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第5話 観察対象
校舎裏の畑に、朝の光が落ちていた。
トマトの支柱。
湿った土。
踏まれた草。
昨日までなら、ただの畑だった。
けれど今は違う。
ここは、月へ続いた場所だった。
ここは、HASAが見張る場所だった。
そして、まだ何かが眠っている場所だった。
灰色のスーツを着た男が、透明なケースを片手に立っていた。
ケースの中では、小さな緑の光が震えている。
日向ユウは胸元の接触種子を握った。
同じ熱。
同じ震え。
長瀬ミハルは隣でノートを抱きしめていた。
指先が紙の角を押し、少し曲げている。
男は笑った。
目だけは、笑わなかった。
「おはようございます。日向ユウさん。長瀬ミハルさん」
ユウは返事をしなかった。
ミハルも黙っていた。
男は透明ケースを少し持ち上げた。
「これをご存じですか」
ケースの中にあるのは、種の殻だった。
ユウが最初に拾った接触種子。
その外側に似ていた。
けれど中身はない。
抜け殻。
それなのに、まだ光っている。
ユウの胸元で、リウの声がした。
触るな。
ユウはケースから半歩下がった。
男の眉が、ほんの少しだけ動いた。
「怖がる必要はありません。危険物かどうかを確認しているだけです」
「なら、HASAが持って行かなくてもいいですよね」
ミハルの声が震えた。
けれど、目はそらさなかった。
男はミハルを見た。
「長瀬さん。あなたも、昨夜から少し変わった行動をしていますね」
ミハルの指がノートを強く押した。
「見張ってるんですか」
「安全確認です」
「それ、便利な言い方ですね」
男は笑みを保ったまま黙った。
ユウは畑の土を見た。
支柱の根元。
そこだけ、土が少し盛り上がっている。
昨日はなかった。
胸元の接触種子が、熱くなる。
リウの声が短く響いた。
下だ。
ユウはゆっくりしゃがんだ。
男が一歩近づく。
「何をしていますか」
ユウは土に指を入れた。
冷たい。
湿っている。
指先に硬いものが触れた。
小石ではない。
根でもない。
薄い板のようなもの。
ユウが引き出す前に、男の声が低くなった。
「それ以上はやめなさい」
ミハルがユウの前に立った。
「どうしてですか」
「そこは調査対象です」
「学校の畑です」
「現在はHASAの管理下にあります」
「勝手に?」
男の笑みが少し薄くなった。
ユウは土の中の板をつかんだ。
胸元の種が光る。
緑の線が土の中を走った。
男が動く。
その瞬間、ユウの足元に輪が広がった。
ミハルが叫ぶ。
「ユウ!」
ユウは反射的にミハルの手をつかんだ。
男の手が伸びる。
透明ケースの中の殻が、強く光った。
けれど届かなかった。
校舎裏の畑が、遠ざかる。
朝の光。
灰色のスーツ。
HASAのバッジ。
男の笑っていない目。
全部が水の底へ沈む。
次の瞬間、ユウとミハルは月内部の森に倒れ込んでいた。
草が頬に触れる。
水の音がする。
湿った土のにおいが、胸いっぱいに入る。
ユウは手を開いた。
土の中から引き出した薄い板が、そこにあった。
葉の形をしている。
緑ではない。
透明に近い茶色。
中に細い筋が走っている。
ミハルが息を切らしながらのぞき込む。
「それ、何?」
リウが枝から降りてきた。
「観察葉だ」
「観察葉?」
セナの声が森の奥から届いた。
「人間を記録するための葉だ」
ユウは板を見つめた。
人間を記録する。
その言葉が、指先から体の奥へ冷たく広がった。
ミハルが小さく言った。
「私たち、ずっと見られてたの?」
リウは否定しなかった。
「長く見ている」
「どのくらい」
「数万年」
ミハルの顔から血の気が引いた。
ユウは観察葉を握った。
「全部?」
「全部ではない」
リウは静かに言った。
「だが、十分なほどには」
森の奥で、低い鐘が鳴った。
一度。
二度。
三度。
セナが現れた。
淡い灰色の羽。
細い縦じまの尾羽。
その後ろにはモウもいた。
