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「……誰かが死んだとき、泣けなかったんです」
少年は、椅子に座っていた。
痩せた体を折りたたむように丸め、両手を太ももに置いていた。指の爪は噛み跡でギザギザに削れている。
遥は、相変わらず何も言わない。うつむいたまま、無言のまま、そこにいる。
「親戚のおばさんが泣いてて。友達も泣いてた。
でも俺は、ただ“ああ、死んだんだな”って思っただけで――
泣くふりしなきゃって思って、そればっかり考えてた」
少年の声には起伏がない。棒読みのようでいて、それでもどこか、言葉の奥にしがみついているものがある。
「それだけじゃないんです。
学校で誰かがいじめられてても、笑えないけど、怒れない。
友達が傷ついてても、“そうなんだ”って思うだけで。
家族が揉めてても、心が動かないんです」
遥は、目を閉じて聞いていた。
「……俺、壊れてるんでしょうか」
静かな声だった。告白というより、確認のような。
少年自身、答えをすでに持っているように聞こえる。
その沈黙の中で、遥はようやく口を開いた。
「――いいじゃん。別に」
少年が顔を上げる。遥は椅子の背に寄りかかり、脚を組み替えた。
「感情がない、って言うけどな。お前、今こうして喋ってんだろ」
「……それは、話さなきゃって思ったから」
「その“思った”がもう、感情の一部だ」
遥の声は、まるで正解を読み上げるようだった。
だが、それは責めでも説教でもなく、ただ、静かな事実の確認だった。
「泣けないから悲しくないわけじゃねぇし、怒らないから冷たいわけでもねぇ。
ただ、お前は――そういうふうに、感情が動かないってだけだろ」
遥はゆっくりと続ける。
「それは、お前が“感じない人間”なんじゃなくて、感じすぎると壊れるって、本能でわかってるんだよ」
少年の指がぴくりと動いた。
「……怖いんです。
“感じなさすぎる”自分が、何か取り返しのつかないことをするんじゃないかって。
誰かにとって、俺が“怪物”みたいな存在なんじゃないかって」
遥は、わずかに目を細める。
まるで、誰か遠くのことを思い出すように。
「――怪物ってのはな。
自分がそうだって気づかない奴のことだ」
少年の目が、揺れる。
「お前みたいに、それを怖がってる奴は、もう十分“人間”だよ」
沈黙が降りた。だがそれは、言葉の終わりではなく、感情が染みる余白だった。
遥は立ち上がらない。ただ、そっと言った。
「無理に感じようとしなくていい。
お前のままでいい。
ここでは、“何も感じない”って感情を、ちゃんと置いてっていい場所だから」
少年は何も言わなかった。
けれど、その目の奥で、初めてわずかな揺らぎが起きていた。
それは涙でも、微笑みでもない。
だが、「感じない」と思い込んできた心に、かすかな“音”が響いた瞬間だった。
人の心には、色がある。
でもその色が、見えなくなってしまうことがある。
それでも、遥は信じている。
――透明な心にも、重さはあると。
次は、どんな「感情」が扉を叩くのだろうか。