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第11話 種まき隊
乾燥都市へ向かう車の中で、誰もすぐには話さなかった。
窓の外では、町が少しずつ変わっていく。
ビルが減り、低い家が増え、道端の草が細くなる。
やがて、川が見えた。
川だったもの。
水はほとんどなく、底のひび割れた土が長く続いていた。
ミハルが窓に手を添えた。
「本当に、乾いてる」
ツカサは腕を組んだまま、外を見ていた。
「ニュースでは、毎年水不足って言ってた。でも、ここまでだとは思わなかった」
HASA広報官は前の席で端末を見ている。
顔は疲れていた。
灰色のスーツの袖には、地下でついた砂がまだ少し残っていた。
「ここは十年前まで、農業地帯でした」
ユウは顔を上げた。
「十年で?」
「はい。地下水の減少。気温の上昇。無理な開発。枯れ敵の影響線。そのすべてが重なった地域です」
ツカサが低く言った。
「人間だけのせいじゃないって言いたいのか」
広報官は首を横に振った。
「人間だけのせいではありません。ですが、人間が作った傷を通って、枯れ敵が入った」
ユウは拳を握った。
カラザの言葉が戻る。
人間は入口を作るのがうまい。
車が止まった。
そこは町の端だった。
遠くに荒野が広がっている。
草はまばらで、地面は硬く、風が吹くたび細かい砂が舞った。
空気は乾いていた。
喉が痛くなるほどに。
ユウが車を降りると、胸元の接触種子が熱を持った。
リウの声が届く。
ここだ。
ミハルがリュックを背負い直す。
ツカサは荒野を見て、眉を寄せた。
「ここに種をまくのか」
「そうだ」
声は頭上から聞こえた。
ユウたちが見上げると、緑の光の輪が開き、有楽たちが現れた。
リウ。
セナ。
そして、見慣れない有楽が数羽。
その中心にいる一羽は大きかった。
濃い灰色の羽。
太い緑と黄色の縦じまの尾羽。
くちばしには小さな傷。
その有楽は地面へ降り、荒野をゆっくり見渡した。
「有楽ラカ。種まき隊の隊長だ」
リウが言った。
ラカはユウたちを順に見た。
「人間が三人」
ツカサがむっとする。
「悪いか」
「悪いとは言っていない。珍しい」
ラカは足元の土をくちばしで軽くつついた。
硬い音がした。
「乾きすぎている。だが、まだ死んでいない」
ミハルがノートを開いた。
「死んでいないって、どうやって分かるんですか」
ラカは土を見たまま答えた。
「匂い。温度。ひびの深さ。風の運ぶ粉。地下に残る水の気配」
ツカサが小さくつぶやいた。
「機械じゃないのか」
ラカはツカサを見た。
「機械も使う。だが、最初に土地へ聞く」
「土地へ聞く?」
「そうだ」
ラカは荒野へ一歩踏み出した。
「種まきは、押しつけではない。土地が受け取れる時にまく」
その言葉は静かだった。
でも、長く続けてきた仕事の重さがあった。
有楽たちは背負っていた小さな筒を開いた。
中には、種が入っていた。
丸いもの。
細長いもの。
羽のように軽いもの。
小さな石に見えるもの。
どれも普通の種には見えなかった。
セナがユウたちへ、小さな袋を渡した。
「手伝うなら、これを持て」
ユウは袋を受け取った。
軽い。
けれど、手のひらの上でかすかに温かい。
「これ、本当に種?」
セナはうなずいた。
「乾いた土地用の初動種。まず土をやわらげる」
ミハルにも袋が渡される。
ツカサは少し迷ってから、ラカの前へ手を出した。
「俺にも」
ラカはじっと見た。
「おまえは人類独立派だと聞いた」
「だから何だよ」
「月に従わないのではなかったか」
ツカサは袋を受け取りながら言った。
「従わない。でも、見る。やる。自分で確かめる」
ラカは小さく尾羽を揺らした。
「ならよい」
種まき隊は荒野へ散った。
有楽たちは飛ばなかった。
歩いていた。
一歩ずつ。
土を確かめ、ひびを見て、風を読んでいる。
ラカが言った。
「種は、ただ投げればよいものではない」
ユウは袋を握った。
「どうすればいいですか」
「まず、土を見る」
ユウは足元を見た。
乾いた土。
ひび。
小さな石。