濃い灰色の羽を持つ大柄な有楽は、ユウの手の中の観察葉を見て、目を細めた。
「地球に残したものが戻ったか」
ユウは顔を上げた。
「これは、畑にありました」
「接触地点には必ず残る」
モウは歩き出した。
「来い。見るべき場所がある」
ユウとミハルは、顔を見合わせた。
それから、後を追った。
森の道は、昨日の資料樹とは別の方向へ続いていた。
根で編まれた道。
水路をまたぐ橋。
葉の上を走る小さな光。
有楽たちは道の端で作業を止め、ユウたちを見た。
珍しいものを見る目。
危険なものを見る目。
判断を保留する目。
ミハルはリュックの肩ひもを握った。
「やっぱり、観察対象って感じがする」
ユウは小さくうなずいた。
「うん」
リウが振り返る。
「不快か」
ミハルは少し迷ってから答えた。
「不快っていうか、怖い」
「そうか」
「それだけ?」
「怖いと感じるのは自然だ」
「有楽は、見られるの怖くないの?」
リウは少しだけ首を傾けた。
「有楽は、見られる前に見返す」
ミハルは口を閉じた。
ユウはその言葉を胸の中で転がした。
見られる前に見返す。
有楽が人類を観察し続けたのは、好奇心だけではない。
警戒。
記録。
判断。
そして、失望しすぎないための確認。
森の奥に、半球形の建物が現れた。
木の根が絡み合い、巨大な巣のように見える。
入口には水が薄く流れていた。
その水は壁をつたい、床へ流れ、また根の中へ吸い込まれていく。
モウが入口に立った。
「人類観察館」
ミハルのペンが止まった。
「名前が直球すぎる」
セナが答える。
「飾る必要がない」
建物の中へ入ると、空気が変わった。
森のにおいはある。
けれど、そこに紙のような乾いたにおいが混じっていた。
壁一面に、透明な葉が並んでいる。
床から天井近くまで。
何層にも。
無数に。
葉の一枚一枚に映像が流れていた。
人間。
町。
森。
火。
水。
砂。
泣く人。
笑う人。
倒れる木。
植えられる苗。
ユウは足を止めた。
「これ、全部……」
「人類の記録だ」
モウの声が広がった。
「森を切る手。森を植える手。火を放つ者。火を消す者。奪う者。渡す者。殺す者。守る者。すべてを分けずに置いている」
ミハルはノートを開いたが、すぐ閉じた。
書く量ではなかった。
目の前の葉の数だけ、人間の行いがある。
ユウは一枚の葉を見た。
古い時代。
大きな森の端。
人々が木を切っている。
斧を振り下ろす。
幹が倒れる。
鳥が逃げる。
地面が開ける。
そこに家が建つ。
畑ができる。
子どもが走る。
ユウは眉を寄せた。
壊している。
でも、生きてもいる。
隣の葉では、別の森が燃えていた。
煙が立ち上る。
動物が逃げる。
人々が笑いながら火を広げている。
何かを追い出すように。
そこには、さっきの映像にあった生活の気配はなかった。
ミハルが小さく言う。
「同じ森林破壊でも、違う」
リウが答えた。
「違う。だから記録する」
モウが歩く。
「有楽は、人間を一つの言葉で閉じない」
ユウはその後を追った。
次の区画に入ると、空気が重くなった。
葉の中に、戦争があった。
叫ぶ人。
走る人。
壊れる町。
燃える畑。
逃げる子ども。
空を裂く音。
地面に伏せる人々。
ミハルが目を伏せた。
ユウも息が苦しくなる。
「これも、ずっと見てたんですか」
「見ていた」
モウは答えた。
「止めなかったんですか」
言ってから、ユウは自分の声が鋭くなっていることに気づいた。
モウは振り返る。
「有楽がすべてを止めれば、人間は何を学ぶ」
「でも、死んだ人がいる」
「いる」
「助けられたかもしれない」
「助けたこともある」
モウの声は低かった。
「助けなかったこともある」
ユウは拳を握った。
リウが静かに言った。
「有楽は人間の支配者ではない」
「でも、見てたなら」
「見ることと、すべてに手を出すことは違う」
ユウは言い返せなかった。
葉の中で、戦争は続いている。
けれど別の葉では、人々がけが人を運んでいた。
敵味方が分からないほど泥だらけの人を、何人かで抱えている。
