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「……凌、もうそのくらいにしておいたら?」
練習の合間、また私に話しかけようと近づいてきた凌先輩の横から、落ち着いた声がした。
女子部部長の成瀬先輩だ。先輩は私の顔を覗き込むと、安心させるようにふんわりと微笑んだ。
「紗南ちゃん、顔色が良くないわよ。今日はもう無理しないで帰りなさい。ほら、校門のところで遥くんが待っているみたいだから。あっち、行ってあげて」
「……あ、はい。ありがとうございます、成瀬先輩」
私が会釈してその場を離れるのを、先輩は優しく見送ってくれた。
凌先輩は何かを言いかけようとして、でも成瀬先輩の静かな視線に射抜かれて、言葉を飲み込んだ。
「……成瀬。僕は別に、ただ……」
「何があったのかは知らないけど、今は干渉しすぎないことね。……っていうか、凌は紗南ちゃんのことどう思ってるわけ? 思わせぶりして振り回したんじゃないの?女の子にとってはそれが1番嫌だからね」
成瀬先輩の真っ直ぐな言葉に、凌先輩が息を呑む。
「今のあの子の顔、見た? 凌が『今まで通り』に振る舞えば振る舞うほど、あの子が追い詰められてるの、気づかない? 自分の罪悪感を消すために、あの子を利用しちゃダメよ」
凌先輩は何も言い返せず、俯いた。その拳が、悔しそうに震えている。
「遥くんを見てごらんなさい。あの子はもう、凌の顔色なんて伺っていないわよ。……凌が『お兄ちゃん』でいることにこだわっている間に、紗南ちゃんはどんどん、凌の手の届かないところに行っちゃうわよ」
成瀬先輩はそれだけ言うと、「じゃ、お疲れさま」と軽く手を振って歩き出した。
静かになったコートで、凌先輩は立ち尽くした。
「思わせぶり」――その言葉が、今まで自分を正当化していた心の薄皮を剥ぎ取っていく。
当たり前だと思っていた紗南の隣。そこが、自分ではない誰かの居場所に塗り替えられようとしている。その「失って初めて気づく恐怖」が、凌の胸を激しく揺さぶり始めていた。
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