枯れた草の根。
「次に、残っているものを見る」
「残っているもの?」
ラカは足元のひびを指した。
そこに、小さな虫がいた。
砂と同じ色で、動かなければ気づかない。
「生き物がいる。なら、土はまだ受け取る」
ユウは膝をついた。
小さな虫は、ひびの奥へ隠れた。
こんな土地にも、まだ生きているものがある。
それを見た瞬間、荒野はただの乾いた場所ではなくなった。
ミハルもしゃがみ、ノートではなく土を見ていた。
「ここにも、残ってる」
ラカはうなずいた。
「残っているものへ、種を置く」
ユウは教えられた通り、ひびの横に小さな穴を作った。
種を一粒置く。
土をかぶせる。
強く押さえない。
水はまだかけない。
ただ、手のひらで少し温める。
接触種子が胸元で静かに鳴った。
リウの声。
よい。
ユウは息を吐いた。
たった一粒。
それだけなのに、体が少し震えた。
ツカサは離れた場所で苦戦していた。
穴を掘ろうとして、土が硬くてうまくいかない。
ラカが近づく。
「力を入れすぎるな」
「硬いんだから仕方ないだろ」
「硬いものへ強く当たれば、割れる」
「じゃあどうするんだよ」
ラカは触れるようにくちばしで土をつついた。
ひびの端が少し崩れる。
そこから細い隙間ができた。
「入れる場所を探す」
ツカサは黙った。
それから、小さくうなずいて種を置いた。
ミハルは遠くでセナと一緒に歩いている。
セナが土の色を見て、種の種類を分けていた。
「こっちは初動種」
「こっちは?」
「水呼び種」
「水を作るの?」
「作らない。集める。地面に残る水気を逃がさない」
ミハルは急いでメモする。
「有楽は、これを何万年も?」
セナは少しだけ目を細めた。
「そうだ」
「飽きないんですか」
セナはミハルを見た。
「飽きるかどうかで、森は戻らない」
ミハルは口を閉じた。
それから、小さく笑った。
「有楽って、ほんとに言い方が厳しい」
「事実をやわらげすぎると、手が遅れる」
「でも厳しすぎると、人間はへこみます」
セナは少し考えた。
「そうか」
「そうです」
「では、今の種の置き方は悪くない」
ミハルは目を丸くした。
「褒めました?」
「事実だ」
ミハルは少しだけ嬉しそうに、次の穴を掘った。
昼が近づくにつれ、荒野の熱は強くなった。
水を飲んでも、すぐ喉が乾く。
腕がだるい。
膝が痛い。
ユウは何度も手を止めそうになった。
そのたびに、少し先で有楽たちが同じ動きを続けているのが見えた。
一粒。
一粒。
一粒。
派手な光はない。
巨大な機械もない。
ただ、乾いた土地にしゃがみ、種を置く。
ユウはリウのそばへ行った。
リウは小さな種をくちばしで運び、ひびのそばへ置いていた。
「リウ」
「なんだ」
「もっとすごい機械で、一気に森を戻せないの?」
リウはユウを見た。
「できる場所もある」
「じゃあ」
「一気に戻した森は、一気に崩れることがある」
ユウは黙った。
リウは土を見ながら続けた。
「土地には順番がある。土が戻り、虫が戻り、草が戻り、影が戻り、水が戻り、それから木が根を張る」
「時間がかかる」
「かかる」
「何年くらい?」
「この土地なら、最初の緑まで数日。小さな草地まで数年。森の気配まで五十年。安定した森まで二百年」
ユウは息をのんだ。
「二百年……」
「早いほうだ」
リウは当たり前のように言った。
ユウは乾いた土地を見た。
二百年。
自分はもういない。
ミハルも。
ツカサも。
でも、有楽はそれを見越して種をまく。
「人間には長すぎるよ」
「知っている」
「それでも手伝わせるんだ」
「今日置いた一粒は、おまえの命より長く残るかもしれない」
ユウは手の中の種を見た。
小さい。
こんなに小さいのに。
リウは言った。
「短い命だから、短いことしかできないとは限らない」
ユウは胸が熱くなった。
観察館で、モウが言った言葉を思い出す。
短い命は、短い判断を好む。
でも今、リウは別のことを言っている。
短い命でも、長い未来へ手を伸ばせる。
ユウは種を握った。
「もっとまく」
「無理はするな」
「する」
「するな」
リウの目が鋭くなったので、ユウは少し笑った。