さらに別の葉では、戦争が終わった土地に木を植えている人たちがいた。
焼けた地面に、細い苗を立てる手。
土を押さえる手。
水を運ぶ手。
ミハルが小さく息を吐いた。
「有楽は、こういうのも見てるんだ」
セナがうなずいた。
「だから、完全には見捨てていない」
「でも、信用はしてない」
セナは目をそらさなかった。
「そうだ」
次の区画は、もっと静かだった。
絶滅の記録。
葉の中に、見たことのない生き物がいた。
丸い体。
長い耳。
鮮やかな羽。
角のある小さな獣。
水辺に集まる大きな群れ。
それらが、一枚ずつ、ゆっくり消えていく。
狩られる。
住む場所を失う。
水が汚れる。
数が減る。
最後の一匹が映る。
それから、葉の中の映像が止まる。
ユウは声を出せなかった。
ミハルはノートを胸に押し当てていた。
「最後の一匹まで、記録してるんですか」
モウが言った。
「最後だと分かる前から記録している」
「つらくないんですか」
ミハルの声は細かった。
モウは少しだけ目を伏せた。
「つらいという言葉で足りるなら、楽だ」
その一言で、ユウは何も言えなくなった。
有楽は冷たいのだと思っていた。
人間を見下しているのだと思っていた。
でも、そうではないのかもしれない。
長く見すぎたから、簡単に泣けないだけなのかもしれない。
何度も失ったから、声を荒げないだけなのかもしれない。
リウが一枚の葉の前で止まった。
そこには、鳥が映っていた。
地球の鳥。
小さな森で、枝にとまっている。
次の映像では、森が切られていた。
鳥は飛ぶ。
次の枝を探す。
次の森を探す。
けれど、見つからない。
映像はそこで終わった。
ユウはリウを見た。
リウは何も言わなかった。
ヨウムに似ている。
そう思いかけて、ユウはすぐ止めた。
その呼び方を嫌う理由が、少しだけ分かった気がした。
姿の問題ではない。
同じにされることが嫌なのではない。
人間が、見た目だけで勝手に名前を置くことが嫌なのかもしれない。
ユウは小さく言った。
「ごめん」
リウがユウを見た。
「何に対してだ」
「いろいろ」
「広すぎる謝罪は、軽い」
「じゃあ、あとでちゃんと考える」
リウは少し黙り、それから羽を整えた。
「それならよい」
次の区画は、少し明るかった。
環境保護の記録。
荒れた山に木を植える人々。
海辺のごみを拾う子どもたち。
絶滅しそうな生き物を守る研究者。
川をきれいにしようとする町。
森を買い取って守る老人。
毎日同じ道を歩き、落ちた種を拾って土へ戻す少女。
小さな映像が、いくつも光っていた。
ミハルがやっとノートを開いた。
「こういう人たちも、ちゃんと残してるんだ」
セナの声が柔らかくなる。
「残す」
「どうして」
「人間を嫌うためだけの記録ではないからだ」
ユウは葉を見た。
一人の男が、乾いた土地に穴を掘っている。
苗を植える。
水をやる。
次の年。
少し育つ。
また次の年。
何本も増える。
何十年も過ぎる。
小さな森になる。
男は年を取り、腰を曲げながら、まだ水を運んでいた。
ユウは胸が熱くなった。
「この人、有楽は助けたんですか」
リウが答えた。
「雨を少し寄せた」
「少し?」
「多すぎれば、人間は奇跡と呼ぶ。奇跡と呼ぶと、手を止める者が出る」
セナが続けた。
「だから、気づかれない程度に支える」
ミハルが小さく笑った。
「有楽、めんどくさいことしてる」
リウの目が細くなる。
「めんどうではない。長期計画だ」
「そういうところだよ」
ユウは少し笑った。
観察館の中で初めて、息ができた気がした。
けれど、その明るさは長く続かなかった。
奥の壁に、大きな葉があった。
他の葉よりずっと大きい。
その中に、現在の地球が映っている。
都市。
森。
砂漠。
海辺。
川。
工場。
畑。
そして、無数の点。
緑の点。
黄色の点。
茶色の広がり。
ミハルが顔を上げる。
「これは?」
モウが言った。
「現在の観察図」
ユウは近づいた。
緑の点は、保護活動。
