その頃、葉月の元夫・野村啓介は、大田区にある賃貸マンションのリビングにいた。
今日から二日間はオフだった。
昨日までのフライトの疲れが残る中、啓介はソファーに座りぼんやりとしている。
葉月と離婚してから一年後、啓介は不倫相手だった伊藤麻美子(いとうまみこ)と再婚した。
麻美子との再婚は、彼にとっては予想外のことだった。
なぜなら、麻美子との関係は遊びだったからだ。
交際当時、麻美子は啓介と同じ航空会社で、キャビンアテンダントとして働いていた。
モデルのようなスタイルと、女優顔負けの美貌で、麻美子は啓介が既婚者であることを知りながらモーションをかけてきた。
そこで啓介は、麻美子の魔性の魅力に取り込まれてしまう。
その後麻美子は、不倫関係を会社にばらすと脅してきた。
それまで築いてきたパイロットのキャリアを捨てたくなかった啓介は、葉月と別れた後、仕方なく麻美子と結婚した。
麻美子と結婚する際、葉月より一つ年下だと言っていた麻美子は、実は葉月より三歳も年上だったということが判明する。
つまり麻美子は今年で40だ。
啓介は見事にハメられた感が否めない。
幸いなことに、麻美子は子供嫌いだったので、啓介との間に子供を作るつもりはないようだ。
その点だけは救いだった。
離婚後息子と離れて暮らしてみて、啓介は初めて自分の血を分けた存在を愛おしいと思うようになった。
航太郎がまだ幼かった頃は、息子にどう接していいのよくかわからなかった。
しかし、今ならきちんと向き合い会話ができる。
離婚後、会う度に息子は頼もしく成長していた。
あともう少ししたら、男同士で学業や仕事の話で盛り上がれるだろう。そう思うと、楽しみで仕方がない。
しかし、今回、息子の航太郎は父親の誘いを断ってきた。断られたのは二度続けてだ。
(一体どうしたっていうんだ?)
啓介は深いため息をつく。息子に再び断られたことで、心にぽっかりと穴が開いたようだ。
(思春期っていうのは、母親よりも父親を頼るものじゃないのか?)
啓介はソファーに座ったまま、もう一度ハァーッとため息をつく。
その時、習い事に行っていた妻の麻美子が帰ってきた。
麻美子は最近ヨガ教室に通っている。
結婚と同時に、麻美子は航空会社を退職し、専業主婦になった。
子供がいないので、麻美子はほとんどの時間を自分の為に使い、今は習いごとや友人達との会食に費やしている。
「ただいまー。あら、どうしたの? ぼんやりして」
「いや、別に」
「そう? それならいいけど。それより、ねぇ、今日の夜は外へ食べに行かない? 素敵なお店を見つけたの」
「うーん、また外食?」
「そう。スペイン料理よ」
「俺は胃がもたれているから、あっさりした物がいいなぁ……。今日は家じゃ駄目?」
「えっ? まさか疲れている私に作れって言うの? 勘弁してよ!」
麻美子は料理が嫌いだった。
交際中は、甲斐甲斐しく手料理を振る舞ってくれたこともあったが、結婚した途端億劫がるようになった。
パイロットの家庭は、普通のサラリーマン家庭よりも、夕食を作る頻度は少ないはずだ。
それでもなんとか手を抜こうとする。
「簡単なものでもいいからさ」
「えっ? 駄目よ。だって、もう予約しちゃったもん」
「ハッ?」
「お願い♡ 今夜だけ我慢して! その代わり、明日はお蕎麦でも取ってあげるからー」
啓介は不満だった。しかしここで言い返すと後が大変だ。
せっかくの休日が、地獄になってしまう。
「……わかったよ」
啓介はソファーから立ち上がると、書斎へ向かった。
書斎へ入ると、啓介は机の前に座りパソコンの電源を入れた。
そして、妻の麻美子には内緒で保存してある写真ファイルを開く。
そこには、息子・航太郎と葉月の写真が保存してあった。
(葉月には、もう四年も会っていないのか。久しぶりに声を聞いたけど、元気そうだったな)
航太郎と会食をする時、葉月は航太郎を店まで送って来てすぐに引き返すので、啓介は葉月にずっと会っていない。
