「また来てよ。待ってるからね」
田上と金子に見送られて私たちは店を出た。
結局、あの後私はまた少しお酒を口にしてしまった。金子からもう一杯くらいつき合ってくれと言われて断れなかったのだ。一方の高原は、やはり金子からお酒を勧められていたが、私に宣言した通り最後まで一滴も飲まなかった。
高原はほろ酔いの私の足元を気にしながら、ぼそっとつぶやいた。
「早瀬さんは、金子君といる時の方が楽しそうだよな」
ふわふわした心地で歩いていた私は、彼の横顔を見上げる。
「どういう意味ですか?」
「いや、なんでもない」
高原が目を逸らした。
不思議に思い私は訊ねる。
「なんでもないのに、どうしてそんな苦い顔をしているんです?」
「嫉妬、かな」
「嫉妬?」
その言葉の意味をさらに訊ねたくなって、私は高原の顔を見上げたまま足を止めた。その時足元がふらつき、そばを通り抜けようとした人とぶつかりそうになった。しかし彼が腕をぐいっと引っぱってくれたおかげで衝突を免れる。私はその人に慌てて謝った。
「いやいや、こっちこそ失礼」
人の良さそうなその男性がそう言って去っていった後、高原は私の背に腕を回して自分の方へと引き寄せた。
「大丈夫か。俺がそっち側を歩いていれば良かったな」
「いえ、周りに注意しないで、いきなり立ち止まろうとした私がいけなかったんです。それよりも、離してくれませんか。人が見てます」
私は高原の腕から逃れようとした。彼のさっきのひと言がまだ耳に残っている上に、彼と密着したこの状態のせいで胸が苦しくなるほど心拍数が上がっている。
私が今どれだけどきどきしているかなど知らず、高原は私の耳の近くで低く囁く。
「人が見ていなかったらいいのか?」
首筋の辺りがぞくぞくして、頬が熱くなる。
「ど、どちらの場合でも駄目ですっ。早く離して。私、タクシーで帰ります」
「だめだよ。俺が送っていくって言っただろ。うんって言うまではこのままだ」
私を抱いていた高原の手にさらに力が入った。
「わ、分かった。分かりましたからっ」
脅迫めいた物言いだというのに、なぜか甘い言葉に聞こえてしまう。私は耳まで熱くしながら高原の胸の中でこくこくと頷いた。
「それでいい。行こうか」
高原は柔らかい口調で言い、私を解放した。しかし私の手を引いて駐車場へと向かう。
「あ、あの、手を……」
戸惑う私に彼はくすっと笑う。
「また人にぶつかるといけないだろ」
そういうことがあったばかりだ。私は赤面しながら小さく頷いた。
車に乗ってから、私はバッグの中から財布を取り出した。五年前のお礼として支払おうとした飲食代を、高原は払わせてくれなかったのだ。だからその代わり、微々たる金額だが、せめて駐車料金くらいは払わせてほしいと思った。すべて負担してもらうのは心苦しい。
しかし、私の申し出は断られた。
彼は慣れた手つきで支払い機にコインを入れ、開いたゲートを抜ける。
「ありがとうございました……」
「気にしなくていいから」
高原は大通りに出る手前で一時停止し、ウインカーを出した。
私はカチッカチッというその音を聞きながら、店にいた時に聞きそびれたことについて考えていた。それはたくさんあったが、その中からまずはこのことについて問いかける。
「確認なんですが……。本当にあなたが、五年前のあの時、私を助けてくれたあの人なんですか?」
ハンドルを握る高原は前を向いたまま短く答える。
「あぁ。そうだ」
「あの人は、高原さんだったんですか……」
当時のことを改めて思い出し、はたと気づく。
「そう言えば高原さんの下のお名前って、宗輔さんでしたものね。今まで全然繋がりませんでした……」
ため息をつく私に彼は言う。
「もう少しだけ、時間もらってもいいか。話をしたいんだ」
断る理由はなかった。むしろ話をしたい、聞きたいと思う。
「はい」
私の返事を聞いた彼は、車の流れがちょうど途切れたタイミングで、私のアパートがある方とは逆の方角に向かってハンドルを切った。
高原が向かった先は、市民の憩いの場となっている公園だった。春は梅、桜、夏には青葉、秋には銀杏と、四季ならではの景色を楽しもうと多くの人が訪れる。広大な敷地の中には様々な施設があり、その何か所かに駐車場がある。
彼はそのうちの一つに車を止めた。水銀灯のおかげで辺りはそれなりに明るい。他に駐車している車は見当たらなかった。
「道路脇に車を寄せて話すってわけにもいかないから。それとも、ファミレスの方がよかったか」
「いえ、ここで大丈夫です。ファミレスに入ってしまったら、長居してしまいそうですから」
私は一度言葉を切り、唇を湿らせてから、その他の疑問をさらに口にした。
「まさかとは思いますが、もしかして、最初から気づいていたんですか?私が五年前のあの時の助けた人間で、楡の木でバイトしてたってこと」
「あぁ」
頷く高原の横顔に、私はさらに訊ねた。
「どうして黙っていたんですか?」
責めているわけではない。ただ単純な疑問だった。そのことを早く明かしてくれていたら、あんな風に高原を嫌うこともなかったのではと思うのだ。五年前のことも、もっと早くに礼を伝えることができていたはずだ。
高原はため息を吐き出し、シートに背を預けた。
「早瀬さんにとって、あの時のことは嫌な記憶だろう?俺が君を助けた人間だったと伝えたら、そのことを思い出させてしまうと思ったんだ。あの時のことそのものを忘れているのなら、その方がいいと思った。」
高原はそこで言葉を切り、先ほどよりも深いため息をついた。
「前田に付き合わされて行ったあの飲み会で、もう会うこともないだろうと諦めていたはずの君が目の前に現れた時は、予想外で驚きすぎて思考が固まってしまった。君は俺のことなんか全然覚えてもいない様子だったから、それはそれで全然構わないと思った。これをきっかけにして、また一から始められたらいいと思ったんだ。席に着くまでの間、どうやって話し始めようか、何を話そうか、色々考えてた。それなのに、真正面に座る君を改めて見たら緊張して、どんな顔をしたらいいのかも、何を話したらいいのかも、分からなくなってしまった。その結果があれだ。本当は会えて嬉しかったのに、あんな態度を取ってしまうなんて、まったく馬鹿だよ。今さらだけど、本当にすまなかった」
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