「じゃあ、少しだけする」
「人間はすぐ交渉で不正確にする」
「そこまで言う?」
遠くでミハルが笑った。
その笑いは、荒野の中で小さく弾んだ。
午後になると、HASAの車両から水のタンクが運ばれてきた。
広報官が職員に指示を出している。
ツカサはそれを見て、警戒した顔をした。
「HASAが水を出すのか」
広報官は答えた。
「この地域の給水記録はHASAにもあります。無重力空間開発を止めた代わりに、地上環境監視をしてきました」
ツカサがにらむ。
「監視ばっかりだな」
広報官は否定しなかった。
「そうです」
その返事に、ツカサは少し拍子抜けしたようだった。
広報官はユウの近くへ来た。
「水はどこへ」
ユウはリウを見る。
リウはラカを見る。
ラカは地面を見て、短く言った。
「直接かけるな。溝へ」
HASA職員が細い溝へ水を流す。
水はすぐ消えた。
土に吸われたのではなく、どこかへ逃げたように見えた。
ミハルが不安そうに言う。
「大丈夫?」
セナがうなずいた。
「下へ送った。水呼び種が受け取る」
しばらく何も起きなかった。
風が吹く。
砂が舞う。
誰も声を出さない。
やがて、地面のひびの奥で、小さな音がした。
ぱち。
小さすぎる音。
でも、ユウには聞こえた。
ひびの端から、細い芽が出た。
緑。
本当に小さい。
針の先ほどの芽。
それが乾いた土を持ち上げていた。
ミハルが息をのむ。
「出た」
ツカサも近づいてくる。
「こんなに早く?」
ラカが言った。
「これは目印の芽だ。森ではない」
それでも、ユウは目を離せなかった。
荒野の中の一粒の緑。
それは、月内部の森のように壮大ではない。
けれど、もっと近かった。
手の届く未来。
土の中から、まだ生きていると知らせる合図。
あちこちで、同じ芽が出始めた。
ひとつ。
ふたつ。
十。
百。
乾いた土地に、小さな緑の点が増える。
ミハルの目が潤んだ。
「すごい」
ラカは静かに言った。
「すごくない。これを毎回やる」
ユウはラカを見た。
「毎回?」
「枯れた土地は一つではない。戻ってもまた枯れることがある。人間が踏む。切る。忘れる。枯れ敵が乾かす。風が奪う。火が走る」
ラカは遠くを見た。
「それでも、まく」
その言葉は、荒野の熱より重かった。
ミハルが聞いた。
「何万年も?」
「何万年も」
ラカは答えた。
「有楽は同じ仕事を続けてきた。見られず、知られず、礼もなく、時には人間に抜かれ、燃やされ、笑われた」
ツカサが低く言う。
「それでも、やめなかったのか」
ラカはツカサを見た。
「やめれば、次に芽を見る者が減る」
ツカサは黙った。
ユウは荒野を見た。
小さな芽が揺れている。
その一つ一つが、有楽の長い仕事の続きだった。
月の裏側で技術を磨き、月内部に森を守り、地球へ種を送り、また枯れた土地へ戻る。
何万年も。
誰にも知られずに。
その時、遠くで地面が揺れた。
芽の一部が震える。
リウの羽が広がった。
「来る」
ユウは顔を上げた。
荒野の向こう、低い砂丘の下で、地面が盛り上がる。
触腕が一本、出てきた。
枯れ敵。
ツカサが身構える。
HASA職員たちが後ずさる。
ミハルがノートを抱えた。
しかし現れたのは、カラザではなかった。
小さめの枯れ敵。
殻に古い傷がある。
動きは遅い。
HASA地下から出てきた個体とも違う。
その目が、小さな芽を見た。
声が頭の中に響く。
また、根を置くのか。
ラカが前へ出た。
「置く」
この地は乾く。
「まだ乾ききっていない」
乾くべきだ。
ラカの尾羽がゆっくり揺れた。
「おまえたちの家だけが、地ではない」
枯れ敵の触腕が砂をなぞる。
森は広がる。
根は裂く。
水は崩す。
「過ぎた森は抑える。過ぎた枯れも抑える」
有楽と枯れ敵の言葉がぶつかる。
でも、これまでのような激しい敵意だけではなかった。
ラカの声は、長く同じ相手と向き合ってきた者の声だった。
枯れ敵の声も、ただ怒っているだけではない。
怖れている。
そうユウには聞こえた。
ユウは一歩前に出た。
リウが止める。
「近づくな」
「でも」