先ほどの麻美子とのやり取りで、啓介は葉月のことを思い出していた。
葉月は料理が上手だった。
パイロットという体調管理が必須の夫のために、料理も色々工夫してくれていた。
あの頃の葉月と麻美子を比較して、啓介は思わず大きくため息をつく。
結婚後、麻美子は驚くほど変わっていた。
男を惑わすほどの美貌は、もうそこにはない。
女は、緊張感もなく気が緩んだ生活を毎日続けていると、あっという間に劣化していく。
以前はほっそりしていた麻美子の二の腕は、今ではすっかり逞しくなり、顎も二重顎になっていた。
さすがに本人もまずいと思ったのだろう。それでヨガ教室に通い始めたのだ。
しかしその効果は全く表れてはいない。
それでも、夜の夫婦生活が充実していれば、啓介もなんとか我慢できただろう。
しかし女は太るほど感度が鈍くなり、以前のような反応は全く見られなくなった。
おまけに麻美子は、夫に奉仕することすら面倒臭がるようになっていた。
それなのに、啓介からの奉仕は際限なく求める。
そんな妻のあまりにも変貌した姿に、啓介は全く欲情しなくなっていた。
今夜の事を考えるととても憂鬱で、啓介は深いため息をついた。
(はぁーっ、もし浮気がバレなかったら、今頃は逗子か鎌倉あたりに瀟洒な戸建てでも買って、家族三人仲良く暮らしていたんだろうなぁ)
そう思いながら、啓介は次の画像をクリックする。
すると、そこには出逢った頃の葉月の姿が写っていた。
当時まだ22歳だった葉月は、弾けるような若さとエキゾチックな美しさでキラキラと輝いていた。
健康的に日焼けした肌はとても滑らかで、真っ白な歯を出して笑う無邪気な表情は、まるでひまわりの花のようだ。
(そういえば、葉月は黄色いバラが好きだったな……)
今頃になって、啓介はそんなことを思い出した。
(なんで今さら……ハァーッ、一体俺はどうしたいんだ?)
もやもやする気持ちのまま、啓介は両手に顔を埋めた。
その頃、家に入った葉月はキッチンへ向かう。
買物袋をカウンターへ置くと、すぐにリビングへ行きソファーの上にゴロンと横になった。
葉月はまだ心臓をドキドキとさせながら、先ほどのやりとりを思い返した。
(なんか随分堂々としている人だったなー。テレビに出る人ってやっぱオーラが違うわね。それにあのソフトで柔らかな喋り方。耳に心地良くてついトロンとなっちゃいそう。事故受付の電話の時も、たしかあんな感じだったわね)
葉月は、『きっとあの人が声を荒げることなんて一生ないんだろうな』と思った。
(え? たしかあの人って私より三歳下だったわよね? なのになんであんなに自信に溢れているの?)
葉月は、離婚後すっかり自信をなくしている自分と、つい比べてしまう。
そして、自分もあんな風に堂々と生きられたらいいのにと強く思った。
賢太郎と出逢ってからの葉月は、今までに感じたことのない刺激を感じていた。
しかし、それがどんな種類の刺激なのかは、まだ本人もわかっていなかった。
葉月は高ぶる心臓の音を抑える為に、大きくフーッと息を吐きながら、傍にあるクッションをギューッと抱き締めた。
コメント
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啓介ざまぁ😈 結婚し、ゲット出来たからって… 女磨きは大切ですよ‼️ しかし、年齢を重ねると金の掛かる事😅 が、諦めない‼️孫っちのママと今も言われるくらい頑張ってる😁
今更はぁ〜って嘆いても遅いんだよー啓介。逃した魚は今は熱帯魚みたいに綺麗になり、釣った魚は毒🐡になってしまったね。
浮気して妻子を捨てておいて 養育費さえ出していればいつでも息子に会えると思っているなんて....勘違いも甚だしいし、こんな自分勝手な人とは 離婚して正解ですね😔 賢太郎さんと これからどのようにしてお近づきになっていくのか、賢太郎さんと航太郎君との関係も....楽しみです🎵