太宰は如何にか水は呑める状態だった。
然しまだ食事は取れない。
そして咳き込みが酷かった。
労咳は人から人へと感染する。だからこそ、本来ならば俺は太宰の傍に居ない方が佳い。
この状態の太宰を独りにして……?
駄目だ。絶対に出来ねェ…そんな事。
「っ………」
俺は布団の上に眠る太宰の手を取り、頬にすり寄せた。
熱い……。
この熱が、少しでも下がってくれる事を俺は願った。
何時までも────一緒に居たいから。
アレが愛であると、証明したいから。
いなくならないで。
太宰は、一向に目を覚まさない。
刹那、鳥が飛び立つような、翼が擦れる音が響いた。
其の音に惹かれたかのように、俺は後ろを向く。
黒い羽が舞い降りた。庭の地面に落ちる。
カアァァ……ア゙ア゙ァ…………。
一羽の鴉(カラス)の鳴き声が響いた。
其の瞬間、先刻の何倍もの大きさの翼の音が響く。
普通の鴉が出す翼の音じゃねェ……。
俺は庭を見て目を見開いた。
赤色系の綺羅びやかな着物を纏った女性が、庭に足を着く。
背中に付いていた鴉のような黒い羽が、霧のように消えた。
何だ……?
女の顔は見えなかった。何故なら、天狗の面を付けていたから。
「何じゃ、太宰の妖力が急激に減っいるかと思えば、真逆床に伏せているとはのう」
静かな声が響き渡る。女は天狗の面を横にずらした。
綺麗………。
俺は立ち上がって、縁側の方へ行く。
「だ……誰だ、?」
女の人は俺を見て目を見開いた。
「─────中也かえ…?」
刹那にして、憂えた表情に変わる。
「えっ」
思わず声をもらした。
何で俺の名前を……。
そして────
哀愁漂う表情に、愛おしそうな目で俺を見る。太宰が俺を見る時の眼とも、何処か似ていた。
「……私(ワッチ)は太宰の知り合いじゃ」
表情を元に戻して、女の人がう。
下駄の音がカラコロと響き渡り、女の人は下駄を脱いで縁側の上に立った。
太宰の知り合い……?
「………」
太宰の側に寄る女の人を、俺は目を丸くしながら見る。
女の人は太宰の前に掌を出した。
──パチッ───────パチパチッ─────
光を巻き起こり、太宰を包み込む。
これ、真逆…………………妖力…?
太宰を纏った光が弱くなった。太宰の躰に染み込んでいくように。
俺が顔を曇らせて見ている事に女の人は気付き、俺に視線を移して安心させるような笑顔で云った。
「そう心配するで無い、太宰の妖力が早う回復する手助けをした迄じゃ」
袖を口元に寄せて、女の人は楚々と笑う。
助けてくれた……?
「ぇ、と……有難うございます…」
太宰の方に視線を移すと、顔色が良くなっている。
俺は小さく安堵した。
***
俺はあの後、女の人にお礼も含めて茶を出した。
「えっ…と、貴方は……?」
対面する場所に座って、俺は女の人に問う。
「私の名は尾崎紅葉。天狗族の長じゃ」
「ぉ、長…」
長って事は位が高いヒトの事じゃねェか…。
凄ェンだな、このヒト………。
「その、尾崎さ───」
「姐さんとお呼び」
茶を啜って、俺の言葉を遮るように静かに云う。
「ぁ、じゃあ……姐さん」
少し気恥ずかしかった。
姐さんはそんな俺を見て、嬉しそうに笑う。
「太宰は、大丈夫なンですか?」
机の上に湯呑みを起き、姐さんは一つ息を吐いた。
隣の寝室に視線を移す。俺も視線を移した。
其処には、布団の上に眠る太宰の姿がある。
「大丈夫じゃ、少し病に罹っただけで、妖力が戻れば直ぐに治るぞ」
其の言葉に俺は深く安堵する。
「童や、名は何と…?」
静かな視線を俺に向けて、姐さんは聞いてきた。
思わず息を呑む。
「な、中原中也……………太宰の贄だ」
「…………」
な、なんだ…?
姐さんからの返事は来ない。
表情を隠すように口元に袖を寄せている為、何を考えているのかよく判らなかった。
「太宰と、仲が良いのかえ?」
刹那、姉さんが質問をする。
俺は一回息を吸ってから、答えた。
「……は、はい……。太宰とは夏祭りとか行ったり色んな事を教えてくれます」
姐さんは俺の言葉に、そうか…と云う。
何処か悲しみを帯びた瞳で俺を見ていた。
何で、そんな目で俺を見るんだろう。
太宰も…姐さんも…………。
「中也や、此方においで」
そう云って姐さんは手招きをする。
俺は首を傾げながら、姉さんの元へ歩いて行った。
──────ギュッ
「えっ」
思わず声をもらす。
姐さんが、優しく俺を抱きしめたのだ。
「佳いかえ中也?お主は中原中也。何も違わぬ、この世にたった一人の“人間”じゃ。其れ故に、苦心する事はあるが、間違えるでないぞ」
まるで唱えるように、姐さんは俺に云い聞かせる。
耳から脳へ、そして記憶と云う名の頁に、一文字一文字丁寧に綴られていった。
忘れては駄目だ、と魂が囁いたから。
「中也は中也。たとえ何があったとしても、自らを別物に変えようと────殺そうとするでない」
そう云って、姐さんは優しく微笑んだ。
瞳の奥から何かが込み上げてくる。
「っ…………」
顔が引きつった。瞳から何かが溢れ出そうだった。
人間のように生きられない。
かと云って、妖怪でもない。
ならば俺は何だ?
