった
お正月には長男の父の一族が
うちに集まって大宴会をし
可愛い晴着を着せてもらっていた私は
親戚中にちやほやされて
毎年お年玉を沢山貰っていた
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