テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
扉が閉まる音。それだけが、この白い部屋に響いた。
少年は、無言で椅子に座る。
服は清潔だ。顔立ちも整っていて、どこにも“異常”は見えない。
だが、どこか空虚だった。体はそこにあるのに、魂だけがどこか遠くをさまよっているような。
「……死にたいわけじゃないんです」
その声は、しんとした湖面に落ちる石のようだった。
「別に、誰かに消えてほしいとか、怒ってるわけでもない。
親も普通で、学校にも行ってて……でも、朝起きても、夜寝ても、何もないんです」
遥は、何も言わず、ただ目を細めていた。
ゆっくりと息を吐く。少年が続ける。
「眠ってるのか、起きてるのか、わからなくなる時があって。
教室にいても、人の声が遠くて、自分の手の感覚も曖昧で……」
彼は手のひらを見つめる。
指を握って、開いて――それでも、その動きに意味を見出せない。
「俺、ほんとはもう死んでるんじゃないかって、思うことがあるんです。
何かが欠けたまま、生きてるふりしてるだけなんじゃないかって」
遥は、ふっと小さく笑った。
馬鹿にするような笑いじゃない。
何か、わかってしまう者の笑いだった。
「……わかるよ。
“生きてるのに、生きてる気がしない”ってやつな」
少年のまなざしがわずかに揺れる。
遥はゆっくりと続けた。
「他の奴らが、当たり前のように笑ったり、泣いたり、好きだの嫌いだの言ってるのを見るたびに、
“ああ、自分だけ部品が足りてないんじゃねえか”って思うんだろ」
少年は、ゆっくりと頷いた。
その目には、涙も怒りもなかった。ただ、肯定を求める影のようなものがあった。
「けどな、そう感じてる時点で、お前はちゃんと“生きてる”んだよ」
遥の声は、しずかに深かった。
「実感が持てないのは、“生きよう”としてる証拠だ。
本当に何も感じなきゃ、こんなとこに来ねえよ」
少年は、口を開いた。
「……俺、どうすれば、生きてるって思えるんでしょうか」
遥は少し考えたあと、首を傾けた。
「知らねえよ、そんなもん」
「……え?」
「俺も毎日、生きてるって思えるわけじゃねぇ。
朝起きて、“ああ、またか”って思うこともある。
誰にも会いたくねぇ日もあるし、何の意味があんのかって思うこともある」
遥は目を細め、少しだけ視線を遠くにやった。
「ただ――それでもメシ食って、なんとなく歩いて、どっかで他人と話して、
で、夜になって、ベッドの中で“今日は死ななかったな”って思って終わる。
それの繰り返しで、生きてるって、たぶん、そういうことなんだと思う」
少年は、まっすぐ遥を見た。
その目に、ほんの少し、温度が戻り始めていた。
「実感なんて、最初からある奴の方が少ねぇよ。
むしろ、それを探してるうちは――まだ、見失ってない証拠だ」
遥は、椅子の背にもたれて言った。
「だから、見つけなくていい。
ただ、今日も“何も感じなかったな”って思いながら、
それでも、次の朝を迎える。それだけで十分、生きてる」
少年は、ほんの少しだけ、笑ったように見えた。
それは微笑みとは違う。もっと、ひび割れた感情が漏れたような、
不格好で、不確かな、けれど確かに“生”に触れた瞬間だった。
生きてる実感がない。
でも、息をして、考えて、誰かと話している。
それは、“感じられない”という名の、確かな痛みだ。
――遥はそれを知っている。だから、今日も扉を開ける。