ずっと────────考えて来た。
それ故に、生きていく理由が何なのかよく判っていなかった。
愛さえ知れば、生きていける。
でも、愛という感覚が判らないのに、ソレが愛だと思い込んで。
あの太宰から感じる温もりが、愛だと過信して。
だけど、矢っ張りアレは愛で良かったんだ。
愛だと思い込んで良かったんだ。
俺は俺だから。
全部、俺が決めるから。
生きたいから。傍に居たいから。
堪えても堪えても瞳から溢れ出るソレを、姐さんは優しく拭い、俺を表面から抱きしめた。
「ッ……うっ………うぅ……」
声を零して、涙が溢れ出る。
たとえ太宰が俺にくれるのが愛じゃなくても。
本当の愛を太宰がくれるまで、
俺は太宰を愛す。
ソレが、愛とは別の【思い込みの感情】だとしても。
***
「私はもう行くぞ」
姐さんはそう云って、玄関から出る。
「はい、ありがとうございました」
俺も玄関から出て、庭で姐さんに会釈した。
ふ、と優しい笑顔を姐さんは浮かべる。
そして寝室の方に視線を移し、布団の上に眠る太宰を見た。
「太宰が目を覚ますのに暫く時間がかかるが、太宰の傍を離れるでないぞ?」
あの時の姐さんの言葉は、太宰の体調の為に発した言葉じゃない。
それを、俺は判っていた。
だから────俺は固く頷いた。
「……はいっ」
姐さんが微笑む。
「そうじゃ中也、お主にこれをやろう」
刹那、鴉の鳴き声が響き渡る。
バサバサ……!
翼を羽ばたかせて、近くの桃の木の枝にとまっていた鴉が飛び立った。
姐さんの腕に止まる。
「鴉…?」
「この鴉は特別でのう。妖魔との混血なんじゃが…………殆どが彼岸の存在じゃ」
そう云って姐さんが手を伸ばすと、俺の肩に鴉が飛び移った。
「ぉわっ」
少しの重みが肩に伝わる。
姐さんは楚々と笑って云った。
「名でも付けると佳い、話相手くらいにはなってくれるじゃろう」
其の言葉に呼応するように、鴉が鳴く。
意外な事に俺は目を丸くした。
「中也や、太宰が目覚めたら私の処に来ると佳い。久しぶりに話がしたいからのう」
姐さんが俺に背中を向ける。そして顔だけ此方に向けて云った。
「太宰を頼むぞ」
刹那、風が巻き起こる。
「っ…!」
反射的に瞼を閉じた。再び、翼の音が鳴り響く。
俺は風が収まると同時に、瞼をゆっくりと開いた。
元々何もなかったかのように、目の前は静かだった。
「____…姐さん、?」
少し声を震わせながら俺は呟く。
帰った……のか?
刹那、姐さんから貰った鴉が鳴き声を上げた。
「ぅわ!」
バサバサと翼を羽ばたかせて、俺の肩から離れる。
「な……何だ……?」
俺の周りを一周した後、今度は腕に止まった。
「………そうだ、名前を決めねェとな…」
そう呟いて、俺は鴉と目線を合わせる。
ニッと笑顔で俺は云った。
『お前の名前は───────
***
地面に足を着き、私(ワッチ)は黒い翼を仕舞う。
其れを気に周りから鴉の鳴き声が響き渡った。
「____…」
ゆっくりと瞼を開ける。
道の端に置かれた灯籠に光が灯った。まるで導くように灯籠の光は道の奥の方へと続いていく。
屋敷の門の前に、赤い着物を着た少女が立っていた。
「おかえりなさい…」
私は口元を緩ませて、少女───鏡花の元へと歩く。
「只今、留守中は何も無かったかえ?」
「うん…大丈夫」
そう云って鏡花は頷いた。
小さく微笑んで、私は鏡花の頭を撫でる。
片目を瞑りながら、少し気恥ずかしそうに頬を染めていた。
「ふふ、今日の夕餉は鏡花が好きな湯豆腐にするかえ?」
「……っ、!」
鏡花の表情が、パアッと明るくなる。
私は楚々と微笑んだ。
────中也が掛けていた首飾り。
首飾りには太宰の妖力が宿っていた。
太宰が首飾りを破壊し妖力を吸収すれば、病など直ぐに治る。
それでも、ソレをしなかった理由。
其れは──────中也を守る為。
あの首飾りに依って、今の太宰と中也は繋がっている。
所謂、『縁』。
太宰は中也に加護を齎しているのじゃ。
其れ故、中也は病に罹る事は無い。
私の到着が少しでも遅ければ、太宰が死んでいたかも知れぬと云うのに……。
其れでも尚、太宰は中也を加護し続けた。
「____…」
私は瞼を開ける。
死を望んでいたお主が、其処までするとは。
其処までして、誰かを護ろうとするとは。
情が深いのう。
──────姐さん。
もう二度と、そう呼んでくれる事は無いと思っていた。
だが彼は中也ではない。
かと云って中也も彼ではない。
中也は中也じゃ。
太宰はその仕切りが出来て居るかのう。
共に居た分、情が深く。すれ違う。
幸せが訪れる事を、私は切に願うぞ。
コメント
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ヤバい泣きそう...太宰さん早く良くなってね...続き待ってます!今回も最高でした!!
太宰さんよかった! 早く元気になってね! そして今回も最高だった!