ツカサが言った。
「おい、また話す気か」
ユウはうなずいた。
「話す」
枯れ敵の目がユウへ向く。
人間。
その声に、カラザと同じ冷たさがあった。
でも少し弱い。
ユウはゆっくり言った。
「この芽は、全部を森にするためじゃない」
枯れ敵は黙った。
「ここに残っているものを、戻すためだと思う」
ミハルが隣に立った。
「虫もいた。枯れ草の根もあった。まだ生きてるものがあった」
ツカサも、少し遅れて前に出た。
「俺は月に従う気はない。でも、この土地が全部死ぬのは違うと思う」
枯れ敵の触腕が止まる。
人間が、枯れを否定するのか。
ツカサはすぐに言った。
「否定じゃない。全部それにするなって言ってる」
ミハルが小さくつぶやく。
「ツカサ、言い方は強いけど、分かりやすい」
「うるさい」
ユウは枯れ敵を見た。
「あなたたちにとって、乾いた土地が家なのは分かった。枯れた星の記録を見たから」
枯れ敵の目が動いた。
見たのか。
「見た」
ユウは続けた。
「だから、全部を森にすればいいとは思えない。でも、全部を枯れにするのも違う」
風が吹く。
小さな芽が揺れる。
枯れ敵はその芽を見た。
長い沈黙。
やがて、地面の下から別の振動が来た。
遠く。
もっと大きい。
リウが鋭く言った。
「カラザの線だ」
小さな枯れ敵が触腕を引いた。
カラザは待たない。
ラカが言った。
「おまえはどうする」
小さな枯れ敵はしばらく動かなかった。
それから、芽の近くの砂をほんの少しだけ寄せた。
風よけのように。
ミハルが目を見開く。
ユウも息を止めた。
枯れ敵は言った。
これだけだ。
そして、砂の中へ沈んでいった。
誰もすぐには動かなかった。
ツカサが最初に言った。
「今の、手伝ったのか?」
ラカは芽を見た。
「ほんの少し」
リウが続ける。
「だが、記録する価値はある」
ミハルはノートを開き、急いで書いた。
枯れ敵が芽に砂よけを作った。
手伝ったとは言わない。
でも、壊さなかった。
ユウはその一文を見て、胸が熱くなった。
小さすぎる変化。
けれど、確かに変化だった。
遠くで再び地面が揺れる。
今度は大きい。
HASAの端末が警告を出す。
枯れ敵反応、増加。
地下線、都市方面へ移動。
広報官が顔を上げる。
「カラザが動いています」
ラカの目が鋭くなる。
「種まきは中断しない」
リウが言った。
「守りながらまく」
ツカサが驚く。
「逃げないのか」
ラカはツカサを見る。
「今まいた種は、今守らねばならない」
ユウは小さな芽を見た。
たった今、土を持ち上げたばかりの芽。
これを置いて逃げれば、風にさらわれるかもしれない。
踏まれるかもしれない。
枯れ敵に乾かされるかもしれない。
ユウは袋の残りを握った。
「ぼくもまく」
ミハルがうなずく。
「私も」
ツカサは舌打ちした。
「やるよ。やればいいんだろ」
広報官も職員たちへ言った。
「水タンクを守りながら前進。記録を続けてください」
HASA職員たちは一瞬戸惑ったが、動き出した。
有楽派でも、枯れ敵派でも、人類独立派でも、HASAでも。
その場にいる者たちは、同じ荒野に膝をついた。
種を置く。
土をかぶせる。
溝へ水を送る。
芽を風から守る。
遠くで地面が揺れている。
カラザが近づいている。
それでも、手は止まらなかった。
ユウは思った。
これが有楽が何万年も続けてきた仕事なのか。
派手な勝利ではない。
敵を倒すことでもない。
枯れた土地の前でしゃがむこと。
まだ残っている命を探すこと。
一粒を置くこと。
誰にも見られなくても続けること。
そして、芽が出たら守ること。
ユウは土に手を置いた。
熱い。
乾いている。
でも、奥のほうでかすかに湿りがある気がした。
「まだ生きてる」
リウが隣で言った。
「そうだ」
ユウは顔を上げた。
「地球も?」
リウはすぐには答えなかった。
風が吹く。
小さな芽が揺れる。
遠くで、枯れ敵の振動が近づく。
それでもリウは、静かに答えた。
「まだ、生きている」
その言葉を聞いて、ユウは次の種を土へ置いた。
今度は震えなかった。
種は小さい。
手も小さい。