黄色の点は、危険な変化。
茶色の広がりは、枯れの進行。
その中に、いくつか暗い線が走っている。
砂漠から都市へ。
地下から工場へ。
リウが低く言った。
「枯れ敵の影響線だ」
ユウは息をのんだ。
「こんなに?」
「まだ表に出ているものだけだ」
セナが言った。
「人間は自分の意思で壊すこともある。枯れ敵に押されて壊すこともある。その区別は、簡単ではない」
ミハルはノートに線を描いた。
手が震えて、線が曲がる。
「有楽は、人類をどう評価してるの」
その問いに、観察館が静かになった。
モウがユウとミハルを見た。
リウも。
セナも。
やがてモウが口を開いた。
「危険」
その言葉は重かった。
「未熟」
次の言葉は冷たかった。
「短絡的」
ミハルの顔が少しこわばる。
「増えすぎる」
ユウは唇を噛んだ。
「壊す力を持つ」
モウはそこで一度止まった。
そして、静かに続けた。
「だが、まれに守る」
ユウは顔を上げた。
「まれに、ですか」
「まれだ」
リウが言った。
「だが、そのまれを有楽は捨てていない」
セナが一枚の葉を見た。
そこには、小さな学校の畑が映っていた。
トマトの支柱。
湿った土。
ユウが支柱を直している姿。
ユウは息を止めた。
「ぼく?」
映像の中のユウは、膝をついて支柱を立てている。
誰も見ていない校舎裏で。
面倒そうにしながら。
それでも、倒れたものを直している。
ミハルがユウを見た。
「観察されてたんだ」
ユウは顔が熱くなった。
「なんか、恥ずかしい」
リウが言った。
「接触種子は、その行動を見ていた」
「それだけで選んだの?」
「それだけではない」
リウは葉を見た。
映像が変わる。
ユウが道端の乾いた鉢に水をやっている。
誰かが捨てた苗を、学校の畑に植え替えている。
落ちた小鳥を見つけ、先生を呼んでいる。
ユウは目をそらしたくなった。
どれも大きなことではない。
むしろ、忘れていたことばかりだった。
「そんなの、普通だよ」
モウが言った。
「有楽は、普通を見る」
ユウは黙った。
「大きな善だけを信じれば、すぐに裏切られる。大きな悪だけを見れば、すぐに見捨てる。だから小さな行動を見る」
ミハルのノートに、文字が増えていく。
小さな行動を見る。
ユウは胸元の接触種子に触れた。
「だから、ぼくが拾った」
リウがうなずく。
「拾った。捨てなかった。壊さなかった。隠したが、利用しなかった」
「隠したのはいいの?」
「HASAへ渡さなかったのは、今のところ正しい」
ユウは少しだけ息を吐いた。
観察館の奥で、別の葉が光った。
そこにはミハルが映っていた。
ノートを書くミハル。
町の川のごみを拾う小学生を手伝うミハル。
古い天体の本を図書室で探すミハル。
その本が薄く、内容が少ないことに眉を寄せるミハル。
ミハルは顔を真っ赤にした。
「私も?」
セナが答えた。
「記録されている」
「やだ。字が汚い時も?」
「記録されている」
「そこは消して」
「消さない」
ミハルはノートで顔を隠した。
ユウは少し笑った。
けれど、その笑いはすぐに止まった。
観察されていた。
恥ずかしさだけではない。
怖さもある。
でも同時に、ただ悪いところだけを見られていたわけではないと知った。
有楽は人間の破壊を見ている。
戦争を見ている。
絶滅を見ている。
でも、苗を植える手も見ている。
倒れた支柱を直す手も見ている。
ミハルがノートを下ろした。
「有楽は、人間を嫌いなんじゃなくて、怖がってる?」
セナの目が少し動いた。
リウは答えなかった。
モウが低く言った。
「恐れもある」
ユウは胸が詰まった。
ずっと、こちらが見られて怖いと思っていた。
でも有楽も怖いのだ。
人間が何をするか。
また森を壊すか。
また記録を隠すか。
また見たものを利用するか。
観察館の葉が、静かに揺れた。
そのすべてが、有楽の用心だった。
そして、捨てきれない期待だった。
突然、現在の観察図に赤ではない、濃い紫の点が灯った。
セナが振り向く。
