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先生が呪文を口にしたその途端、わたしたちの身体が金縛りにあったかのように、ぴくりとも動かなくなってしまった。
声を発しようにも口は動かず、指先にすら力が入らない。
この魔法を解く呪文すら唱えることができず、手も足も出せなくなったわたしたちに、馬屋原先生はニヤニヤと笑いながら、
「無駄ですよ、諦めて君たちも夢魔の餌になりなさい」
「――冗談じゃない!」
叫んだのは、榎先輩だった。
驚いたのはわたしだけじゃなくて、馬屋原先生も同じで、
「ほう、僕の魔法が効いてませんか」
さらに呪文を口にしようとしたところで、榎先輩もそれに合わせて何か小さく呟いた。
いったいそれが何の呪文なのか解らないけれど、馬屋原先生の口が急に閉じられ、もごもごと慌てたように口元に手をやる。
その隙に榎先輩はさらに解呪の呪文を口にして、わたしたちは再び体の自由を取り戻した。
「榎先輩、ありがとうございます」
「お礼は良いから、とにかく馬屋原を何とかしないと!」
言うが早いか榎先輩は地を蹴り、いまだに口をもごもごさせている馬屋原先生の身体に飛び込んでいった。
「むぐうぅっ!?」
馬屋原先生は呻き声をもらし、榎先輩に押し倒される形で後ろに倒れた。
榎先輩は馬屋原先生の上に覆いかぶさるように倒れ、そのまま先生の両腕を強く押さえ込む。
「アオイ! 何か縛るものない?」
「えぇ! そんな、急に言われても……!」
わたしは辺りを見回してみたけれど、そんなものどこにも見当たらなくて。
何か、何かない? いっそ魔法で――そんなことを考えている時だった。
「きゃあぁ!」
突然、何者かに押し倒され、私の身体はがんっと激しく床に叩きつけられる。
い、痛い! なに? なに? なに?
慌てて起きようとするわたしの身体を、けれどそいつは――夢魔は強く押し付けて。
「い、いやぁ!」
ぐいっと近づけられた闇の渦巻くその顔に、わたしの魔力がぐんぐん吸い上げられていく。
全身から力が抜けていくのを感じながら、それでも必死に夢魔に抵抗していると、
「やめろ、真帆!」
すぐ近くで声がして、わたしに覆いかぶさっていた夢魔――楸先輩を、シモハライ先輩がどんっと激しく突き飛ばした。
「……ひどイじゃないデスか、ワタシを突き飛バスダナンテ」
むくりと起き上がった夢魔の顔は、その半分が楸先輩になっていて、声も掠れて聞き取りづらかった。
その眼は大きく見開かれ、じっとわたしとシモハライ先輩を睨みつける。
「真帆、落ち着いて!」
「ウルサイウルサイウルサイ!」
激しくかぶりを振る楸先輩の目には涙が浮かんでおり、
「ユうクンは、私ノモノです! 誰ニモ渡さナイ! ワタシは、私ワ!」
そう叫びながらその視線をわたしに向けてくる。
「……言イマシタよね、ワタシ。優くんニワ近づクナって」
「そ、そんなつもりは、わたしは……!」
「ウルさいっ!!」
言い終わらないうちに、楸先輩はものすごい勢いでわたしの方へと突っ込んできた。
わたしは咄嗟に風の魔法の呪文を唱えて強風を巻き起こし、なんとか楸先輩の身体を壁に叩きつけて回避した。
そんなことをしたのは初めてのことだったし、人の身体を持ち上げられるほどの魔法を使ったことなんてただの一度もなかったのだけれど、わが身を守る為に思いもよらない力を発揮してしまったみたいだった。
楸先輩は「うぅうっ」と呻き声をもらし、どさりと地面に倒れると、悔しそうな表情を浮かべながらわたしをじっと睨みつけてきて、
「ユルサナイ、ユルサナイ、ユルサナイ……!」
何度も何度も、同じ言葉を繰り返した。
それは確かな魔法ではなかったけれど、明らかな呪いの言葉だった。
恐ろしい、気持ち悪い、けれど、それだけの想いを楸先輩はシモハライ先輩に抱いていて。
わたしは、それ以上どうしたらよいのかわからなくて、じっとその場に立ち尽くしていた。
「真帆!」
そんなわたしの脇を抜け、楸先輩に駆け寄るシモハライ先輩。
けれど、楸先輩はわたしから目を逸らすことなく、
「私カラゆうクンオ取ラナイで――!」
わたしに向かって右手を伸ばしてきた瞬間、わたしの周りに激しい突風が渦を巻くように現れ、そのままわたしの身体は高く宙に浮かんで、
「きゃあぁっ――ぐぅっ!」
わたしの身体は叫び声と共に、激しく床に叩きつけられた。
鈍い痛みと眩暈に見舞われ、本当は夢のはずなのに、あまりにも現実的な感覚となってわたしの身体に襲い掛かった。
「アオイ!」
榎先輩の声がする。
「やめるんだ、真帆!」
シモハライ先輩の叫びが聞こえる。
痛みに耐えながらうっすらと瞼を開いて見てみれば、馬屋原先生は榎先輩に押さえつけられたまま、楽しそうにニヤニヤと笑みを浮かべてわたしを見ていた。
なに? 何がそんなに楽しいわけ? なんでわたしがこんな目に遭わないといけないの? おかしいでしょ? わたしが何をしたって言うの?
……ううん、わたしだけじゃない。榎先輩もシモハライ先輩も楸先輩だってみんなそうだ。誰もなにも悪いことなんかしていない。
全部、馬屋原先生が悪いんだ。
楸先輩は誰かにシモハライ先輩を取られるのが怖くて、不安で、そのために自分の中に取り込んでいた夢魔を目覚めさせることになってしまった、ただそれだけだ。
その夢魔をより完成せられた存在にするためとか言って、馬屋原先生は榎先輩やわたし、シモハライ先輩を利用して、楸先輩のその感情を、不安を煽って、こんなことに……
わたしは歯を食いしばりながら、ぐっと体に力を込めて体を起こすと、馬屋原先生の方に向き直った。
シモハライ先輩は必死に楸先輩を説得している。
榎先輩は馬屋原先生がこれ以上何もできないよう、その身体を押さえ込んでいる。
いまのうちに、全部を終わらせるんだ。
わたしは強く思い、大きく息を吸い、そして長く吐き出した。
それから馬屋原先生の方に右手を伸ばして、
「わたしは、あなたを絶対に許さない」
言って、その呪文を口にした。