人間の命は短い。
それでも、未来へ置けるものがある。
荒野に、緑の点が増えていく。
一つ一つは弱く、風で消えそうだった。
けれど、それらは確かに土地へしがみついていた。
月の裏側の森から来た種。
地球の荒野に残っていた湿り。
人間の手。
有楽の技術。
HASAの水。
ツカサの不器用な土よけ。
ミハルの記録。
そして、ほんの少しだけ砂を寄せた枯れ敵。
それらが混ざって、最初の緑が戻り始めていた。
遠くの地面が割れた。
大きな殻の影が、砂の向こうに現れる。
カラザだった。
乾いた石のような目が、芽の増えた荒野を見ている。
ユウは立ち上がった。
リウが隣に降りる。
ラカが前へ出る。
ツカサが拳を握る。
ミハルがノートを抱える。
広報官が職員を下がらせる。
カラザの声が、荒野に響いた。
また、種をまいたか。
ユウは答えた。
「まいた」
人間が。
「有楽と一緒に」
カラザの目が細くなる。
人間は、やがてその芽を踏む。
ユウは小さな芽を見た。
それからカラザを見た。
「踏まないようにする」
必ずか。
ユウは息を吸った。
「必ずとは言えない」
カラザの触腕が砂をたたく。
ならば、同じだ。
ユウは首を横に振った。
「違う。必ずと言えないから、見続ける。守り続ける。間違えたら直す」
カラザは黙った。
ラカが静かに言った。
「それが種まきだ」
風が止まる。
荒野の緑が、ほんの少しだけ揺れた。
カラザはその芽を見ていた。
長い長い沈黙だった。
やがて、カラザは触腕を引いた。
今日は見ている。
その声は、許しではなかった。
同意でもなかった。
ただ、保留だった。
けれど有楽は、その保留を何万年も積み上げてきたのだと、ユウは思った。
カラザは砂の向こうへ下がった。
地面の揺れが遠ざかる。
すぐに平和が来たわけではない。
枯れ敵の線はまだある。
HASAの問題も終わっていない。
世界の三つの勢力も、分かれたままだ。
でも、この荒野では。
ほんの少しだけ。
緑が戻った。
夕方、種まき隊は最後の列を終えた。
ラカは荒野を見渡した。
「初日としては、悪くない」
ミハルが疲れきった顔で笑う。
「それ、褒めてます?」
「事実だ」
ツカサは座り込み、手についた土を見た。
「手が痛い」
リウが言った。
「働いた証拠だ」
「有楽って、休ませる気あるのか」
「休め」
「急に?」
ユウは笑った。
乾いた風の中で、笑い声が少しだけ広がった。
荒野の小さな芽たちは、夕方の光を受けていた。
まだ森ではない。
草地ですらない。
でも、枯れた土地ではなくなり始めている。
ユウはその景色を胸に刻んだ。
有楽が何万年も続けてきた仕事。
それは月の裏側の秘密ではなくなった。
今、地球の上で、人間の手にも渡された。
リウが隣に来る。
「ユウ」
「なに」
「今日まいた種の一部は、おまえがいなくなったあとも残る」
ユウはうなずいた。
「うん」
「だから、軽く扱うな」
「うん」
「だが、重く考えすぎて手を止めるな」
ユウは少し笑った。
「難しいね」
「種まきは、難しい」
リウは小さな芽を見た。
「だから続ける者が必要だ」
ユウは荒野を見た。
遠くの砂。
近くの芽。
月の森から来た有楽。
人類独立派のツカサ。
記録するミハル。
隠してきたHASA。
そして、見ているカラザ。
世界はまだ割れている。
けれど、その割れ目にも種は置ける。
ユウはそう思った。
夕方の風が、今度は少しだけ湿っていた。
どこかで、土の奥の水が目を覚ましたような気がした。
コメント
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ああ、もう、すごくよかったです……。一粒の種を置くことの重みと、それが積み重なることの尊さが、本当に丁寧に描かれていて、途中から涙が止まりませんでした。特に、枯れ敵がほんの少しだけ砂を寄せたシーン。あれ、めちゃくちゃ胸にきました。あの“保留”が、何万年もの間を感じさせて。リウの「短い命だから、短いことしかできないとは限らない」という言葉、ずっと覚えています。種まき隊、大好きです。