リウの羽が広がる。
モウが一歩前に出た。
「何ですか」
ユウが聞く。
セナの声が硬くなる。
「HASAが観察葉の残骸を解析している」
ミハルが息をのむ。
「さっきのケース?」
リウが言った。
「抜け殻でも、道を探られる」
観察図に、学校の畑が映る。
灰色のスーツの男。
透明ケース。
HASAの機材。
そして、土の下でわずかに光る別の点。
ユウは目を凝らした。
「まだある」
モウが言った。
「観察葉の根だ」
「根?」
「接触種子が地球へ落ちた時、周囲の記録を地中に結ぶ。抜け殻は表。根は下」
ミハルが早口になる。
「HASAがそれを見つけたら?」
セナが答える。
「観察館への逆探査が始まる」
「つまり」
「月内部の位置が近づく」
ユウの背中に冷たいものが走った。
HASAは月を隠してきた。
でも今は、月を探している。
有楽の森へたどり着こうとしている。
人類を守るためか。
支配するためか。
隠し続けるためか。
分からない。
分からないからこそ、怖い。
リウがユウを見た。
「地球へ戻る」
「学校?」
「そうだ」
ミハルがノートをリュックに入れる。
「根を回収するんだね」
セナが言った。
「ただし、HASAは待っている」
ユウは観察館の葉を見た。
森林破壊。
戦争。
絶滅。
環境保護。
すべてが揺れている。
その中に、自分たちの映像もある。
まだ終わっていない記録。
これから続く記録。
ユウは深く息を吸った。
月内部の森のにおいが、胸に入った。
「行く」
リウはうなずいた。
「見たものを忘れるな」
モウが言った。
「人間は観察対象だ」
ユウは少しだけ眉を寄せた。
でも、モウは続けた。
「同時に、未来の記録を書く手でもある」
ミハルが顔を上げた。
セナが静かに言う。
「有楽は人類を信用していない」
リウが続けた。
「だが、見捨ててもいない」
ユウは胸元の接触種子を握った。
観察されるだけでは終われない。
記録されるだけでは終われない。
自分たちが何をするのか。
それを、これから書かれる葉に残すしかない。
足元に緑の輪が広がった。
観察館の葉が一斉に光る。
その光の中で、ユウは一枚の葉を見た。
まだ何も映っていない葉。
透明なままの葉。
これからの記録。
ユウはそれを見つめたまま、光に包まれた。
次の瞬間、朝の校舎裏に戻っていた。
畑の土は掘り返されている。
HASAの機材が並んでいる。
灰色のスーツの男が、こちらを見ていた。
その足元で、土の中から細い緑の根がのぞいている。
男は笑った。
「戻ってくると思っていました」
ミハルがノートを握る。
ユウは一歩前へ出た。
胸元で接触種子が熱を持つ。
月の観察館で見た数万年分の記録が、頭の中で揺れている。
壊した手。
守った手。
奪った手。
植えた手。
人間は一つではない。
だからこそ、選ばなければならない。
ユウは男を見た。
「その根は、渡しません」
男の笑みが、ほんの少し深くなった。
「それは、あなたが決めることではありません」
朝の風が吹いた。
畑の土がかすかに舞う。
遠くで、まだ誰もいない校舎の窓が光った。
ユウは足元の根を見た。
そこには、月へ続く記録があった。
人類が見られてきた証拠があった。
そして、これから何をするかを問う小さな芽があった。
コメント
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おお、第5話読み終えたわ…! めっちゃ重くて深い回だったな。 「観察対象」ってタイトルそのまま、有楽たちが人間を数万年単位で見てきたって事実がズシリときたわ。特に「つらいという言葉で足りるなら、楽だ」ってモウのセリフ、グサッときた。人間の善も悪も全部記録して、それでも見捨てずに「まれに守る」を拾い続けてる有楽の立場、考えさせられるなあ…。 ユウとミハルが自分の小さな行動も見られてて照れるシーン、ああいう人間臭さが作品に温かみを出してて好き。で、終盤のHASAとの再対峙、次どうなるか気になりすぎるわ🔥